佐野慈紀、中継ぎ投手初の1億円プレーヤーとなった当時を振り返る
大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日13時~15時30分)、5月28日の放送に元プロ野球選手の佐野慈紀が出演。発売中の著書『右腕を失った野球人』にちなみ、これまでの野球生活や闘病について語った。
大竹まこと「今回の御本は『右腕を失った野球人』ということです。読ませていただきましたが、笑っていいんだか泣いていいんだか。わからなくなる御本ですね」
佐野慈紀「そうですかね(笑)。この本を書くことになった理由に、まだ心臓弁膜症をわずらっているというのも含めて、大げさですけどいつ命が途絶えるかわからない、というのもあって。もうひとつは今回のことでいろいろな方からお声がけをいただいた、ということもあって、その人たちの一助になるならいいかな、ということでした」
大竹「前半はご自分の歩んできた高校生から大学と野球へ突き進んでいった……。これが突き進んでいった、と言っていいのかどうか」
佐野「僕がプロ野球選手になったとき、当時のチームメイト、同級生たちがいちばん驚いていましたね(笑)。振り返っても決して甲子園を目指す、プロ野球選手になりたい、というわけではなかった。(さらに高校、大学時代のことを振り返る)」
大竹「オールスターゲームでのピッカリ投法は、もうお笑いのほうが向いているんじゃないの、って(笑)」
佐野「高校生時代は同級生に『硬派』と言われていたんですけどね(笑)。楽しいことが好きなので」
大竹「当時の近鉄だとチームメイトに野茂さんや、誰がいたんですか?」
佐野「いまロッテの監督をしている吉井さん、ずっと憧れていた阿波野さん、いま議員されている石井浩郎さん、ブンブン振り回すブライアントさん、野球より口から生まれてきたんじゃないか、という金村さん……」
大竹「写真が載っているんですが、近鉄時代の野茂さんとのニッコリした写真、そのあと出てくる写真は右手を失って投げている写真……。少ないな、と。少ないからこそグッとくるものがあります。水谷さんは読んでどういう感じですか?」
水谷加奈「糖尿病になってからのお話が壮絶すぎてビックリしたんです。その前にそもそも1億円プレーヤーでいらっしゃったと」
大竹「中継ぎで1億円もらえる人なんて当時いなかったわけですよね。先発やクローザーは注目を浴びるけど」
佐野「当時、評価といえば年俸の面ですけど、なかなか上がらないという部分があった。きっかけがあれば先発や抑えもいいかと思ったんですけど。先発は試合をつくる、クローザーは試合を締めるという役割がハッキリしている。途中で投げている俺らはなんやろう、と考えたとき、リリーバーっていちばんゲームを支配しているな、と。負けているときでも勝っているときでも抑えればチームに勢いがつくし、打たれればゲームが終わってしまう。そういうところにやりがいを感じたのがひとつ」
大竹「うん」
佐野「もうひとつ、そんな中で周りを見渡しても給料が上がっている人しかいなかった。ここで上げたら球界で1番になれるんちゃうか、という欲が出たんですね」
大竹「いまの中継ぎは当時に比べて大事にされていますね、年俸も」
佐野「ハッキリとした分業制になりましたし。いろいろな投手が担うようになったので、だいぶ野球も変わってきた、というのはありますね」