「これから立川の時代が来る!」ソプラニスタ岡本知高さん
東京の多摩地域にお住まいの方、出身の方もそれ以外の方にも一緒に楽しんでいただきたいという番組。
MCは土屋礼央さん(国分寺市出身)&林家つる子さん(八王子市の大学出身)。
今週のゲストも、「国立音楽大学」出身でソプラニスタの岡本知高さん。今回は岡本さんが学生時代に住んでいたマンション、チャリで走った「芋窪街道」「五日市街道」、通っていた町中華の思い出などたっぷり!
「これから立川の時代が来る!」ソプラニスタ岡本知高さん②
土屋:今週のゲストの方のご紹介です。先週に引き続き、ソプラニスタの岡本知高さんです!
岡本さん:岡本知高です! 🎵オオオオォォォォォォオオオ~~~~~~ 岡本です!
つる子:ありがとうございます(笑)。
土屋:ずっとミュージカル映画みたい(笑)。
岡本さん:🎵今日もよろしくねぇええええええええ~~~~~~
土屋:🎵オオオオォォォォォォオオオ~~~~~~
岡本さん:きれいな裏声が出るようになって。
土屋:ポリープが取れたからね(笑)。
岡本さん:良かった。
「国立音楽大学」の歴史
土屋:そんな岡本知高さんは、高知県で生まれ育ったというお話を伺いました。それで「国立音楽大学」の声楽科に挑んでストレートで受かって。“歌の「国立音楽大学」”と呼ばれていたということでしたが、まず、「国立音楽大学」の歴史について、つる子さんから。
つる子:はい。「国立音楽大学」は1926年に創立された私立大学です。前身の高等音楽学院が現在の四谷に校舎が建てられました。その後、「国分寺」と「立川」の間に当時、「国立大学町」という町が誕生し、そこに本校舎が出来て移転。1947年に「国立音楽学校」と校名を変更。1978年には大学位置を「立川市」に変更。来年2026年、「国立音楽大学」は100周年を迎えます。
岡本さん:はあ~素晴らしい歴史があったね! 僕、知らなかったもん。今年2025年、私は「国立音楽大学」の『くにたち賞』という学校の栄誉ある賞を受賞いたしまして。
土屋:だったら、歴史は知っておいた方が良かったんじゃない(笑)。
岡本さん:はっ。そ、そんな、し、知ってるに決まってるじゃないっ!
つる子:(笑)。
土屋:「国立市」はそもそも「国分寺市」と「立川市」の間からの名前なんだよね。
岡本さん:そう。僕は地元・高知にいた頃から「国立音楽大学」に憧れて、大学に入ってからも「国立音楽大学」が大好きで。で、名前の由来が、「国分寺市」と「立川市」の間・・・ふざけんなって(笑)。
つる子:(笑)。
土屋:由緒ある名前っぽいけど違って。ただ、合体させたのよ。
岡本さん:「国立」って見るからにカッコ良いじゃない。間って・・・。
土屋:子供の頃は「こくりつ」って読まなかった?
岡本さん:僕は憧れがあったから、最初から「くにたち音楽大学」って読んでいたけど。でも、地元にいた頃からじいちゃんばあちゃんは<“こくりつ”音大に行くがやね。トモ君、“こくりつ”音大を目指して偉いねぇ><違う。“くにたち”って読むから>って(笑)。
土屋:なんなら私立だからね。国立じゃないのよ。
岡本さん:そう。いまだにアナウンサーの方でも間違われることがあって悔しくて。「国立=くにたち」の名前を世界に広めたいわけですよ!
土屋:そうなのよ。この番組イズムですよ! なんなら国立競技場を“くにたち競技場”って間違えてもらいたいくらい! 我々はあくまで「国立=くにたち」前提でいきたいんですよ!
岡本さん「国立音楽大学近くの“リバツー”に住んでました」
土屋:そんな「国立音楽大学」についに受かって上京するわけですよね。どこに住んだんですか?
岡本さん:最初に住んだのは、「国立音楽大学」から徒歩6分のところにある、「武蔵村山市」。
土屋:ああ!
岡本さん:「武蔵村山市大南」という所が僕が初めて暮らしたマンションで。この間、たまたまその近くまで行ってマンションの前をクルマで通りかかったんですよ。号泣! 見ただけでいろんなことを思い出しちゃって。
土屋:今でもあったってこと?
岡本さん:あった。今でもあると思います。「武蔵村山市大南」のリバーアイランドというマンションなんです。“リバーアイランド2”でした(笑)。「国立音楽大学」では“リバツー”と呼ばれていました。
つる子:(笑)。
岡本さん:“リバツー”の下にはファミリーマートがあって。僕の“冷蔵庫”でした(笑)。
土屋:今、検索したら写真が出てきましたよ!
岡本さん:そう! レンガっぽいやつね。「国立音楽大学生」向け物件というのがいっぱいあって。
土屋:ちょっと防音なんだ。
岡本さん:「立川市」と「武蔵村山市」にまたがって校舎も建っているので。「立川市砂川七番」とか、あのあたりは「国立音楽大学生」向け物件で。安いところだと“お互い様物件”といって、みんな音を出すからうるさいって言うなよという。
つる子:おもしろい!
岡本さん:あとは、防音設備があるマンションなんかもあって。誰かがマンションで練習を始めると、(ヤバい、オレもしなきゃ)というね。ちょっとした集団心理が働いて。
土屋:僕が子供の頃は周りが畑だったから、どれだけ音を出そうが怒られなかったから。
岡本さん:それは最高!
土屋:「五日市街道」沿いで。
岡本さん:ああ! 「五日市街道」もチャリでどれだけ走ったか!
つる子:(笑)。
土屋:これ・・・“リバーアイランド”って、マンションのオーナーが“川島さん”ってことかな?
岡本さん:そうなんです! よくお分かりで(笑)。いつもキレイにお掃除してくださって。美しい女性のオーナーが川島さんでした。
都会への憧れ、でも高田馬場は行き過ぎ
土屋:「国立音楽大学」に通いながら、初めての東京生活だったわけでしょ、どうだったんですか?
岡本さん:そう。一人暮らしも初めてで。でも、自分はお料理するのも好きなんだなってことに気づいて。その辺のスーパーだと「丸正」さんだったり、「いなげや」さんなど、よく行っていたスーパーですね。
土屋:この辺だと、「玉川上水」も近いのかな。
岡本さん:たしか、「武蔵村山市」は電車が走っていなくて。
土屋:ついに今度、「武蔵村山市」に駅ができるんですよ!
岡本さん:そうなの!? おめでとう~!! だから、最寄りは「西武線」の「玉川上水駅」でしたね。基本は自転車が生活の足で。「立川バス」というのがあって。
土屋:赤と白のバスね!
岡本さん:そう。あれに乗ればスッと「立川駅」に行けるんだけど、チャリだとまあまあ距離があって。
土屋:まあまああるよ! 縦にね。南に下がっていってね。
岡本さん:「芋窪街道」「五日市街道」をどれだけチャリで汗だくになったか。「西武線」を跨いで「立川」方面に行くと、ピアニストでお世話になっている先輩の家があって。全部チャリで、あの辺の畑とか墓地を突き抜けながら。
土屋:友達関係はどうだったんですか?
岡本さん:近くの大学の友達はいなかったけど、当時「西武線」に乗ったら新宿まで行けるから、他の大学の学生さんとの関わりは飲み屋さんとかでありましたね。
土屋:じゃあ23区も行ってるわけだ。
岡本さん:行ってますよ! だって電車に乗ったらすぐ新宿だもん。
土屋:そうね。多摩地域は23区から遠くないからね。そこで、もうちょっと都会に行きたいみたいな気持ちは芽生えなかったんですか?
岡本さん:芽生えました。僕は山手線の中で暮らす人たちが富裕層だと思ってたの。実際そうかもしれないけど。で、「西武線」の“急行”が停まる駅に将来住めたら、人生大成功だと。
土屋:そうね。
岡本さん:ただ、高田馬場は・・・行き過ぎ(笑)。
つる子:(笑)。
岡本さん:金銭的な問題でまず住めないだろうと。鷺ノ宮なら。
土屋:ああ。急行、各停が全部停まるから!
岡本さん:鷺ノ宮あたりに住めたら、それはそれは薔薇色の人生だろう!と。都心への憧れはありましたけど、暮らすとなると、多摩エリアはゆとりがある。せかせかしていない。
土屋:その“リバツー”はいつまでいたの?
岡本さん:大学の3年か4年の時に、池袋に。
土屋:「西武線」沿線だ。一気にいったね!
岡本さん:池袋に引っ越しまして。そこも防音物件で。念願叶って初めての電車通学。
土屋:下りだから、電車が空いてるぜって。
岡本さん:そうそう(笑)。
国立音楽大学生はモテる!
土屋:「国立音楽大学」の学生はどこの大学と交流があったんですか? あの辺には「一橋大学」など大学が多いじゃないですか。
岡本さん:うちの学生さんね、「一橋大学」の学生さんとお付き合いしている人、多かった!
つる子:そうなんですね!
岡本さん:やっぱね、“音大”ってちょっとしたブランドみたいで。早稲田、慶應の人とお付き合いしている人もいっぱいいたし。青学とかね。僕なんか、<青学の人と付き合ってるの!?>って話を聞くだけでウハウハしてました(笑)。
土屋:僕の知り合いの「国立音楽大学」の方もモテそうだなって感じで。
岡本さん:うちの父親が「国立音楽大学」の入学式に来た時に、すでに講習会で出来た東京出身の仲間たちが、うちの父親を見て、<こちらの方、岡本さんのお父様?>って。そしたらうちの父親が舞い上がって(笑)。<おい、お父様、言われたの初めてぞ>って(笑)。
つる子:(笑)。
岡本さん:たしかに、お嬢様はいた。
「国立音楽大学」の“5食(ごしょく)”
つる子:私は「中央大学」出身なんですけど、学食が豊富にあって。学食は・・・?
岡本さん:「国立音楽大学」は、当時5号館に食堂があって、本当に“唐揚げ”が美味しかったの!
つる子:(笑)。
岡本さん:5号館食堂で“5食(ごしょく)”って言うんですけど、“唐揚げ”と、<350円ですっ!>って言う名物レジおばちゃんがいて(笑)。今でもコンサートに来てくださっていて。
土屋:へえ!
岡本さん:あと、「国立音楽大学」は図書館がすごく充実していて。楽譜とかDVDとか。休み時間はみんな、こぞって図書館に行くという場所だったんですね。図書館で働いていておばさまたちも、今でもコンサートに来てくださるんですよ。
つる子:すごい素敵ですね!
土屋:良い出会いだね。
岡本さん:本当に自由でのびのびとできて。「立川」の環境も本当に大好きだった。ビバ、「芋窪街道」よ!
土屋:もうオレの知っているワードしか出てこない(笑)。
国立音楽大学生の思い出の町中華「暁」
土屋:学食以外だと、ごはんを食べる所は?
岡本さん:周りに、暁という町中華があって、今は残念ながら無いんですけど。新入生は何もかもがもう本当にびっくりするくらい大盛りなの! 特に吹奏楽の学生たちはわりと体育会系みたいに食べるから。
土屋:これも検索すると写真が出てくるね。
つる子:大盛りだ!
土屋:すごいな! お茶碗が東京ドームみたいになってるじゃん!
岡本さん:もうね、漫画盛りよ。すごい量なの。軽く2人前くらいあったと思う。
土屋:これを平らげたんでしょ?
岡本さん:うん、平らげてた(笑)。
つる子:(笑)。
岡本さん:ラーメンとチャーハンを両方頼むと大変なことになってた。
土屋:若い一人暮らしの人たちを応援する土壌があったんだ。
岡本さん:ご主人と女将さんが元気だったらいいなと思って。秋川雅史さんが「国立音楽大学」の先輩なんですけど、この暁のお店のことを取材で取り上げていらっしゃいました。暁は「国立音楽大学」の学生の食を満たしてくれていたんですね。
岡本さん「昭和記念公園は東京の宝!」
土屋:多摩地域に住んでいて、遊びに行ったり、思い出に残っている場所はありますか?
岡本さん:やっぱね、好きだったのは「立川駅」からすぐの「昭和記念公園」。四季折々の自然とかサイクリングとかバーベキューとか花火大会とか。何かというと「昭和記念公園」。いまだにテレビで見ると、ああ懐かしい!と思う。
土屋:2人乗りの自転車、まだあるよ!
岡本さん:そうそう! 不思議な自転車!
土屋:あれは昔からあるのよ!
岡本さん:そうそう! 不思議な自転車!あそこは美しいよね。東京の宝だよ。
岡本さん「これから立川の時代が来るんじゃない」
土屋:この番組は多摩を褒めるだけでなく、なんだったら多摩を23区から独立させたいと思っているくらいなので、多摩県としてね。
岡本さん:なるほど!
土屋:なので、多摩の課題、ここが良くなったらいいなみたいなことはありますか?
岡本さん:でも、「立川」はもう立派な都会だし。学校もいっぱいあって、若い人もいっぱいいるから。これから時代が来るんじゃないの。そんなに頑張る必要は無いんじゃないの。
土屋:これは嬉しい。
岡本さん:あんまり都会になって欲しくないという気持ちもあるし。
土屋:独立して多摩県になったら、僕が首相になるつもりだから。
岡本さん:それはちょっと不安かもしれない(笑)。
土屋:外交のサミットの時に、岡本さんに歌を歌ってもらって来賓をもてなしてくれれば。
岡本さん:いいよ。この間も国家独唱してきたから。
土屋:多摩を盛り上げて行きたい、多摩の可能性を感じるじゃない? ただ、世間はまだ多摩って何?って感じでメジャーになっていないところもあって。音楽で盛り上げたいと思っていて、我々は「立川」で「タマソニ」というイベントをやろうと思ってるのよ。
岡本さん:へえ。今はまだ無いのね? やろうよ!
土屋:フェスのヘッドライナーは「TM NETWORK」に決まってるの、声はかけてないけど。番組には来てくださっていて。
岡本さん:「国立音楽大学」にはオーケストラも合唱団もいるわけだから。
つる子:(笑)。
土屋:で、バックには「立飛さん」がついているから。
岡本さん:やろうよ! 声かけて!
土屋:これ、マジでいつか実現したくて。じゃあ岡本知高さんも決定ということで。
岡本さん:いいよ! こっちから手を挙げる! 喜んで!
(TBSラジオ『東京042~多摩もりあげ宣言~』より抜粋)