川嶋あい 0歳で児童養護施設 3歳で養子へ 12歳で真実を知り母を問い詰めた
養子当事者でシンガーソングライターの川嶋あい氏インタビュー第1回。生い立ちと真実告知について。4月4日「養子の日」に考える養子縁組の現在地。全3回
【画像➡】“血がつながらない親子”「養子縁組」幸せな親と子90%以上 の表を見る卒業式の定番ソングとして世代を越えて愛され続けている『旅立ちの日に…』。この曲はシンガーソングライター・川嶋あいさんの代表曲のひとつ。発表から長いときを経ても、数多くの人の心を癒やし続けています。そんな川嶋あいさんは、自身が“養子”であることを19歳のときに公表。10代の少女が自らの生い立ちを公表するまでには、さまざまな出会いや別れがありました。4月4日「養子の日」にちなんで、川嶋あいさんに当事者目線の話を聞きました。
自分が育った児童養護施設でのライブのあとに
川嶋あいさんが自らの生い立ちを公表することを決意したのは、17歳のとき。自分が3歳まで育った児童養護施設で行ったライブからの帰り道のことでした。
「施設の子どもたちは私の歌をキラキラした瞳で聞いてくれていたんです。その姿にいつのまにか、施設で過ごしていたころの自分を投影させていました。そして、同時にこの子たちはこれからどんなふうに自分の道のりを歩んでいくのだろうと思いました。
この先、この子たちが進んでいく道にはきちんと見守ってくれる大人の存在が絶対に必要だと強く感じ、この子たちを守るために養子や里親といった家庭養護をもっと広げていかなければいけない! そのために自分ができることはなんだろうと考えました。
そして、養子当事者である私が声をあげることで、誰かの心が何か1ミリでも動いて良い方向に進んでいくことがあるのなら公表しようと決心しました」
どのような経緯で養子となったのでしょうか。
「私は、生みの母が病弱で養育することができなかったため、生後間もなく乳児院に預けられたそうです。その後児童養護施設での生活を経て、3歳のときに養父母のもとに引き取られました。
育ての親にあたる父も母も、あふれるほどの愛を注いでくれました。母は私が音楽に出会うきっかけを与えてくれ、私が歌手になることを心から応援してくれていました。
父は私が10歳のときに病気で亡くなってしまったのですが、生前はいつも遊んでくれる本当に優しい人でした」
養親に引き取られて間もない4歳のころの川嶋さん。 提供:つばさレコーズ
真実を知るも変わらない母に救われた
川嶋さんが養子であると知ったのは、育ての母親と2人で暮らすようになった12歳のとき。偶然に出生にまつわる書類を目にしてしまったことで、真実を知ることに。
「子どもながら、養父母に顔が似ていないなと思ったことはありましたが、実子でないと疑ったことは全くありませんでした。
母に頼まれて家の金庫を開けたときに、偶然、出生に関する書類を見つけたんです。実母の欄には母とは違う人の名前と生年月日があり、中学生だった私は瞬間的に養子縁組の書類であるとわかりました。
思わず、書類を握りしめたまますぐ母を問い詰めました。信じられない気持ちと怖さや不安などが一気に押し寄せたような感覚でしたね。そんな私に母は、施設での出会いや養子縁組のことについて話してくれました。
そして、血がつながった親子ではないけれど『あいはお母さんの本当の娘やけんね』とやさしく言ってくれたことは今でもはっきりと覚えています」
その翌日、母親はいつもと何も変わらない態度で接してきたといいます。
「母はもともと豪快・豪傑な性格の人だったのですが、翌日にはいつもどおりの明るい母がいました。まるで、昨日のことはなかったかのように、これまでと同じ日常が始まりました。
でも、今思えばそんな母の態度に、あのときの私は救われたのかもしれません。心のなかではもちろんいろんな葛藤がありましたけど、真実を知った直後の私はこれ以上いろんなことを知るのが怖かった、知ることで悩みたくなかったというのが正直な気持ちでした。
でも、やっぱり真実を知ってから1年間くらいはふとした瞬間に聞いてみようかな? やっぱりやめようかな? と考えたこともありましたが、結局、そのとき以来、一度も母と養子縁組に関して話すことはありませんでした。母は私が16歳のときに亡くなってしまったので、今ではもう話をすることも叶いませんね」
川嶋さんに尋ねた 「真実告知」何歳でも乗り越えられますか?
「母からは本当に愛情をもらった」と話す川嶋さんからは親子の深い絆が伝わってきた。 写真:柏原力
真実告知が何歳でも必ず乗り越えられる
現在、子どもに養子であることを伝える「真実告知」は子どもがより幼いころから行うことが多く推奨されています。
それは、子どもには自らの出生について知る権利があるという「子どもの権利」の認識が高まっていること、また調査などにより低年齢時に真実告知を受けた子どものほうが、幸福度などが高いという結果が出ていることなどがその理由です。
川嶋さんは、思春期の12歳に、それも不本意なタイミングで真実を知ることになりましたが、養子当事者として真実告知についてどのように考えているのでしょうか。
「もし自分が幼いころに知ったとしたらという想像は、正直難しいです。でも、幼いころから日常の中で養子縁組について親子で話せる時間があったのであれば、穏やかに徐々に心の整理をしていくことができたのかもしれません。
今となっては、母がいつ真実告知をしようとしていたのか、もしくはするつもりはなかったのかは確かめることはできません。ただ、何歳で真実告知を受けていても、受け入れられるタイミングは必ずいつか来ると思います。
親子としてのお互いの愛情とか、一緒に過ごしてきた時間さえあれば、絶対に乗り越えられるものだと実感しています」
9歳のころ、育ての母と。青森のリンゴ園でリンゴ狩りをしました。 提供:つばさレコーズ
施設で働く大人たちへの支援も必要
生後間もなく乳児院に預けられ、児童養護施設での生活を経て、3歳で養子縁組によって川島家の長女となった彼女は「私はいろいろな人に命のバトンをつないでもらってきた」と語ります。
大人となった今、養子制度について、当事者としてどのように感じているのでしょうか。
「私の最初の記憶は、施設で毎晩めちゃめちゃ泣いていたことです。施設に松原先生という大好きな先生がいて、毎晩泣きじゃくる私を抱きしめてくれていました。とてもあたたかい記憶なのですが、きっと先生はすごく大変だったろうなと想像します。
ほかにもお世話をしなければならない子どもたちがたくさんいた中で、泣いている私を𠮟りもせず、ありのままで受けとめてくださっていました。もし、あのときに受けとめてくれる先生がいなかったら心が閉ざされていたかもしれません。
自分の経験からも社会的養護制度の充実は、本当に喫緊(きっきん)の課題だと思います。養子縁組や里親制度の認知度や理解度を広げていくことはもちろんですが、支援施設で子どもたちのことを全力でサポートしてくださっている職員さんの働く環境の改善や充実化をはかることも本当に重要だと思います。
ここで働きたいなと思ってもらえるようなアプローチとか支援策をぜひ広く考えていけるといいですね」
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次回は、川嶋さんの命のバトンをつないでくれていた方々について伺います。
●川嶋あいPROFILE
2003年にI WiSHのaiとして人気番組の主題歌「明日への扉」でデビュー。2006年からは本格的にソロ活動をスタート。代表曲としては、「My Love」「compass」「大丈夫だよ」「とびら」などがある。特に「旅立ちの日に…」は卒業ソングの定番曲として大人気を誇る一曲となっている。個人のライフワークとしてボランティア活動などにも積極的に参加しており、海外に学校建設を行っている。
取材・文/関口千鶴