広瀬香美が冬の女王に君臨「ロマンスの神様」スキー場でヘビーローテーション!
連載【新・黄金の6年間 1993-1998】vol.38
▶ ロマンスの神様 / 広瀬香美
▶ 作詞:広瀬香美
▶ 作曲:広瀬香美
▶︎ 編曲:広瀬香美・小西貴雄
▶ 発売:1993年12月1日
誤解されている「クリスマス・イブ」、「3月9日」そして「ロマンスの神様」
誤解されている曲がある。
かの名曲―― 山下達郎サンの「クリスマス・イブ」もその1つ。今や日本が世界に誇るクリスマスのスタンダードナンバーだけど、同曲が見つかるキッカケにもなったバブル時代のJR東海のクリスマス・エクスプレスのCMの影響か、世間的にはイブの夜に恋人たちが愛を確かめ合うハッピーエンドの曲と思われている。だが、歌詞をよく読むと、イブの夜を1人寂しく過ごす失恋ソングである。アンハッピーエンドの曲なのだ。
レミオロメンの「3月9日」もそう。フジテレビ系ドラマ『1リットルの涙』の合唱シーンで歌われ、今やすっかり卒業ソングとして定着している。でも、ファンには有名な話だが、同曲はメンバーの友人の結婚式を祝うために作ったウエディングソング。歌詞の中に卒業を思わせるワードは登場せず、一方でミュージックビデオには結婚式のシーンがある。ただ、同ビデオは冒頭、まだブレイク前の堀北真希サン演じる高校生の卒業式から始まる。ややこしや。
そして、本コラムのテーマである広瀬香美サンの『ロマンスの神様』もそうだ。今や “スキーと言えばこの曲!” ってくらい、ウインターソングの定番曲である。30年以上前に作られながら、近年、TikTokで再ブレイクして、若い人たちからも支持されている。だが、同曲の詞をよく読むと、スキーの “ス” の字も出てこないばかりか、そもそも冬の描写1つもない。じゃあ、同曲は何を描いているのか。
―― 合コンである。アタマからお尻までOLを主人公に、合コンで素敵なカレシをゲットするハウツーをひたすら説いているのだ。
アルペンのCMに採用され、一躍ブレイク
勇気と愛が世界を救う
絶対いつか出会えるはずなの
沈む夕日に淋しく一人 こぶし握りしめる私
そんな広瀬香美サンの3枚目のシングル「ロマンスの神様」がリリースされたのは、今から31年前の今日――1993年12月1日である。担当ディレクターは、小泉今日子の育ての親(2年目から担当して「まっ赤な女の子」以降、ブレイクさせた人)と言われたビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント)の田村充義サン。当初、作曲家志望だった広瀬サンから送られたデモテープを見出し、シンガーソングライターとして同社との契約に導いたのが田村サンだった。
ところが、デビューしてリリースした2枚のシングルが目論見に反してハネず、3枚目のシングルの計画が宙に浮く。その時、スポーツ用品店の「アルペン」のCMコンペの話が舞い込み、2曲提出して、選ばれたのが『ロマンスの神様』だった。ちなみに、この時の落選曲が、「How To Love」(アルバム『SUCCESS STORY』に収録)。実は広瀬サン的にはこっちが本命で “スキー” “ゲレンデ” “ロッジ” “深夜バス” といったキラーワードを入れて臨むも、よもやの合コン曲が採用されたのである。
当初、『ロマンスの神様』はCDリリースの予定はなかったという。しかし、同曲を気に入ったアルペンから “制作費を半分出す” という異例の申し出があり、リリースに至った。後に広瀬サンは、初めてのタイアップ曲で右も左もわからず、CM監督や所属事務所、レコード会社などの関係者から言われるがままに何度も手直ししたところ、出来上がった楽曲は、まるで自分の作品じゃないように思えて落胆したという。
ところが―― 1993年末、同曲を使ったアルペンのCMが流れだすと、お茶の間はそのキャッチーなメロディーと “ロマンスの神様” というキラーワードに即座に反応。同曲はヒットチャートを駆け上がり、翌1994年1月10付のオリコンランキングで1位に。累計175万枚の大ヒットを記録する。
そして広瀬サンは翌年以降もアルペンのCM曲でヒットを連発し、“冬の女王” と呼ばれる。
三浦早苗と村上純が織りなすボーイミーツガール
アルペンのスキー用品のCMは、毎年、年をまたいでスキーの1シーズンで3ヶ月ほど流れる。その間、CMは同一シリーズが複数本用意され、連ドラのように物語が進んだ。1993年〜1994年シーズンに起用されたのは、当時モデルの三浦早苗サンと村上淳クン。スキー用品売り場で、彼女が落としたイヤリングを拾った縁で出会った2人が、シーズンを通じて距離を縮める “ボーイミーツガール” の物語。それを「ロマンスの神様」が盛り上げたのである。
Boy Meets Girl
幸せの予感 きっと誰かを感じてる
Fall In Love
ロマンスの神様 この人でしょうか
レジャー白書によると、日本のスキー人口がピークを迎えるのは、まさに93年。この年、1,860万人がスキー場を訪れたという。ちなみに直近(2020年)の数字は、スキーとスノボを合わせて430万人。この30年で日本のゲレンデの人口は4分の1以下になった。
そう、かつてのスキー場は男女の出会いの場だった。その火を着けたのは1987年公開の映画『私をスキーに連れてって』(監督:馬場康夫)であり、そのピークが『ロマンスの神様』が流れた1993〜1994年のシーズンだった。おっと、先に『ロマンスの神様』を “合コン曲” と紹介したが、実はアルペンの選択は間違ってなかった。あの時代、スキー場は “ゲレンデマジック”(*)も働いて、男女の出会いの場として合コン以上の成果を残したのである。
神メロディーは中学時代に生まれた
ただ、同曲がハネた最大の要因は、やはり、あの “神メロディー” だろう。J-POPのお手本のような耳馴染みのいいメロディーに、ポップチューン全開のアレンジ。同曲の下地は、既に広瀬サンの中学時代に完成していたという。
広瀬サンは小・中・高と、福岡市で過ごした。ご両親の方針で幼少期からクラシック音楽の英才教育を受けた彼女は、6歳の頃には早くも作曲を始めたという。メロディーメーカーとしてのピークは、なんと中学時代。その時に書き溜めた曲を下地に、デビュー後に作品に仕上げ、ヒットさせたケースも少なくないという。彼女の安定したアベレージの高さ(ヒット曲の量産)の裏には、そんな埋蔵金のようなメロディーのストックがあったのである。
ちなみに、「ロマンスの神様」のメロディーが降りた場所は特定されている。彼女が通った福岡女学院(福岡の人間は親しみを込めて “ミッション” と呼ぶ。有名なお嬢様学校です)の通学途中にある、西鉄大牟田線の井尻駅前のバス停である。実はあの界隈、僕の親戚も住んでいて、広瀬サンの中学時代くらいに僕もよく通ったので、もしかしたらすれ違ったかも(だからどうした)。
個人的には、「ロマンスの神様」は歌いだしのAメロが最も神だと思っている。2度繰り返される同パートが流れるだけで、僕の全身のアドレナリンは沸き上がる。もちろん、サビも神メロディーだが、見逃せないのが、2番が終わった後に入るCメロ。これも完成度が高い。そう考えると、同曲はメロディーの宝庫である。よく神曲は “1曲の中にいくつもアイデアがある” と称えられるが、さしずめ「ロマンスの神様」は1曲の中に何人ものメロディーの神様が住んでいる。
日本は八百万(やおよろず)の神の国である。
*雪面のレフ板効果とウエアの非日常感。女子の7割は『私スキ』の原田知世をまね、白のウエアを着た。
指南役の人気連載が単行本に!
当リマインダーの指南役の連載が単行本になりました!『新・黄金の6年間 1993-1998〜ヒットソングとテレビドラマに胸躍らせた時代〜』(日経BP)。それは、CDのミリオンセラーが相次ぎ、テレビドラマが視聴率30%を叩き出した1993〜98年の6年間にスポットライトを当てたもの。
あの時代、何ゆえエンタメ界(音楽、ドラマ、バラエティ、CM、アニメなど)で多くのニューカマーたちが生まれ、次々とビッグヒットを放てたのか。その空気感は、かつての『黄金の6年間 1978-1983〜素晴らしきエンタメ青春時代』(日経BP / 既刊)の再来を彷彿とさせる。しかし、そんな栄華も98年、1人の天才歌姫・宇多田ヒカルの登場で幕を下ろした。
“新・黄金の6年間” とは何だったのか。何ゆえ幕開け、ビッグヒットを連発し、突如終焉を迎えたのか。その答えを紐解いたのが、この本。エンタメ界の格言にこんな言葉があります。
「エンタメにおける優れた作り手とは、“過去のヒット作品をどれだけ知っているか” と同義語である」
―― そう、温故知新。この2020年代のエンタメ不況を乗り越える宝の地図は、きっと90年代に埋まってる。
Information
新・黄金の6年間 1993-1998~ヒットソングとテレビドラマに胸躍らせた時代~
90年代カルチャー総まくり!音楽、ドラマ、バラエティ、CM、アニメなどのジャンルから大型ヒットが生まれた1990年代。なかでも1993〜1998年の6年間に、なぜ多くの才能が次々と花開いたのか。その時代背景やヒットの仕掛けに迫る、リマインダーの人気連載を書籍化。
著者:指南役
発行日:2024年12月16日(月)
定価:1,980円(10%税込み)
発行:日経BP
仕様:四六判・並製・296ページ