伊藤銀次「LOVE PARADE」⑥ 大村憲司とのギターバトル!まるでクラプトンとジョージの関係
連載【90年代の伊藤銀次】vol.6
大村憲司編曲「涙の理由を」
アルバム『LOVE PARADE』で大村憲司さんに編曲をお願いした「涙の理由を」は、トラックのレコーディング時にはまだ詞ができてなくて、とりあえず仮のタイトルとして「涙のツンタタ」という曲名をつけていた。
80年代からずっとポップロックを作り続けていた僕もこの時点ですでに40歳を過ぎていて、これまでのような永遠のポップ青年のようなアーティストイメージから、欧米でいうとフィル・コリンズや、ジェフ・リンのプロデュースで蘇ったロイ・オービソンのような、もう少しアダルトな立ち位置の音楽をやったほうがいいのではという気持ちになっていた。
そこでオービソンの「ユー・ゴット・イット」や、J.D.サウザーの「ユア・オンリー・ロンリー」のような “♪ツンタタ ツンタタ” というドラムスのパターンの、ゆったりとした曲調がいいのではと、とりかかったのがこの曲だった。
そしてそのアレンジメントを大村さんでは? と提案してくれたのは、このアルバムの共同プロデューサーでディレクターの楚良(そら)隆司君。その名を耳にした時は「えっ?」と言う感じだったけど、今思えば、同じロックの時代を生きてきたギタリスト&アレンジャーである大村さんにこの曲を任せたことは結果としては大正解だったのだ。
フィル・コリンズやロイ・オービソンの世界観
大村さんの編曲の解釈によって、青山純、重実徹、有賀啓雄という、大村さんが選んだミュージシャンたちの作り出すサウンドは、往年の60sや70sの香りに満ちてはいたが、けっして懐メロのようではなくアップ・トゥ・デイトされている。まさに僕が描いていたフィル・コリンズやオービソンの世界観だったからね。
無事にリズムトラックのレコーディングが終わり、いよいよ僕のギターソロのダビングに。これがもう生涯これほど緊張した機会はなかった。噂では大村さんはとてもきびしくコワい人だと聞いていたし、しかもあんなにすばらしいギタープレイの大村さんが僕のギターを聴いてディレクションしてくれるのだから緊張しないわけがない。
まず間奏を弾く前に、大村さんから、歌中にショートリフを入れて欲しいとの指示があった。そこでジョージ・ハリソンの「マイ・スウィート・ロード」のギターリフのようなフレーズだとどうですか? と弾いてみたら、大村さんは “いいね” と気にいってくれ、さらに同じ箇所が出てくる2番にも入れて欲しいとの指示が。さっきとまるっきり同じだとつまらないので、これではどうですか? と、ちょっとくだけたフレーズを入れたら、なんと大村さん、大笑いで “いいねいいね” と絶賛してくれたのだ。大村さんがこんなにユーモラスな人だとは思っていなかった僕にはこれは嬉しい驚きだった。
このまるで大学の軽音楽部の先輩・後輩の会話のような雰囲気が僕をリラックスさせてくれ、ナチュラルな気分で間奏のギターソロを録音することができたとき、楚良君から、フェイドアウト用に長めに録ってあったエンディングで、大村さんと銀次さんとで交互にギターソロを弾くというのはどうですか? との提案が。
エリック・クラプトンとジョージ・ハリスンの関係のような伊藤銀次と大村憲司
そして実現したのがこの曲のハイライトとなったエンディングの2人のギターバトル。いやバトルというよりはギターによる2人のメロディックな語らいのようなアプローチ。
テクニカルに流麗にブルージーに歌い上げる大村さんのギターと、どこかカントリーフレーバーで朴訥な僕のギターは、まるでエリック・クラプトンとジョージ・ハリスンの関係のよう。信じられない話だが、このレコーディングは別々に録音したのではなく、2人同時に相手の音を聴きながらプレイしたライブ的なもの。めったに体験することないこのソロのやりとりが実現して、このセッションは生涯忘れることのできないレコーディングになった。
なぜかこのセッションで馬が合い意気投合した大村さんと僕は、その後2人のアコースティック・ユニットや、元サディスティック・ミカ・バンドの今井裕さんが加わったループを使ったユニットなどを組んでライブをいっしょにやるようになったのだが、残念なことに1998年に突然大村さんはこの世を去ってしまった。その知らせを聞いた時はあまりの突然さに声が出なかった。これからいろんなことをやっといっしょに楽しんでやっていけるのかと思っていた矢先のことで、僕は無念さにしばらく気落ちしたままだった。
ただ、その2人のユニットによるビートルズの「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のライブでのカバーが録音されていて、大村さんの死後リリースされたベスト・ライブ・トラックシリーズ『レインボウ・イン・ユア・アイズ~ベスト・ライヴ・トラックスⅦ』の中に収録されて形となって発表されたのが唯一のなぐさめだった。
大村さんとのこの演奏と「涙の理由を」は僕の生涯の宝物のような存在となったのである。