「もう何もできない、捨ててくれ」津波に飲まれた太鼓が札幌で音色響かせ記憶をつなぐ
東日本大震災で津波にのみ込まれた1台の太鼓が、遠く離れた札幌で震災の記憶を伝え続けています。
連載「じぶんごとニュース」
夏祭りで響く、力強い太鼓の音。
バチを握る庄田道則さんと太鼓の出会いは、14年前にさかのぼります。
庄田さんは、2011年、東日本大震災のボランティアで宮城県気仙沼市を訪れました。
目の前に広がるがれきの山に、言葉を失ったといいます。
「14年、もう14年経っている、写真を見ると、涙が出てきますね」
津波のあとの片付けを手伝っていると、町内会館の片隅で泥にまみれた太鼓を見つけました。
長い間、町内の祭りでその音を響かせていた太鼓でした。
ボランティアで訪れていた地域の自治会長は「ウチの町内会はもう何もできなくなったから、もう太鼓は捨ててくれ」と話したといいます。
庄田さんが「こんな時に申し訳ないけども、札幌へもらって帰っていいですか?」とたずねると、自治会長は「札幌で活かすことができるならどうぞ差し上げます」と喜んでくれました。
太鼓を受け取った庄田さんは札幌に戻り、あることを計画しました。
「南区簾舞の町内会、盆踊りがないんですよね。もらってきた太鼓で盆踊りをすれば地域の皆さんも喜ぶかなと思って始めました」
つないだ絆…太鼓の故郷からも
そう、盆踊りです。
太鼓を受け取った地区から、「気仙沼千岩田地区太鼓まつり」と名づけて自ら太鼓を練習し、震災の翌年、初めての開催にこぎつけました。
今年も大勢の人たちでにぎわった祭り。
訪れているのは、地元の人だけではありません。
気仙沼に住む千葉清英さんは、知人を通じてこの祭りを知り、毎年気仙沼の特産品を販売しにきています。
「庄田さんの気持ちに打たれます、打たれっぱなしです。回を重ねるたびに、思いがどんどん伝わってくる」
祭りの終わり、庄田さんは、会場の人たちにこう呼びかけました。
「この太鼓を見ていただいて、14年前、東日本大震災があった。だけども、絆という言葉が生まれて、みんなで助け合ったんだということを思い出してほしい」
震災の記憶を忘れず、知らない世代にも語り継ぐため、太鼓の音はこれからも鳴り続けます。
連載「じぶんごとニュース」
文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部あい
※掲載の内容は「今日ドキッ!」放送時(2025年9月1日)の情報に基づきます。