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大阪の下町歓楽街にナイチンゲール・岡本太郎が出現ーー『淀壁』発起人BAKIBAKIが狙う「十三周辺を壁画アートの聖地に」

SPICE

BAKIBAKI「淀川のナイチンゲール」(淀川区十三東2-2-3)

大阪・淀川エリアで話題のミューラルアートプロジェクト『淀壁』をご存じだろうか?

淀川区在住のアーティスト・BAKIBAKIと壁画制作会社WALLSHAREが運営する非営利プロジェクトで、コロナ禍に「医療従事者への敬意」をテーマに描かれたナイチンゲールの肖像壁画をきっかけに発足。現在では、淀川区・十三(じゅうそう)を中心としたエリアに国内外のアーティストとともに、恒久的に残る壁画制作を継続するプロジェクトとして、20カ所の壁画が誕生。

DOPPEL(淀川区西中島2-4-2)

街のあちこちで見かける壁画はどれも個性にあふれ、目を見張る大きなインパクトのあるものから、自然と街に溶け込むものまで様々。なかでも、大阪メトロ御堂筋線で中津駅から西中島南方駅へ向かう列車の車窓から見える、岡本太郎をモチーフにした壁画はインパクトも大きく、街の内外からたくさんの人が訪れる映えスポットとしても注目を集めている。

誰もが自由に鑑賞できる、「壁画美術館」となりつつある『淀壁』だが、同プロジェクトは公的資金を用いていない。クラウドファンディングと地域企業からの協賛で運営され、2025年の『大阪・関西万博』までに計30カ所の壁画完成を目標に活動を展開しているという。民間主導の地域活性化と国際文化交流だけでなく、国内の壁画文化の社会的地位向上も掲げている『淀壁』。今回、SPICE編集部ではプロジェクトの中心人物である、BAKIBAKIにインタビュー。大阪万博に向けて盛り上がる大阪の街で、壁画はどんな役割を果たすのだろうか。

BAKIBAKI

――BAKIBAKIさん自身も『淀壁』を実施している淀川区に住まわれているのでしょうか?

自宅もアトリエも淀川区内にあります。元々、僕自身は小さい頃は吹田市に住んでいました。今いるアトリエは元々祖父の鉄工場で、小さい頃はたまに遊ぶに来るくらい。工場の閉鎖後、自由に使えるということでその半分を間借りすることにして、そのまま淀川区に住んで9年ほど経ちました。

――国内外で活躍するBAKIBAKIさんにとって、淀川区の印象はどうですか?

「いい感じ」の下町。昭和の風情が残る下町で、生活もしやすい。でも刺激や若者のストリートカルチャーのない街。このスタジオでアーティスト活動を始めたときも陸の孤島のようだと感じましたが、十三という町は交通の便も良いし、大きなポテンシャルを感じます。

――大阪・キタエリアの中心、梅田駅からも近くて便利な町ですよね。

でも、若者カルチャーが広がりにくい、足を踏み入れにくい感じもある。オジサンたちのカルチャーは大きいんですけどね(笑)。

Dragon76、Gravityfree(淀川区十三東3-21-9)

――駅前には名酒場が並ぶ「しょんべん横丁」がありますしね。でもカルチャーとしては、堺への移転前にはライブハウス・ファンダンゴがありましたし、今もミニシアターの第七藝術劇場がありますよね。BAKIBAKIさんといえば、日本の伝統的な幾何学模様である「麻の葉文様」をアップデートした「BAKI柄」がシグネチャーです。関西のライブキッズやクラブヘッズたちにとって、十三ファンダンゴの入口ドアに描かれた「BAKI柄」をイメージする人も多いのかなと。

由緒正しいカルチャースポットはあるんです。でも、呑みや食に対するプライオリティが高い町、というイメージ。面白い人はいるんだけど、音楽やアートで繋がる感じではない。あくまでも「住む」町なんですよね。

――自身でクライブイベントをオーガナイズするほど、ルーツにはクラブカルチャーがあるかと思います。『ARABAKI ROCK FEST.』などの音楽フェスやクラブイベントでもライブペインティングを手掛けていました。音楽やストリートカルチャーのイメージが強かったので、『淀壁』をはじめ、近年は壁画に力を注いでいることを知って驚きました。

確かに最初の頃はそういった活動を身近にしていたんですけど、ちょうど大阪に戻ってくるかどうかというタイミングの頃から壁画のほうに移行していて。ライブペインティングはどうしても日本の中での出来事で終わっちゃうんですよね。でも壁画となると、海外ではたくさんのアーティストがいろんな国を行き来している。自分自身も世界を舞台に活躍することを考えたときに、壁画というアートが自分にハマったし、国内でも未開拓のフィールドだと思ってシフトするようになりました。当時は日本国内で壁画を描くことはすごくやりにくい環境だったんですよ。それは今もまだ変わらないんですけど、大阪はだいぶ門戸が開いて、やりやすい状況になりつつありますね。

民家の中に突如現れるObokata Magekoの作品(淀川区十三東3-20-24)

――色々なことが同タイミングで起きた結果、いまの活動に繋がっていったのですね。日本で壁画を描くことは「やりにくい」とのことですが、グラフィティーやタギングといった、建物や壁の所有者の許諾なく描かれる、いわゆる落書きのイメージが日本ではまだまだ強いのが現状ですよね。アートとしての認識がまだ追いついていない。

そうですね。でも、十三という町はそういう意味ではやりやすかったんですよ。グラフィティが盛んじゃなかったからこそ、ゼロからのスタートができた。町の人や行政の人たちが壁画に対して良い入り方ができた。『淀壁』のキッカケだった「淀川のナイチンゲール」が、医療従事者への感謝と敬意、社会へのメッセージを込めて描いたこともあり、町の人とコミュニケーションを取りながら完成させることができました。最初こそ誰も気付いてくれなかったけど、徐々にメディアが取り上げてくれるようにもなりましたしね。この町と壁画というのは一見するとミスマッチかもしれない。でも、日本では珍しい、大きなサイズの壁にいくつも描くことができたし、ひとつ完成すると「こっちも描いていいよ」と連鎖していく。徐々にやりやすい環境になりつつあるんですよ。

――最初のキッカケが町の人たちの壁画へのイメージを払拭し、そこからいまも続く『淀壁』へと続いていくのですね。

「淀川のナイチンゲール」を描いているときに『淀壁』に繋がる構想を意識していました。僕もいろんなところへ壁画を描きに行ったけど、自分の住む町にいろんなアーティストが来て、壁画を残していく取り組みができたらいいなと。自分に子どもができて、コロナ禍も重なって……。自分のフットワークがぎゅっと重くなったこともあって、来てもらえるし、行きたい町にしたいと考えるようになったんです。

――『淀壁』はクラウドファンディングをベースに活動をしていますよね。

僕自身、『淀壁』はボランティアで活動しているんです。でも、壁画を描く際の足場台や塗料などはどうしても経費がかかってしまう。お金の集め方にはいろんな選択肢がありますが、自分に一番向いていたのがクラウドファンディング。最初こそ『淀壁』には実績がなかったけど、自分が積み重ねたキャリアやファンの方たちに向けての大義名分がしっかりとあれば実現できるんじゃないかと思って。チャレンジではありましたけど、淀川区だけでなく、全国規模で『淀壁』をアピールできる機会にもなりますし。あと、支援してくれた人が「参加」した気持ちになるし、完成した壁画を観に来てくれる機会にもなります。

――『淀壁』はスタートからこれまでに20カ所の壁画が完成しています。これらの作品はどういった流れで描かれてきたのでしょうか。

海外の壁画フェスのように、同時期にいろんな国から5組ほどのアーティストが淀川区に集まって、壁画を描きはじめます。同時期に作業することで、アーティスト同士の交流にも繋がるのですよね。

――『淀壁』のなかでも特に大きな話題を集めたのが、BAKIBAKIさんとMONさんによるライブペインティングデュオ・DOPPELが描いた岡本太郎をモチーフにした壁画です。『淀壁』は2025年に開催される『大阪・関西万博』に向けての地域貢献として活動しています。1970年の『大阪万博』の象徴的芸術家でもある岡本太郎をモチーフに選んだのは、自然な流れだったのでしょうか。

2021年に『淀壁』を立ち上げたときから、『大阪万博』をキーワードにしていました。僕自身、当時の『大阪万博』の会場があった吹田市出身ということもあって、太陽の塔には大きな影響を受けていて。自分が生きている間に大阪で万博が開催されるなんてきっと最後だろうし、自分自身も40代でキャリアも良い感じに脂がのりつつあるなかで、2025年の万博までに自分が出来ることは何だろうと考えたとき、自分の住んでいる町を壁画で盛り上げたいという思いが生まれて。初めは相方のMONと、淀川を泳ぐ鯉とか、ほかのモチーフの構想もあったんです。でも、岡本太郎をモチーフにするほうがインパクトもあるし、意思表示として強いメッセージがあるということで選びました。

――御堂筋線の車窓から見えるインパクトは大きいですし、壁画の撮影中には町の人から「車で目の前を通るとすごい迫力やねんで!」というコメントもありました。

「こっから『淀壁』エリアやで!」という、門番的な存在感もありますね。

淀壁初の外国人アーティストとして、ロサンゼルスを拠点にするLAUREN YSが参加(淀川区十三東3-21-9)

――ほかにも、町の人からは「壁画が出来上がっていく過程も面白いし、町に海外のアーティストがやってきて絵を描く姿も新鮮。あとから有名なアーティストだと聞いて驚いたわ」というコメントもありました。壁画は街中にある建物の壁に描かれるので、完成までの過程を観ることができるのも壁画鑑賞の楽しさのひとつでもありますよね。

町の人が壁画を受け入れてくれたとき、ポジティブな言葉も多かったのです。町に彩りができたり、壁画を観に来た人がその道中に町で飲み食いする。町が活性化していく一つの装置として、壁画の存在が認められつつあるのかなと。

――BAKIBAKIさんにとって『淀壁』と、国内外で描く壁画に違いなどはあるのでしょうか。

僕は町の環境や文化に取っ掛かりがあるほうがやりやすいタイプではあるので、特に違いはないですね。でも、昨年末にホテルの壁に描いた虎モチーフの壁画があるんですけど、僕は淀川区に住んでいるのでそのホテルがどういうエリアでどういう通りにあるかを理解している。だからこそより繊細に、やるべきことを意識することができる。他の町や海外から来たアーティストとは違って、ローカル代表としての気合が入りますよね。

BAKIBAKI(淀川区十三本町1-10-13)

――十三の町を知っているからこその気合ですよね。

毎日ではないけど、ふとした瞬間に自分の壁画が目に入りますしね。「淀川のナイチンゲール」を描いたときにも「中途半端なことができへん」と強く思いました。お金どうこうではなく、プレッシャーに感じるんですよ。

――「淀川のナイチンゲール」は淀川区役所のすぐ隣にある建物に描かれていますから、役所に用事があるときにもついつい目に入ってしまいますよね。

そうなんですよ(笑)。でもモチベーションになりますよ。

――『淀壁』は国内外のアーティストが参加しています。アーティストを招聘するときの指針などはありますか?

自分に繋がりがあることはもちろん、ボランティアでやってもらうことが前提です。自分がこの町に住んでいるので、この場所にはこのアーティストがいいなとか、壁を貸してくれる壁主さんの人柄なんかも考えますね。あとは人物や抽象的なもの、イカついものから可愛いものまで、絵のテイストも町全体のバランスを考えています。

――絵のモチーフやテーマなどはどのようにして決めているのでしょうか。

誰がどの壁に描くかを決める時点で、大きなズレがないと思っているのでこちらから指示を出すことはないですね。僕自身はナイチンゲールや岡本太郎、虎を描いたのは町のため、という思いがありましたね。

――実は虎は2023年に阪神タイガースが優勝したから、という理由にも驚きました(笑)。

裏テーマみたいなものですけどね(笑)。僕は町への愛もあるし、町のために、と思っています。でも、壁画を観に来てくれる人にはその想いを気にかけてくれたらありがたいなーくらい。アーティストにも自分の表現したいものを、壁をキャンバスにして自由に描いてほしいし、それを代表作にしてもらえるように僕らもサポートしていきたい。だからこそ、こちらから何かテーマやモチーフを注文することはない。それにアーティストはみんなプロですから。ボランティアで描いてくれているのに、なかなか絵の注文まではできないですよね(苦笑)。自由にやってくださいという感じです。

kuua(淀川区十三東2-8-5)

――アーティストが自由に描くその壁は誰かの所有物。いわゆる「壁主」さんがいます。『淀壁』で描かれる壁もボランティアで壁面を提供してもらっているのですよね。

1年目はボランティアで始めましたが、2年目以降はお店のプロモーションを兼ねたりすることで、足場台の費用などを一部負担していただいたりしています。みなさん、出来上がるまではどんな壁画が完成するのか、不安もあるのが事実なんです。でも、僕はもちろん、他のアーティストも絵のクオリティは最低限のクオリティをキープしているので、完成したものに対しては皆さん満足されていますね。

――そうやって町に描かれていく壁画は下書きの段階から身近に観ることができる。他にはないアートの鑑賞方法が楽しめるのも特徴だと思います。しかもそれが無料、「タダ」で観られる。関西人にとってタダというのは、壁画がより身近に感じる要因のひとつにもなるはず。美術鑑賞、アートの入口としてもすごくいいですよね。

まさにそう! その感じが関西人、特に大阪の人にマッチしてる。

――この発言が飛び出す私自身も「大阪人やなー」と(笑)。老若男女隔たりなく楽しめるのもいいですよね。

よくぞ言ってくれたって感じです(笑)。こういう活動は京都や東京でも気軽にできないことだと思うんですよ。大阪にはお金を出してアートを買う人は少ないけど、『淀壁』みたいなものでアートに触れるのは大好きな人たちやと思うんです。

BAKIBAKI

――ストリートカルチャーのイメージを持たれがちな壁画が、パブリックアートへ変化していくキッカケにもなりますよね。

僕のルーツはクラブミュージックで、アンダーグラウンドなカルチャーから出てきているし、『淀壁』に参加しているアーティストも色々なカルチャーを背負っている。『淀壁』としてアウトプットするものはパブリックなものだけど、そこにはちゃんと自由度もあるんですね。アーティストによっては尖った表現もあるけど、スポンサーや行政が絡むとどうしても口出しされることもありえる。自由はお金で買えない。それを避けるためにも、クラウドファンディングが一番自由度高く表現ができるんです。

――いろいろなものがベストマッチして、今の『淀壁』ができているんですね。

正直、お金はないですけどね(苦笑)。『淀壁』も描いて終わりではなく、町と共に歩んでいくために壁画をケアしていくことも大事だと思っています。淀川区に住んでいることで周辺のパトロールもできるし、壁画の経年劣化や色の変化も見て回れますしね。

――大阪万博が開催される来年の2025年まで、あと10カ所の壁画が誕生予定です。プロジェクトの進行具合はいかがでしょうか。

いまは準備期間。アーティストはもちろん、壁探しの最中です。いくつか候補が出てきているので、今はシミュレーションを繰り返していますね。

borutanext5(淀川区十三東2-1-10)
LANP(淀川区十三東2-1-10)

――万博後、『淀壁』はどのように展開していくのでしょうか。「淀川ブルックリン化計画」というのも耳にしたのですが。ブルックリンはアートやカルチャーの発信地として有名です。ブルックリン川を挟んだマンハッタンとブルックリン、淀川を挟んだ梅田と十三、雰囲気も似ていますね。

僕が大阪に戻ってきたときに、十三をブルックリンみたいな雰囲気にしたいなというのを思い描いていて。壁画とかでそういう下地みたいなものを作っているつもりなんですけど、これから大阪万博以降、5、10年後には十三駅を通っている阪急電鉄が新大阪にも延伸したり、淀川の船着き場が賑わったり。これからどんどん大きな変化が生まれていくはずです。その時に、古いものと新しいものの橋渡しとして、『淀壁』の壁画が機能すればいいなと思っていて。ほかにも、「壁画の聖地」として観光客がツアーで観に来てくれたり。梅田にはできなくて、十三にはできることのひとつなのかなと。

――河川を隔てるだけで、町の雰囲気が異なる。最初にお話ししていた、まさにポテンシャルの高い町ですよね。

いまの自分のアーティストとしての活動はもちろん、「淀壁」の活動も含め、未来の十三を動かす歯車のひとつになれると思える町なんです。キタやミナミは飽和状態で自分が何かをする気には正直ならない。でも十三はこれから面白くなる町だと思っています。

――日本の壁画、ミューラルアートが発展していくキッカケにもなり得ますよね。

『淀壁』、十三がそのモデルケースになればいいですね。今後の『淀壁』はSNSなどで参加アーティストや作画中の動画などを発信していく予定です。2025年の万博イヤー、『淀壁』にも注目してほしいですね。

BAKIBAKI

取材・文=黒田奈保子 撮影=高村直希

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