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女子プロレスの栄枯盛衰!社会現象になったビューティ・ペアとクラッシュギャルズ

Re:minder

1985年11月21日 クラッシュギャルズのセカンドシングル「嵐の伝説」発売日

女子プロレスラーと歌は切っても切れない関係


土曜深夜に放送されているFM NACK5の人気番組『FANTASY RADIO』。聴き始めた当初はアニメの声優さんが喋っていると思っていたけれど、よくよく聴くと、その声の持ち主はなんと女子プロレスラーだと気付き驚いてしまった。春日萌花… 2024年7月より『ガンバレ☆プロレス』に所属するプロレスラーであり、ラジオのパーソナリティー、声優、落語家、気象予報士の資格までも有する多才ぶりである。

いつだったか、そのラジオ番組の企画で「夏のファンタジー」という曲を、ミュージシャンの中山貴大と一緒に作りあげ、番組内で熱唱していたことがあった。先日この曲が久しぶりにラジオから流れてきて、“あぁ、いまでも女子プロレスラーと歌は切っても切れない関係なんだなぁ…” と物思いにふけり、すっかり昔を思い出していた。

「かけめぐる青春」でレコードデビューを果たしたビューティー・ペア


時は一気に70年代まで遡る――

僕の記憶にある初めての女子プロレスラーはマッハ文朱だ。1972年、13歳で日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に出場したマッハ文朱は、15歳で全日本女子プロレスに入門、1975年に「花を咲かそう」でレコードデビューも果たした。そのマッハ文朱と入れ替わるように人気を獲得した2人がビューティー・ペアのジャッキー佐藤とマキ上田だ。マッハ文朱・赤城マリ子ペアからWWWA世界タッグ王座戦に勝利したビューティー・ペアは「かけめぐる青春」(1976年11月リリース)でレコードデビューを果たす。

テレビの女子プロレス中継も、リングの上でプロレスラーが歌う姿から放送が始まるという斬新なスタイルに切り替わり、ここから女子中高校生たちに人気が広まってゆく。女性が女性に憧れる “宝塚現象” とでも言おうか… テレビを観ていても、紙テープが無限に投げ込まれる様子は異様というか何というか、とにかく黄色い歓声が凄まじかった。

そう、ビューティー・ペア「かけめぐる青春」は、累計80万枚まで膨れ上がる大ヒット曲となり、それはある意味、社会現象のひとつとして決定的であった。確かに当時小学生だった僕も学校に行って「♪あなたから私へ 私からあなたへ」の歌詞の部分で、ガッチリ握手する振り付けを真似たものだ。その後もビューティー・ペアは「真っ赤な青春」「バン・ババン」などを次々とリリース。また、ジャッキー佐藤、マキ上田がそれぞれ歌うシングル曲なども発売されていく。2人はフジテレビ系の音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演するなどタレント活動をすることも多く、当時絶大な人気を誇ったピンク・レディーと共演することもしばしばあった。

試合の激しさとのギャップが、今で言う “萌え” という感覚


もちろんプロレスが本業であって歌は副産物のようなものだから、歌番組に出演しても素人感丸だしである。その素人っぽさと、試合の激しさとのギャップが、今で言う “萌え” の感覚なのだろう。久しぶりに映像を観てみると、素朴な2人がどうにもアカ抜けない衣装で歌っていた。人気とは画して素人をもてはやす危うさが付きまとうものだ。

ある日、その人気にいきなり終止符が打たれることになる―― 1979年、当時まだ20歳のマキ上田は、自身の引退を賭けジャッキー佐藤(当時22歳)とシングルで対戦。マキは破れコンビが解消されたのだ。このことがきっかけかどうかはわからないけれど、フジテレビでレギュラー番組だった『全日本女子プロレス中継』は、以前の不定期放送に逆戻りしてしまった。

「炎の聖書」でレコードデビューも果たしたクラッシュギャルズ


時はビューティー・ペア解散から5年ほど経った1984年―― その状況を打破したのがクラッシュギャルズの長与千種とライオネス飛鳥だ。

クラッシュギャルズの2人はタッグ結成と共に「炎の聖書」(1984年8月リリース)によってレコードデビューも同時に果たす。もちろんリング上で歌うスタイルも継承されていて、多くのファンは再び熱狂することになる。そう、ビューティー旋風の再来、いやそれを超えるほどの一大ムーブメントが巻き起こった。その勢いにより、不定期だったテレビでの中継が再びゴールデンタイムに戻りレギュラー化。実況でお馴染み志生野温夫アナの姿も復活した。

ダンプ松本を擁する極悪同盟に対抗


順風満帆である。ただ、ビューティー・ペアの頃とは試合の雰囲気が少し変わっていた。クラッシュギャルズの2人が取るファイトスタイルがアイドルレスラーとは一味違っていたのだ。

ショーの要素はありながらも、殴る蹴るというストロングスタイルを前面に出して、ダンプ松本を擁する極悪同盟に対抗し “強さ” を証明したのだ。流血する試合も多く、僕は “ちょっといたたまれないなぁ…” と思いながらテレビ観戦をしていた。確か “敗者髪切りマッチ” などが行われ始めたのもこのころである。

そして、女子プロレス界に “本物志向" が台頭してきたのは1986年以降… 神取忍の登場からではないだろうか。新団体『ジャパン女子プロレス』に入門した神取はめっぽう強く、なんとベテランの域に達していたジャッキー佐藤からギブアップを奪うなど、強烈な強さを見せつけた。

1990年、クラッシュギャルズ解散


そんな状況である。クラッシュギャルズもアイドル歌手に混ざって歌など歌っている場合じゃないはず… と思ったけれど、調べてみると解散までの5年間(1984年~1989年まで)にシングル8枚、ベスト盤を含め7枚のアルバムをリリースしているのには驚いた。

“25歳定年” という不文律により、1989年に長与千種が引退、翌1990年にはライオネス飛鳥の引退によりクラッシュギャルズは解散。テレビのレギュラー放送も不定期に逆戻り。その後、井上貴子、豊田真奈美などのアイドルレスラーや、北斗晶、アジャ・コングなどヒールレスラーを輩出するも、全日本女子プロレスは経営不振により1997年に不渡りを出し、2005年には解散となる

今現在も複数のプロレス団体によって女子プロレスは行われているけれど、ビューティー・ペアやクラッシュギャルズのような社会現象にまでは至らない。そう思うと、女子プロレスとは70年代中盤から80年代を一気に走り抜けた、まさに「かけめぐる青春」そのものだったのでは… と思わずにいられないのである。

*2019年9月7日に掲載された記事をアップデート

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