藤原一族が天皇の外戚となり、摂関政治を始めるまで勢力を拡大した理由とは!?【日本史】
律令制度は唐の律令と同じではありません。難しすぎて現実には適用されず、現場の判断と裁量に任されました。
すると受領(ずりょう)として地方に下った下級貴族や土着の土豪、有力農民らが私的な利益追求を図るようになります。なかには武装して強大な勢力を築くと律令政府の命令に従わず、反乱に決起したり、地方権力として振舞うようになった者もいました。
そして、私領化した土地を中央の有力貴族や社寺に寄進し、それを隠れ蓑にして急速に力を蓄えていきます。何故なら、寄進された私領は荘園という名の租税免除地(不輸不入地)となるからです。
律令制度は空洞化しますが、荘園を集積して最大勢力にのし上がったのが藤原一族でした。藤原一族は代々、朝廷の要職を務め、最高位に就くや、天皇の外戚となり、摂関政治を始めます。
出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』著:鈴木旭