普通の大学生がサーカスに入団した結果 → 全然使えないことが判明してしまった / 木下サーカスの思い出:第2回
世界一のサーカスをめざし……普通の大学生が木下サーカスに入団してしまった。年間観客動員数100万人を超える木下サーカスは「世界三大サーカス」の1つとして知られ、言うまでもなく世界中のトップパフォーマーが集結する大サーカス団だ。
団員たちは観客の期待に応えるべく、常に芸に磨きをかけている。毎年入ってくる新人の多くは、学生時代に優秀な成績を収めたトップアスリートばかり。
または芸術大学や音響・照明関連の専門学校を卒業し「華々しいサーカス・ショーを通して観客に感動を届けたい」「その喜びを共有したい」という思いを抱いて入団する者もいる。その一方で、普通の大学から勢いだけでサーカスに入団した私は……
使えないキャラを爆走していた。
・役に立たない新人の仕事編
サーカスに入団して最初に担当したのは「ピンスポット」。簡単に言えば、客席後方からアーティストやモノの動きに合わせてスポットライトを当てる仕事だ。
レバーで光の強度や範囲を調整したり、カラーフィルターをセットしたり、8の字を描くようにグルグル回したり……と、意外とやることが多い。
演目ごとに操作マニュアルがあって、綱渡りなどバランスが命の芸では「顔は絶対に照らさない!」など、細かい注意事項もある。
しかも公演ごとに演技や演出の見直しが行われるため、操作マニュアルも日々更新されていく。って、操作に慣れるだけでも精一杯なのに……
マニュアルなんか覚えられねぇぇぇ! と、無能な私は操作をよく間違えていたのだが……
・謝罪
操作をミスる度に「謝りに行ってください」と無線が入る。それはもう「(犯人は私ですと)自首してください」と言われているようなもの。毎回「バレたか……」と思いつつ、交代要員を呼んでスグに舞台裏に謝りに行くことになる。
舞台裏で待機している先輩方に「間違えたんか」「またお前か」とイジられながら、この世の終わりみたいな表情でショーに出演していた先輩を探し……先輩を発見するや否や「照明を間違えてすみませんでした」と頭を下げて謝りまくっていた。
ちなみに私は、男子校野球部の出身で「反省の表情・声のトーン」を完璧にマスターしている。つまり相手に「こいつは本気で反省しているから今回は許してやろう」と思わせるプロなのだが、ピンスポットという業務を通じて一段と腕が上がった気がする。
もちろん見せかけだけの反省という意味ではない。反省していることが相手に伝わらなければ謝罪をする意味はないということだ。社会で生きていくために必要なスキルの1つである。
なかには謝罪テクニックがまるで通用せず、無視を決め込む怖い先輩もいたが、ほとんどの方が「次から気をつけてな」とか「あ、そーなん? 全然気にならなかったけど」と優しい言葉をかけてくれた。
そんなこんなでピンスポットの仕事を覚えると、ショーの中での団員たちの動きがよく分かるようになった。観客の反応もまた然りだ。
アーティストの類まれなる身体能力やアクロバティックな技だけではなく、団員同士の絆や、困難な芸に立ち向かう団員たちの勇気もお客さんの心にダイレクトに伝わるようだ。サーカスは「生命の迫力」を感じるステージと言っていいだろう。
・仕事後
仕事後は自分の部屋(コンテナ)に戻る。仕事とプライベートの境目はあってないようなもの。「今日はやっちまったなァ」なんて日には、必ず先輩が部屋にやってきて「飯でも行こうや」と声をかけてくれた。
ベテランクラスの団員には各地に行きつけの飲み屋やスナックがある。先輩からビールの注ぎ方を教わり「男とは……」「お前もかっこいい男になれよ」と数え切れぬほど熱い指導を受けたものだ。夜のサーカスも迫力満点で、私にとって人生の授業だった。
酔っ払った先輩をタクシーに乗せて、運転手さんに「サーカスまで」と伝えると「お兄ちゃんたちは団員さんかね?」と必ず聞かれる。たしかに夜中に赤いテントに帰るのは団員しかいない。赤いテントが団員たちの帰る家なのだ。
立場は違えど一緒に汗を流し、ご飯を食べ、同じ家に帰っていく。仕事で全く役に立たなくてもサーカスでの生活は心地が良かった。実家を離れ、1年目は横浜から鶴見緑地、岸和田、高松、那覇と移動をくり返すうちにサーカス団員らしくなっていった……気がする。
・木下サーカスは北九州市で公演中
というわけで、今回はここまで。現在、木下サーカスは福岡県北九州市の「ジ アウトレット 北九州」特設会場で公演を行なっている。公演は6月30日まで。お近くの方はぜひ会場へ。それではまた!
参考リンク:木下サーカス
執筆:砂子間正貫
Photo:RocketNews24.