ゴールデンウィークに観たいアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」① 社会現象になるまでの軌跡
今では信じられないが、アニメを好きであることが蔑みの対象になっていた時代がある。そんな状況から、アニメファンがマジョリティとなるひとつのきっかけを作った作品こそ、全26話のテレビシリーズを軸とした『新世紀エヴァンゲリオン』である。今から約30年前に発生したエヴァブームとはいかなるものだったのか? 当時の熱気を2回にわたり再検証したい。リアルタイムで体験した人も、そうでない人も── この熱に触れればテレビシリーズを一気見したくなるだろう。前編では、社会現象になった “エヴァ” ブームに至るまでの軌跡をたどってみる。
すでに注目の存在だった庵野秀明
1995年、日本は “世紀末” を思わせるような出来事が続いていた。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、八王子スーパー強盗殺人事件── そんな年の10月4日18時30分、『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビシリーズがスタートした。
詳しく知らない人にとっては、テレビ東京の夕方に放送されがちなロボットアニメの1つに見えたかもしれない。しかし、アニメファン── 特に制作者の名前に注目していた層にとっては、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』や『トップをねらえ!』『ふしぎの海のナディア』といった作品を手掛けていたGAINAXと庵野秀明は、すでに広く知られる存在だった。さらに、『月刊ニュータイプ』や『月刊少年エース』など角川書店系のアニメ誌、コミック誌では、放送開始前からプロモーションがなされていたため、一定の予備知識と熱量を持ったファン層が形成されていた。
主人公は、拒絶と逃避を繰り返す14歳の碇シンジ
西暦2015年、謎の災害 “セカンドインパクト” から15年後の世界。巨大な敵 “使徒" が人類を襲い、特殊機関NERVが人型兵器=エヴァンゲリオンを使ってこれに対抗する。物語は主人公・碇シンジの成長と葛藤、使徒との戦い、NERVに隠された謎の断片が描かれていく。
作品は、首尾一貫して異質だった。碇シンジはアクティブなヒーロー然とした主人公ではなく、拒絶と逃避を繰り返す14歳の男子中学生。ストーリーが進むにつれその心理は追い込まれていく。そして、レプリカントのような表情を変えない綾波レイ、攻撃性と脆弱さを併せ持つ惣流・アスカ・ラングレーという2人のヒロインは対称的な関係として描かれている。敵の実態はよくわからず、エヴァンゲリオンという存在自体も理解しにくかった。人類の存亡をかけた戦いが展開されながら、中学生の日常が細かく描写された。
作中には巧妙なフックがいくつも仕掛けられていた。エンディングにはジャズのスタンダード「Fly Me to the Moon」が流れるが、毎回アレンジが違う。クレジットのフォントは極太明朝体で、文字配置も独特だった。NERV戦闘指揮官である葛城ミサトだけ “エヴァ” ではなく “エヴァー” と呼ぶことや、第拾弐話「奇跡の価値は」における綾波レイの台詞、“ニンニクラーメンチャーシュー抜き” にも何か特別な意味があるのではないかと思わせた。“シンクロ率” “再起動” “初号機” …… そうしたワードも引き込まれる要素となった。
オープニング曲である高橋洋子の「残酷な天使のテーゼ」は中毒性の高い楽曲だった。だが、当時は “テーゼ” “パトス” といった歌詞の意味を簡単に調べる手段もなく、感想をすぐに共有できるBBSもまだ普及していなかった。一部のコアファンがNIFTY-ServeやPC-VANを通じて感想や考察をやり取りしていただけだった。放送から約1か月半後にWindows 95の日本語版が発売され、家庭へのPC普及は始まりつつあったが、まだオンラインで語り合う場は限られていた。
そんなネット黎明期ではあったものの、12月6日に放送されたテレビシリーズの第拾話は視聴率9.5%(ビデオリサーチ調べ。関東地区)と、当時の夕方のアニメとしては突出した数字を記録している。
「エヴァ」ブームは社会現象に
年が明け、テレビシリーズの後半では、主要キャラクターの内面の苦悩やトラウマが掘り下げられていく。キャラクターの不安定さがストーリーの緊張感を高めた。使徒の攻撃がより複雑かつ強力になり、“人類補完計画” や “セカンドインパクト” の背景が断片的に示唆され、物語のスケールはさらに拡大。視聴者の熱量も高まっていった。
人気が可視化された現象のひとつに、2月16日にリリースされたサウンドトラック『NEON GENESIS EVANGELION Ⅱ』が、オリコン週間アルバムチャートで4位になったことが挙げられる。そして、1996年3月13日、第弐拾四話「最後のシ者」には、新キャラクター・渚カヲルが登場し、物語はクライマックスに向けて加速していく。
ところが、3月27日に放送された第弐拾伍話「終わる世界」は、抽象的な映像と心理描写に終始し、物語の続きを明確に示さない内容だった。この回は視聴者を当惑させたが、最終話への関心は一層高まった。ところが、翌週の最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」もまた前回同様の構成だった。使徒が全滅するわけでも、碇シンジが希望を持って明日に向かって歩き出すわけでもなかった。だが、視聴率は10%を超えた。
このラスト2話の処理は、予算とスケジュールの逼迫が原因だったとされる。SNSがない時代、“炎上” する。ことはなかったが、雑誌の投稿欄や、当時のパソコン通信などに否定的な意見があふれたほか、GAINAX宛に抗議の手紙・電話が寄せられたといわれる。しかし、そのあまりに前衛的な終わり方によって、『エヴァ』は、特異なアニメ作品として強く印象付けられた。やがて、一般の新聞でもブームを社会現象として取り上げるようになる。
インターネットの普及期を象徴するコンテンツ
テレビシリーズ放映終了の翌月、最終2話を当初の脚本をもとにリメイクしビデオとレーザーディスクでソフトとして発売すること、そしてそれと連動する完全新作となる劇場版の制作が発表された。同時に、テレビ東京の深夜枠で再放送が開始され、普段はアニメを観ない新たな視聴層を獲得。異例の高視聴率を記録し、深夜におけるアニメ放送の可能性を広げることになる。6月3日にはサウンドトラック『NEON GENESIS EVANGELION Ⅲ』が発売され、オリコン週間チャートで1位を獲得した。
前後してビデオレンタルが開始されたが、この時点で全話がパッケージ化されていたわけではなかった。レンタルからの参入組は続きが観たくて仕方がなかった。夏にかけてはアニメ誌の『エヴァ』特集ラッシュが展開され、作品世界やキャラクターに関する深掘りが行われた。また、この頃、サブカルチャー雑誌『クイック・ジャパン』(太田出版)も『エヴァ』を大々的に取り上げている。
1996年8月、晴海から有明の東京ビッグサイトに会場を移したコミックマーケットでは、エヴァに関連する同人誌が急増し、ファンダムは全国に広がりを見せた。急速なインターネットの普及もあり、ファンサイト、BBSなども広まり、以後、『エヴァ』は日本におけるネット黎明期を象徴するコンテンツとなっていく。
そして、11月1日、東京都内で記者会見が開かれ、当初の計画を発展させた『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』の制作が正式に発表された。『シト新生』はテレビシリーズの総集編『DEATH』と、ラスト2話のリメイク版『REBIRTH』で構成されるとされ、同年夏には完全新作の劇場版が公開される予定であることも明かされた。続いて発売された綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーのイラスト入りテレホンカード付き前売り券は即完売。『シト新生』への期待は膨れ上がっていった──。
後半では、テレビシリーズ放送以後、劇場版公開を経て『エヴァ』にどのような影響力があったのかを検証してみたい。