Do As Infinity【伴都美子インタビュー】10代で最初に出会った音楽とデビュー秘話を語る
結成25周年を迎えたDo As Infinity。ボーカルの伴都美子とギターの大渡亮が、自身の音楽的ルーツを遡り、今に至るDo As Infinityの音楽がどのように生まれていったのかを探るスペシャルインタビュー。それぞれに、《最初に出会った音楽》として10代の1曲。《自分を作った音楽》として20代の1曲。そして30代は、《人生を共にすると決めた音楽》を選んでもらった。
記念すべき第1回は、伴都美子が10代の頃《最初に出会った音楽》、そしてDo As Infinityの結成、路上ライブからメジャーデビューまでのヒストリーを語ってもらうことにする。
今井美樹さんやZARDを歌っていました
―― 幼少期はどんな音楽に触れ合っていましたか。
伴都美子(以下:伴):最初は歌謡曲でした。小学校に上がったぐらいの頃、山口百恵さんは何となく知っていて、あとはチェッカーズとかBOØWYとかが流れていたように思います。
―― 伴さんは1979年生まれなので、ティーンエイジャーの多感な時代は1990年代前半になりますね。この頃、どのような音楽を聴かれていましたか?
伴:中学から高校生に上がる頃には、カラオケも流行っていて、私の家にもレーザーディスクのカラオケがあったんですよ。近所の人が寄り合いみたいに集まったりして、そこで大人たちがよく歌ってました。まあ、あの時代はみんな何かしら歌っていましたから。
―― 伴さんご自身のレパートリーはどんな感じでしたか。
伴:私はそんなにレパートリーといえるほどのものはないんですけど、たまに友達とカラオケボックスに行って、今井美樹さんやZARDを歌っていました。大黒摩季姐さんは、よく聴いてはいましたけど、声量があって、自分が歌うにはハードルが高かったですね。
―― その頃から、将来はシンガーになろうと考えていたのでしょうか。
伴:心に秘めた思いはあったんです。でも、私はどうしても内に秘める性格なもので、そこまで積極的に考えてはいなかったです。あの頃、オーディション番組もいっぱいありましたけど、自分から応募することもなかったです。歌うことは好きでしたが、楽器に触れたこともないし、それこそ学校で習うリコーダーぐらい(笑)。楽器って高価というイメージがありましたし、音が鳴らせる環境となると、やっぱりお金持ちの子がやることだと思っていたので。
最初に自分でお小遣いを貯めて買ったCDはtrfの「WORLD GROOVE」
―― そんな伴さんが今回、10代の頃《最初に出会った音楽》として選んでいただいた1曲が、trf(現:TRF)の「WORLD GROOVE」です。これは1994年に出た同名のアルバムの収録曲ですね。
伴:最初に自分でお小遣いを貯めて買ったCDという意味で、これを選びました。この曲を聴いたのがちょうど高校生くらいで、小室哲哉さんの曲をみんなが聴いていた時代ですね。私が最初に聴いた小室さんの曲は、やっぱりtrfの「EZ DO DANCE」(1993年)で、お友達の家で聴いて “なんじゃ、こりゃー!” って(笑)。それまで聴いていたものとは全く違う、音楽を聴いてテンションが上がる感覚という経験を初めて味わいました。
その中でも『WORLD GROOVE』は、アルバム全体の流れが、すごく気に入ったんです。アルバムには「寒い夜だから…」とかヒットしていた曲も入っているんですが、私はタイトル曲の「WORLD GROOVE」が大好きで、聴けば聴くほどクセになる。アルバムに全然違うアレンジで3バージョン収録されているのも面白いし、なんだか宇宙の音楽を聴いているみたいな感じ(笑)。今までにない感じの曲だったので、ハマっちゃってずっと聴いていました。
―― YU-KIさんのボーカルに関してはどのように感じましたか?
伴:ビジュアルもカッコ良かったですし、私と同じショートカットだったことも親近感が湧きました。歌も要所要所で英語が入っていて、かっこいいなと。私が洋楽を聞くようになるのはその後ですが、楽曲も洋楽っぽいなあと思っていました。
とにかく一生懸命に歌うことだけを考えていました
―ー その後、高校を卒業して熊本から上京され、Do As Infinityのメンバーとしてデビューすることになりますが、まさしくtrfと同じエイベックスからのデビューでした。あの時代、エイベックスには様々な個性の女性シンガーが在籍していましたが、伴さんはご自身の個性をどのように打ち出していこうか、と考えることはありましたか。
伴:いや、作戦みたいなものは全然なくて、最初から体当たりで挑んでいましたね。私は本当に田舎から出てきた垢抜けない子だったので、他にないものを狙って、というより、とにかく一生懸命に歌うことだけを考えていました。
―― Do As Infinityは長尾大さん、大渡亮さん、そして伴さんの3名で1999年に結成されましたが、最初、大渡さんはどんな印象でしたか?
伴:最初は怖いお兄さんだなあと思っていました(笑)。年齢的にも7つか8つ上だったこともあって、最初はなかなかコミュニケーションが取れなかったんです。少しずつ言葉を交わしていって、初めましての3人が、どう心睦を深めていくか、まずはそこが共通の目標でした。その後、デビュー前のプロモーションの一環として路上ライブを始めるんですが、それが最初のチャレンジでした。お客さんを相手にする前に、仲間内でも仲良くしなきゃいけない。それで、本格的にコミュニケーションをとっていくようになりました。
―― 普通のバンドの結成の仕方とはかなり異なりますよね。
伴:そうですね。私は面白いなと思っていたんですが、バンドって呼ばれると、うーん… という感じでした。
―― 当時、エイベックスでも異色のユニットのように言われていたそうですが、路上ライブからスタートするというケースは珍しかったと思います。
伴:私が言い出しっぺでもあったので、まあそこはしょうがないんです(笑)。じゃあ、何がやりたいの? って訊かれても、私は下積み経験がないので、やっぱり歌う場所が欲しいと思ったんです。度胸もつけなきゃいけないし、まずは人前で歌うことをしたかった。当時、路上ライブをやっている人は街中に増えてきていたし、デビューが決定してからも全国各地に出向いてやりました。商店街の大売り出しの前で歌ったり、いろんな経験をしましたね。
路上ライブでやっていたのはオリジナル曲だけ
―― その頃、もうデビュー曲の「Tangerine Dream」や次のシングル「Heart」などは出来上がっていた?
伴:もう演奏していました。レコーディング前だったのでタイトルはまだなくて “M-1” とか “M-2” とかナンバーがついているだけ。路上ライブでやっていたのはオリジナル曲だけです。
―― お客さんの反応などは。
伴:私も “こういう感じでいいのかな?” と手探りでやっていたので、(大渡)亮くんが引っ張っていってくれた感じでしたね。通り過ぎていく通行人の方を呼び止めて、聴いてもらうようにMCをやったり。最初から私がお客さんに投げかけていった、というわけでもないんです。渋谷とかで路上ライブを終えた後、当時エイベックスが入っていたビルの横にあったチェーンの居酒屋に寄って、夜な夜な、ああでもない、こうでもないとディスカッションをしていました。亮くんに “MCっていうのはフロントの人間がやんなきゃダメだよ” なんて言われたり。ただ、グループの構成が珍しいでしょう? ボーカルにツインギターというスタイルだったので、ちょっと珍しいな、面白いぞという感じで、足を止めてくれる人が、徐々に増えてきたんです。
―― 路上ライブは通算100回を超えたそうですが、期間としてはどのくらいでしたか。
伴:8月頃から始めて、その年の11月には100回を達成しているんです。ほとんど毎日やっていて、結構ヒリヒリしたムードの時もありましたよ。後半にはもうレコーディングが始まっていたから、路上ライブのために1回渋谷に行って演奏して、その足でスタジオに戻ってレコーディングとか、かなりハードなことをしていました。
「Tangerine Dream」でメジャーデビュー
―― デビュー前からアイドル並みのスケジュールですね。実際、1999年9月29日に「Tangerine Dream」でメジャーデビューしてからは、立て続けにシングルをリリースしていきます。突然目まぐるしい日々を送るようになった急激な環境の変化については、当時どのように思われていたのでしょう。
伴:そこは、こう見えて私はかなり用心深いので(笑)、とにかくこのペースについていくことだけを考えていました。単純に、睡眠時間が短かろうが、チャンスを掴んだのだからやるしかないという気持ちで、もう必死でした。CDを出して世の中に出る前には、ミュージックビデオを撮ったり、ジャケット撮影したり、インタビュー取材を受けたり、最初の頃はテレビ出演はなかったけれどラジオに出たり、やることがいっぱいあるんだな、大変だなと思いました。ようやく落ち着いたと思えたのは、次の年にファーストアルバムを作り終えた頃でしょうか。アルバム1枚作るのにも様々なプロセスがあるんだなと、そこでも学ぶことは多かったです。
―― デビューシングルの2ヶ月後には次のシングル「Heart」が出ていますし、そこから「Oasis」「」と、毎月シングルをリリースしているわけですから、相当すごいハードスケジュールだと思いますが。
伴:そうですね。でも、私も初めてのことで、どういうペースが正解なのかもわからないし、もう言われるがままに動いていました(笑)。ヒットしているという手応えは、会社の人が一番気にしていたと思いますが、私たちはそれを把握する余裕すらなく、ただついていくのに必死でした。
第2回は、ギターの大渡亮が10代の頃《最初に出会った音楽》、そして影響を受けたバンドやギタリストについて、縦横無尽のトークが炸裂します!
Live Information
▶ Do As Infinity 26th Anniversary LIVE
・ 日程:2025年10⽉3⽇(金)
・ 会場:LINE CUBE SHIBUYA