『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』原作・共同脚本 武田一義先生インタビュー|「残酷だから見られない」を少しでも減らして、若い世代や子供にこそ見てもらいたい作品に
アニメ映画『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』が、2025年12月5日(金)より公開中です。
3頭身でかわいらしい絵柄のキャラクターと美しいペリリュー島。そんな癒やされる2つとは真逆に、凄惨な戦争の様子が描かれていく本作について、アニメイトタイムズでは原作、そして映画の共同脚本に携わった武田一義先生にお話を伺いました。
漫画と映画という媒体による魅せ方の違い、主演の板垣李光人さんとのお話、そして何より戦後80周年という節目に公開される本作が伝えたい想いなどをたっぷりお届けします。
※本作のストーリー展開について多少のネタバレを含みます。
【写真】『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』武田一義先生インタビュー
演じる人の力を改めて感じた吉敷の演技と、田丸がそこ居ると感じた声
ーー映画化の打診があった時の率直な感想を教えてください。
武田:嬉しいのと驚いたのが半々くらいでした。戦争を題材にしているので、とても難しいことになると自分でもわかっていたんです。なので、勇気を持って映像化の打診をしてくださったことに驚きつつ、嬉しかったというのが率直なところですね。
ーー本作には共同脚本として制作にも携わっていますが、漫画の作り方と映画の作り方で違いを感じたことはありますか?
武田:漫画は1話ずつを面白くするために1話の中で起伏を作るんですけど、映画は逆に2時間で1つの作品になるように起伏を作るというのが大きな違いでした。
そのためには漫画の1話ごとにあった起伏をなるべくなだらかに調節していく作業が必要で。例えばバトルシーンがあるとして、漫画の1話としての盛り上がりと、映画の2時間の中の1エピソードではずいぶん見え方が違うなと映画の脚本をやり始めてすぐに感じました。
ーー完成した映画を見た感想はいかがですか?
武田:漫画は止まった絵で、音とか声もない。音は擬音で表現していますけど、想像するしかない。それが演者さんの演技がつくことでキャラクターが生き生きとしてくるし、戦場の音による恐ろしさがリアルになる。漫画が足りないというわけではないんですが、そういったところで漫画とアニメの違いを強く感じましたね。
ーーアニメになって、動きや声がついたことで印象が変わったキャラはいますか?
武田:印象が変わったというわけではないんですが、吉敷がすごいんですよ。
中村さんが演じる前……誰が演じるかわかってない時は、実力のある方が演じてくれればその方なりのカッコいい吉敷になるだろうと予想していたんです。でも実際に中村さんが演じたら、カッコいい吉敷の中に、田舎の好青年の吉敷が居るんですよね。その感じがまったくの予想外で想像以上でした。
あとはやっぱり田丸ですね。田丸は漫画の中でも癒やし効果、かわいい感じのキャラクターデザインとほわほわっとした佇まいを原作では求めていたんですが、声をあてるのは難しいだろうなとも思っていて。漫画と同じような癒し効果を、どういった声の方が演じれば映画の田丸にも加わるんだろうと考えていたんです。そんな時に板垣さんが候補に上がって、板垣さんのYouTubeを拝見させてもらったら、自分が求める田丸がそこに居ました。
板垣さんの素の声はぽわぽわっとした癒やされる感じがあってとても田丸っぽいですし、真面目なことを普通に言っていても柔らかに感じられます。本当に僕が求めていた田丸の声がそこにあったんです。すぐにプロデューサーさんに連絡して「なんとしても板垣さんにお願いしてくれ」と(笑)。実際に演じた声を聞いた時にも「板垣さんで良かった!」と強く思いました。
「ぜひ子供たちにも見てほしいと思っています」
ーー映画を見て印象的だったシーンやここを見てほしいという注目シーンがありましたら教えてください。
武田:監督がペリリュー島の自然、動植物の描写にすごくこだわられたんですよ。南の島であるペリリュー島の美しさや、綺麗な夜空、朝焼け、夕焼けといった24時間の移り変わり。そういった綺麗な島の様子が映画ならではと思っています。
そしてそんな綺麗な島だからこそ、凄惨な戦場というものがギャップとして際立つとも思いました。ぜひ美しいペリリュー島の様子を劇場で確認していただきたいです。
ーー原作漫画とストーリーが違う部分もありますが、原作ファンに向けて映画の注目ポイントがあれば教えてください。
武田:どうしても(2時間の尺に収めるために)ストーリーを削らなければならなければいけないところが出てきまして。どうやってそれを解決していったかというと、これは共同脚本の西村ジュンジさんのアイディアなんですが、本作は「田丸の主観的な話にしていこう」となりました。
田丸が見ていない部分については映画の中では極力描写をしない……例えばペリリュー島本部の玉砕であるとか、日本が敗戦していく様子は自ずと省かれていきました。原作では日本が敗戦したことが描かれた上で兵士たちのその後が続いていくんですけれど、映画ではそういった描写はなく、時間だけが淡々と過ぎていく。戦争が終わっているのか終わっていないのか……もちろん見ている観客は歴史を知っているので分かってはいますが、映画の中の田丸に寄り添って考えるとそんなことはわからない。一兵士の目線として見たお話が展開していきます。
また、たくさんお話を削っていったわけですが、できる限り、削らない努力をしたのはキャラクターです。原作から明確に削られたのはそれこそペリリュー島本部に関わる人とかくらいで、田丸の身の回りの人ではあまり居ないと思います。特に泉くんや、片倉、島田、小杉といった大事なキャラクターを削らずに物語を纏められたというのは、正直よくできたなと(笑)。
一方で島民のニーナとケヴィンのエピソードなど、削られたお話もありまして、アニメになるに際してキャラクターの体験する歴史が変わったキャラも居ます。ただ一つ心がけたのは、原作よりもよりひどい目に合う改変だけはしないこと。あるキャラクターは原作では亡くなってしまいますが、映画では生きて帰ることができたとか。ニーナとケヴィンについても、最初に島民が避難する時に一緒に避難できて戦争という恐ろしい思いをせずに済んだという風に、原作からキャラクターがより不幸にはならない形にしたいという思いがありました。
ーー原作を描くにあたって膨大な量の取材を行ったと思いますが、その際に印象に残っていることがあれば教えてください。
武田:ペリリュー島そのもののことで言うと、未だに不発弾が残っているんですね。取材をしていく中でも「こちら側は何があるかわからないから、この範囲を歩いてください」と示されているんです。そういった感じで、一度戦地になってしまった場所っていうのは、何十年たってもずっとそうあり続けるのが現実なんだなと、初めてペリリュー島に行った時に知りました。
ーー戦争というテーマを扱うにあたり、原作漫画、映画ともに、気をつけていたこと、心がけていたことはありますか?
武田:これは原作を描く時の話なんですが、戦争なのでどうしても残酷なことをどんどん描いていくことになります。ただ、それを作り手がフルスロットルでやると見る人はあまりにもキツくてしんどくなりすぎてしまう。なので、戦争であった残酷な事実を描かなければ意味がないから描いていくけれども、受け手がどこまで耐えられるかというのを常に慎重に考えながら表現していくということをやっていました。
それはアニメの方々も……自分とは線引自体は違うけれども、みなさん考えながらやってくださっていたんだなと感じています。
なぜそういった所に気をつけていたかというと、ひとりでも多くの方に見てもらいたいという思いがあるんです。特に若い世代、子供に見てほしくて、映画のほうもなんとか頑張ってPG12で収めました。小学生でも保護者の方が一緒であれば見てもらえる作品になっているので、ぜひ子供たちにも見てほしいと思っています。
ーー漫画・映画という媒体は若い方たちも触れやすいメディアかと思いますが、本作に触れる若い方たちへメッセージをお願いします。
武田:みなさん言われるまでもなく、戦争が悲惨なもので、いけないことだと分かっていると思います。ただ、そのディティールとか具体っていうものがどんな物なのかっていうのは、もしかするとそこまで知らないかもしれません。
普段そういうことを勉強する機会も少ないと思いますが、娯楽として摂取しながら自然と知ることができるので、この機会に原作漫画や映画を見ていただきたいと思いますね。
戦争モノなので、楽しいことばかりではない作品です。見ていて辛い気持ちになることもあると思いますが、作り手としては一歩勇気を踏み出して見に来ていただければ、その勇気に応えるだけの内容の濃いものを用意したつもりです。ぜひ劇場に足を運んでいただければと思います。
[取材・文・二城利月]