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知れば知るほどおもしろい「カバーオールの基礎知識」〜総論編〜

Dig-it[ディグ・イット]

レールローダー(鉄道作業員)やファーマー(農家)など、今日のアメリカの礎を築いた労働者のユニフォームとして恐慌や大戦など時代の影響を受けながら進化してきたカバーオール。ヴィンテージ古着やプロダクツの時代考証に精通するウエアハウスの藤木将己さんの言葉を元に、この歴史あるワークウエアについて掘り下げていく。

ウエアハウス広報 藤木将己さん|1974年、京都府生まれ。来年で創業30周年を迎える〈ウエアハウス〉の名物プレスで、ヴィンテージ古着だけでなく古書好きとしても知られる業界の重要人物のひとりである。

過酷な環境下で働く労働者を支えたタフな作りや 時代に煽られて変遷するディテールに魅力を感じます。

ワークウエアの王道・カバーオールを語るうえで欠かせないのが、ユニフォームとして労働者を支えたという事実や時代に応じたディテールの変遷だ。そこで、ヴィンテージ古着やプロダクツの時代考証に精通するウエアハウスの藤木将己さんに「そもそもカバーオールとはなんなのか?」というところから話を伺った。

「簡単に言うと、鉄道作業員や農家などの肉体労働に従事する者たちの作業着として作られたジャケットですね。実は“カバーオール”は和製英語で、アメリカでは“チョアジャケット”と呼ばれることが多いんです。素材はデニムが代表的ですね」。1880年〜’90年代に登場したカバーオールだが、藤木さん曰く、その歴史を紐解くうえでふたつのターニングポイントがあるのだという。

「ひとつは1929年の世界恐慌です。世界的な不景気のなか、当時のルーズベルト大統領が失業者を減らすために公共事業に力を入れたことで労働者が急増し、ワークウエアブランドの競争が始まるのです」。
’30年代のヴィンテージをみると、ポケットが4つ、首元にはチンストラップ、袖の3つボタンなどディテールが豪華なモノが多いのも納得だ。

「お洒落をするためではなく、あくまで必要に迫られて作られた道具なので、すべてのディテールに意味があります。例えば3つボタン付きの袖は、袖口を広く開けることができ、グローブをしたままでも着脱がしやすくなっています。’30年代はカバーオールの黄金期といえますね」。

ふたつめのターニングポイントは’40年代初頭のアメリカが参戦した第二次世界大戦。物資統制により、ディテールが簡素化されていったのだという。

「大戦の煽りを受けて、’30年代のような他ブランドとの差別化を図るための熱量が薄れていったのだと思います。ただ、“大戦モデル”という言葉があり、ヴィンテージ市場でも人気を博しているように、この時代ならではという付加価値を見出すこともできます」。

古書好きとしても知られ、米国のワーカーに関する書籍やワークウエアブランドのカタログを多数所有する藤木さん。それらを読み進めていくなかでさらに奥深いカバーオールの世界を知ることとなる。

「同じカバーオールでも西と東とで違いが見られます。例えば西の労働者の写真を見ると、そのデニムの表情からかなり着込まれていることが伺えます。おそらく一着を着続けていたのでしょう。逆に東の労働者、特に鉄道作業員はヒッコリーストライプやウォバッシュのカバーオールを綺麗に着こなしていて、自らの仕事にプライドを持っているように感じられます。当時は、プロ野球選手よりも鉄道会社で働くことが子どもにとっての憧れであった時代だったようです。

また、鉄道作業員や農家などがカバーオールを着用していたのに対して、カウボーイは短丈のGジャンを着ています。騎乗する際に裾が邪魔になるという機能面もそうですが、こちらも自身の仕事にプライドを持ち、カバーオールを着ることを嫌がったという面もあるようです」。着用する労働者の職業や労働環境によってもカバーオールの解釈は千差万別であったことがうかがえる。

最後に、藤木さんにとってのカバーオールの魅力を聞いたところ、「過酷な環境下で働くためのタフさはもちろん、時代に煽られて変遷していくディテールですね。ボタンやステッチ、ポケットなど様々な点から時代考証ができる点こそカバーオールの魅力ではないでしょうか」とのこと。

1920年代後半の〈シアーズ〉のカタログ。オーバーオールの上にカバーオールを羽織ったスタイルはワーカーたちの定番スタイルだった。

年代別に読み解くカバーオールの変遷。

ひとくちにカバーオール(チョアジャケット)といっても、歴史を紐解くと当時の時代背景や文化、それに労働者たちの環境によってデザインやディテールが時代とともに変わっていく。一般的なワークウエアながら、そんな歴史を見るてみると興味がさらに湧く。

1880年代_カバーオールの原型となるサックコート。

カバーオールの原型ともいわれている1880 年代のサックコートをサンプリングした〈ウエアハウス〉の1着(2005年製)。当時はワークウエアと日常的な紳士服の境界線が曖昧だったことで、ラウンドした裾などからテーラードの流れを汲んでいることがうかがえる。ポケットは左胸のパッチポケットのみ。

1910年代_機能性を重視し、裾ポケットが付くように。

広大なアメリカ大陸に鉄道網が敷かれ始めた1910年代のサックジャケット。ブラックのドーナツボタンやデニムの表情など、1800年代のサックコートに比べてもかなりカジュアルな印象。シルエットはややゆったりとしたAラインで、胸ポケットはなく、裾にパッチポケットが2つ付く。

1920年代_胸に変形ポケットが付いたレイルローダー向けのカバーオールが生まれる。

1920年代の鉄道作業員向けに作られたカバーオールをサンプリングした〈ウエアハウス〉の1着。ワークウエアの代表的な柄であるヒッコリーストライプや左胸に配置された“変形ポケット”など、現代において多くの人がイメージするカバーオールのデザインが見て取れるように。

1930年代_ポケットのデザインが豊富な“カバーオールの黄金期”。

ルーズベルト大統領が行ったニューディール政策により、労働者が急増した1930年代のヴィンテージを再現したウエアハウス製。他ブランドと差別化を図るために独自のデザインを追求したという時代背景もあり、左右に胸ポケットの付いた“盛り盛り”のデザインが特徴。

1940年代_軍の作業着にも採用され、戦時下には一般向けのカバーオールはデザインが簡素化された。

第二次世界大戦における物資統制により糸や金属パーツの使用を制限され、各ブランドの競争も沈静化していった時代であり、デザインは簡素化していった。写真はUSアーミーの1941年製でデニムのカバーオールが軍の作業用ジャケットとしても採用された。この後、ミリタリーカバーオールの素材はデニムからコットンヘリンボーンへと移行していく。

ビアジャケットの起源はホワイトデニムのカバーオールにあり。

アイビーリーグのひとつであるプリンストン大学の学生がバーでお酒を飲む時に着用したことから“ビアジャケット”と名付けられたホワイトデニムのジャケット。当時、同大学の近くに〈リー〉の工場があり、普段はテーラードジャケットを着ていた学生が、汚れても良い安価なジャケットを求め、ホワイトデニムのカバーオールを着るようになったのが始まりなのだとか。

個性的なデザインのチェンジボタンもカバーオールの魅力。

カバーオールの特徴的なディテールのひとつであるボタン。テーラードの流れを汲んだ縫い込みボタンからチェンジボタン、打ち込みボタンへと変遷していくのだが、なかでもワークウエアの黄金期とされる1930年代には、各ブランドがそれぞれの独自性をアピールするために個性溢れるデザインのチェンジボタンを採用していた。ブランド名の刻印は“掘り込み”ではなく“浮き出し”になっているものも多く見られる。

【取材協力】
ウエアハウス

(出典/「Lightning 2024年11月号 Vol.367」)

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