伊藤銀次とウルフルズ ⑪「大阪ストラット」のレコーディングで起こった奇跡の出来事!
大好評連載中:連載【90年代の伊藤銀次】vol.15
「買い物ブギー」をカバーしてはどうだろうという驚きの提案
「大阪ストラット・パートⅡ」の制作に入るちょっと前にやたらEAST END × YURIの「DA.YO.NE」が流行っていた。たぶん、日本で最初にラップをとりいれて大ヒットしたJ-POPというか歌謡曲だと思うのだが、当時僕はこれを何度か耳にしては個人的に思い返すことがあった。
1973年、上京した僕のバンド “ごまのはえ” が福生でアルバム制作のために日夜、大滝詠一さんにプロデュースしてもらっていた時のこと。大滝さんから、なんと笠置シズ子さんの「買い物ブギー」をごまのはえでカバーしてはどうだろうという驚きの提案があったのだ。
日本のポップミュージックの開祖の1人、服部良一さんの手になる「♪わてほんまに よう言わんわ」でおなじみのこの曲、“大阪出身のバンドだから大阪弁はお手のものだろ” と言う大滝さん。しかもこの頃、アメリカでもエディ・ケンドリックスの「キープ・オン・トラッキン」やスティーヴィー・ワンダーの「レゲ・ウーマン」(Boogie On Reggae Woman)などのブギーの新解釈がちょっとした流行りに。これは面白いと思ってメンバーに振ったところ、ほぼ全員の反対にあってこのアイデアはなくなってしまったのだった。
ラップに対抗できるトータスによる大阪弁のリズミックな語り
もしあの時「買い物ブギー」をやってたらその後僕たちはどんなふうになってたんだろう? もう帰らない過去と納得して心の奥にしまってあったものが、大滝さんの「福生ストラット」の替え歌といってもいい「大阪ストラット」のアレンジを考えている時に、やにわに再び姿を現したのだ。
ウルフルズのバージョンのおおまかなリズムの感じはニューオリンズのザ・ミーターズをめざしたことは前にも触れたが、ザ・ミーターズの曲の間奏には “ブレイクビーツ” と呼ばれる、ドラムスのリズムパターンのソロの部分がよくあった。そこでそれを「大阪ストラット」にも取り入れることにしたのだが、やっぱりJ-POPだとそこに歌やギターなどの楽器が入ってないと持たない感じがした。
そこで閃いたのが、そうだ、ここにラップではないが、それに対抗できるトータスによる大阪弁のリズミックな語りをいれたらというアイデア。ただ自分でも驚きの突拍子もないアイデアなので、とりあえず16小節のブレイクビーツを2箇所作っておいて、もしトーキングがうまくいかなかったらギターの間奏でも入れようくらいのおぼろげな感覚でレコーディングに望んだ。
思いもよらない奇跡を生み出す男、トータス松本
セッションは順調に進んで、いよいよ歌入れ。そこでおもむろにこのアイデアをトータスにふってみたら、彼はちょっととまどいをみせながらも “ちょっと考えてみます” としばし考えに入り “お待たせしました。できました。ちょっと流してくれますか?” えっ?もうできたの?と思ってるうちに彼が語り出したのが、あの主人公のダチの宮内君や、タバコの自動販売機の前で足を踏んでくるオバチャンや、ネギおまけの立ち食いうどん屋のオバチャンなどが次々登場してくる見事なストーリーのテンポよい語り。もうぶったまげた。なんとなく思いつきで言ってみたものがこんなふうな大阪の匂いぷんぷんの見事な語りで、まさか即座に出てくるとは‼
聞いてみれば、なんとトータスは学生時代に落ち研(落語研究会)にいたとのこと。なるほど! “この道ブァーっと行ってブァーっと曲がって…” のあたりの言い回しは確かに上方落語の定番。しかもサイズもばっちり。ライブでのことが心配で、このパートはフリーサイズにしといたらとアドバイスしたけれど、“いや大丈夫です” とトータス。
その後ライヴで聴いたこの歌、この箇所で言葉が足りなかったり、はみだしたりしたことは1度もなかった。おそるべきタイム感覚‼そしてその氷山の下に無限の才能を潜ませ、突けば突くほど思いもよらない奇跡を生み出す男、トータス松本。音楽の神様が見ていてくれたのか、ひょんな思いつきがここにきてついにとんでもない作品を生みだすことに。今思えばこれが「ガッツだぜ‼」の予告編だったのかもしれない。最高に面白いものができた感激に酔っていた僕たちだったが、この「大阪ストラット・パートⅡ」に思いもよらぬ障壁が立ち塞がっていたことは、この時点では1ミリも思い描くことはできなかったのだった。