ギリシャ神話はどんな〈かたち〉で伝承された?──平藤喜久子さんとたどる、私たちの「神話」【宗教のきほん】#3
私たちはどこから来たのか、何者なのか、そしてどこへ行くのか──。このような問いへの答えとして、世界各地に伝わる「神話」。
國學院大學教授で神話学者の平藤喜久子さんが、日本と世界のさまざまな神話を取り上げ、その多彩な物語の背景と私たち人間に共通する思考をたどっていく『宗教のきほん 人間にとって神話とは何か』が発売となりました。
「知りたい」に手が届く、NHK出版「宗教のきほん」シリーズ最新刊の本書、序章より、文学作品のなかにちりばめられた「ギリシャ神話」についての一節を公開します。
文学のなかで伝えられたギリシャ神話
『ギルガメシュ叙事詩』は、そのタイトルからわかるように、詩の形式を用いて綴られています。つまり、『ギルガメシュ叙事詩』は世界最古の神話を伝える史料であると同時に、世界最古の文学でもある。言い換えれば、文学作品のなかで神話が綴られているということです。
文学作品のなかで綴られている神話、という意味で、長い歴史を持ち、また圧倒的な知名度を誇るのはギリシャ神話でしょう。『ギルガメシュ叙事詩』は、現在たどることのできる神話のなかで最も古いものと言えますが、先ほども述べたように、百七十年ほど前まで、長くその存在自体を知られずにいました。一方、ギリシャ神話は、古代以来、文学作品のなかでさまざまな物語が語り継がれ、絵画や彫刻などの美術作品や二次創作、三次創作などにより、長く親しまれてきて、遠い異国の私たちにとっても、最もよく知られた神話となっています。
ギリシャを訪れ、首都アテネの街に降り立つと、街の中心にそびえ立つアクロポリスの神殿を見ることができます。そこに祀られているのはアテナという女神です。アテネの人びとは、昔もいまも、その神殿を見上げながら暮らしてきました。また、そのふもとには、古代において、豊穣とブドウ酒の神として人気で、演劇の神ともなったディオニュソスに劇を捧げていた屋外円形劇場を、当時の様子を想像できるような姿で間近に見ることができます。
アテナやディオニュソスのほかにも、ギリシャでは、数多くの神々の物語が長く語り継がれ、神話が身近なものとして存在してきました。ただ、それは「ギリシャ神話」というタイトルを冠するような一つの文献ではなく、古代以来、さまざまな詩人、作家によって紡がれた叙事詩や悲劇など、文学作品のなかにちりばめられるかたちで伝えられています。
ギリシャ神話を伝える代表的な文学作品としてまず挙げられるのが、ホメロスの叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』です。ホメロスは紀元前八世紀後半に活躍した伝説的な吟遊詩人で、『イリアス』『オデュッセイア』はともに、神と人間たちが入り乱れて知力と武力で戦ったとされるトロイア戦争に材をとっています。
ホメロスの二作品と並んでよく知られているのが、ヘシオドスという詩人の『神統記』です。その名のとおり神々の系譜を記したもので、どのようにギリシャの神々が登場したのか、どのようにしてギリシャ神話の世界がはじまったのか、といったことが伝えられています。
ただ、これらはいずれも、ホメロス、ヘシオドスという一人ひとりの詩人に帰せられている作品(創作物)であり、当時の人びとが共有していた神話の物語そのものであるかどうかは、いまとなってはわかりません。彼らをはじめとする、さまざまな人びとが創作した文学作品のなかに伝えられている個々の物語、その集合体がギリシャ神話であると言えます。
そのため、作品ごとに、微細なものから大きなものまで違いがあり、ギリシャ神話について「これこそが決定版だ」と語ることが難しい、という事情があります。さらにこの状況を複雑にしているのが、ローマ神話の存在です。古代ギリシャの文化の影響を受けた古代ローマの人びとは、自分たちの神々をギリシャ神話の神々と同一視し、ギリシャ神話になぞらえた物語で自分たちの神々のことを語りました。たとえば、ギリシャ神話に登場するゼウスはローマ神話のユピテル、アフロディーテはウェヌス(英語ではヴィーナス)、というように。
その後、キリスト教が支配的になったのちも、ヨーロッパの文化においてギリシャ神話・ローマ神話は影響を与え、文学作品はもちろん、絵画などさまざまな芸術分野において表現されてきました。そのような事情ゆえに、最も有名だけれど、その実態を捉えるのが難しい──。それがギリシャ神話だと言えます。
本書『宗教のきほん 人間にとって神話とは何か』では、「神話を知るために」「神について考える」「神話が伝えていること」「神話と歴史はどう関わるのか」「神話から何が学べるのか」という章構成で、愉快で深い「私たちの起源」を探っていきます。
著者
平藤喜久子(ひらふじ・きくこ)
山形県生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(日本語日本文学)。専門は神話学、宗教学。現在、國學院大學神道文化学部教授。NHK Eテレ「趣味どきっ!」の「ニッポン神社めぐり」シリーズで講師を務める。著書に『神話学と日本の神々』(弘文堂)、『日本の神様 解剖図鑑』『世界の神様 解剖図鑑』『物語をつくる神話 解剖図鑑』(いずれもエクスナレッジ)、『「神話」の歩き方』(集英社)、共編著に『神の文化史事典』(白水社)、『〈聖なるもの〉を撮る 宗教学者と写真家による共創と対話』(山川出版社)など多数。
※刊行時の情報です。
■『宗教のきほん 人間にとって神話とは何か』(平藤喜久子 著)より抜粋
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