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BRAHMAN結成30周年SPスタッフ座談会ーーステージを支えてきた裏方のプライド、共に歩んできたバンドとの歴史を語る

SPICE

写真左から、加登屋和愛(ステージ照明)、西片明人(サウンドエンジニア)、倉橋慶治(コンサートプロモーター)、三吉ツカサ(カメラマン)、西村佳樹(ディレクター)、鎌倉良行(マネージャー)

結成30周年記念、3日間に渡って幕張メッセで開催されるBRAHMANの『尽未来祭 2025』。メンツがエモい、アツい、ていうかカオスすぎる、と大きなどよめきが広がっている現在だが、開催直前企画として、今回は普段スポークスマンとして出てくるTOSHI-LOW以外の声を聞くリレーインタビューをお届けする。


第4弾はバンドのステージをがっちりで支えるスタッフ、というより准メンバーと呼ぶべきチームBRAHMANの面々を代表して、ディレクター西村佳樹、サウンドエンジニア西片明人、マネージャー鎌倉良行、カメラマン三吉ツカサ、コンサートプロモーター倉橋慶治、照明の加登屋和愛の6名。バンドと共に長い時間を歩み、それぞれのプライドとキャリアを築いてきた彼らの声をここにお届けする。

鎌倉良行(タクティクスレコーズ/マネージャー)

BRAHMANとの出会いと関わり


それぞれの現場とバンドへの想い

一一私が彼らに初めて会ったのは1998年の春。KOHKIさんが加入して数ヶ月で、渋谷サイクロンで偶然観たんですね。で、アルバム『A MAN OF THE WORLD』で初取材をするんだけど、TOSHI-LOWさんが超感じ悪かったっていう第一印象です。こんな感じで、バンドに出会った順に、みなさん当時の話を教えてください。最初はまず鎌倉さん。

鎌倉良行(タクティクスレコーズ/マネージャー):最初に知ったのは地元にいた頃で。まだデモテープしか出してなくて、松本の先輩たちがこういうバンドやってるんだって認識してた。ライブを最初に観たのは96年、1stミニアルバム『grope our way』のレコ発かな。自分が働いてたライブハウスに来てくれて、ライブはもちろん格好よくて。そこから自分のバンドで東京に来たタイミングで、RONZIさん、MAKOTOさんに「なんか手伝わせてください」って感じでローディーになるのが97年の秋ぐらい。で、マネージメントみたいなことを始めるのがタクティクスレコーズを作った99年か。でも……出会いの順で言えば、この中だと一番長いのセンパイ(西片の愛称)じゃないの?

西片明人(SPC/サウンドエンジニア):そうかもね。96年には見てる。DAISUKE(初代ギタリスト)がいる時で、シェルターのライブのPAやったと思う。そのあとDAISUKEが抜けて、3人でライブやってるのも一回観たことあるな。演奏のレベルとかそういうこと言ってもしょうがないけど、〇〇っぽいな、っていうのがまったくなくて。珍しいタイプのバンドだと思ってた。

一一97年の『AIR JAM』を観たあと、TOSHI-LOWくんはセンパイの音に感銘を受けて「僕らもPAやってください」って直談判しに行ったそうですね。

西片:そう。TOSHI-LOWは出演してないけど物販手伝ってたらしくて。その後から一緒に関わり始めた。KOHKIが入ってすぐくらい。

西片明人(SPC/サウンドエンジニア)

一一出会った順でいうと、次はツカサ?

三吉ツカサ(showcase/カメラマン):そうね。観たのは新宿アンチノックが最初。まだDAISUKEさんの頃。あと3人時代のシェルターは撮ってる。俺はまだライブハウス通い出してすぐだったから、バンドの印象っていうより、その場所自体が格好よく見えて。具体的にライブがどうだったとかはあんまり覚えてないけど。で、98年の『AIR JAM』も撮って、そのあと「ツアーも撮りたいから連れてってください」って話をした。初めて一緒に回ったのが『A MAN OF THE WORLD』のツアーだった。

一一次は西村さんです。

西村佳樹(トイズファクトリー/ディレクター):そうですね。僕が最初に観たライブは97年なんですよ。2月くらいの『BAD FOOD STUFF』。トイズではハイスタとCOCOBATを出したカーネイジってレーベルが始まっていて、そこに携わってたから、その延長で「BRAHMANってバンドが注目されそうだ」という話で。僕が観た時はもう注目されてた。お客さんも付いてたし。そこからメンバーと関わっていくんだけど、最初はもう……なんも話してくれなかった(笑)。

一一メジャーの人間に敵対心や猜疑心があった時代。

西村:いつライブ行っても「は? 何?」「お前はこういうとこ来んな」みたいな感じ。MAKOTOとRONZIは最初から優しく話してくれるんだけど、TOSHI-LOWはほんと、舐められたくないって感じ。で、俺も「はぁ?」って思いながら、そこからずっと追跡していくんですね。もともと『A MAN〜』をトイズファクトリーから出さなさいかって話をしてたんですよ。当時、これからファーストアルバムのレコーディングを始めると聞いていたから。

一一その頃からずっと口説き続けていたんですね。

西村:そう。不信感はあっただろうけど、彼らも本当はメジャーでやりたい意識を持ってたと思う。出会った頃はRONZIとかMAKOTOはまだ働いてたし。だから「メジャー行ったらお金もらえる、音楽だけに集中できるんじゃない?」と思ってはいるんだけど、なかなかウンとは言わない。『A MAN OF THE WORLD』のツアーもだいぶ通いましたね。

三吉:当時、契約したいレコード会社の人間が各社いた記憶がある。

鎌倉:そうそう。でも西村さんが一番多く来てくれた。

西村:行くたびに「なんか奢れ」って言われて。奢り続けました(一同笑)。

西片:しょうがねぇから(笑)。それで契約したんだ。

西村:だからセンパイとツカサとカマチ(鎌倉)に会ったのもその時期。ツカサまだ17歳くらい? カマチは18歳とかで。この2人からは「吉野家奢ってください」ってよく言われた。

西片:「大盛りでもいいっすか?」(笑)。

三吉:「おしんこもいいですか?」(笑)。

鎌倉:『A MAN〜』のツアー、ツカサはホテルの部屋すらなかったもんね。

三吉:うん。「俺も連れてって」っていうだけのお願いだったから。だから誰かの部屋の床で寝るか、ロビーで一晩ぼんやりしてる感じ。

西村佳樹(トイズファクトリー/ディレクター)

一一最初に若者2人と頼れるセンパイがいて、そこに西村さんが加わる。トイズファクトリーから「deep/arrival time」が出るのが99年9月です。

西村:うん。これを出せたことが、もう俺にとっては最大の喜びであり、ずっと原点でもあり。何年経ってもこのスタートラインは忘れられない。いろいろやってますけど、ディレクター稼業としては自分の最高傑作。もう気持ち悪くなるくらい苦しかったし(笑)、これを出すまでの一歩がほんとキツかった。TOSHI-LOWなんてボーカルブースに行っても何にも言わない。毎回「はぁ?」みたいなこと言ってくるし。でも自分で選んだリリースプランだったから。やっぱりこれは一番印象深いですね。

一一続いてチームに加わるのは倉橋さんですよね。

倉橋慶治(スマッシュ/コンサートプロモーター):99年の後半かな。それまでスマッシュでBRAHMANは別の人が担当してたけど、代理で沖縄に行くことになって。最初は全然誰も喋ってくれなくて「誰だこいつ?」みたいな感じ。でもライブの終わり、二次会でクラブに行ったの。そこで俺が喧嘩しちゃって。

鎌倉:メンバーとじゃなくて、その場にいた他の客とモメたんだよね。それを見てみんな「なんか面白い奴が来たんだ」って気づく感じ。

倉橋:だからライブの本番中はそんなバンドに馴染んでない。一次会でも馴染んでない。喧嘩終わってから急に仲良くなった(笑)。それ以降はBRAHMAN担当になって、「deep/arrival time」からのリリースツアーは全部一緒に回ってる。

一一最後が加登屋さん。

加登屋和愛(Brilliance/ステージ照明):……俺いつから関わってるんだっけ?

鎌倉:加登屋さんはね、たぶん『A FORLORN HOPE』ツアーの2周目。2002年からだと思う。

加登屋:その前にBRAHMANは『チベタン(・フリーダム・コンサート)』(1999年開催)で観てて。最初は「あの時、観てました」みたいな話をしたのかな。当時から面白いバンドがいるんだって思ってた。でも「曲を知らないとこれ絶対できないな」っていう難しさも感じてて。曲の緩急が強烈すぎて予測できない。Aメロ、Bメロがあってサビに行く、パンクとかメロコアだったら普通それがわかりやすいんだけど。BRAHMANっていきなりガーッと上がった後にドンと落ちたり、急に無音になったりするし。『チベタン』の時の照明も難しかった。

一一同じように、BRAHMANと関わるとき、他の現場ではやらなくていいような気の遣い方や考え方って、みなさんにもありましたか。

鎌倉:自分は他を知らないから比べられないんだけど(笑)。たぶん、メンバーとは10代の頃から関わってるし、良い面も悪い面も自分だったからこの形になったんだろうなって思うことはある。最初からプロのマネージメントがいたわけじゃなくて、常に二人三脚、お互いに成長しながら続けていったものが今の形になってる。最初からしっかりやれる人がいたら、また違う形になっただろうし。

西片:そうね、初期はやっぱり喉を潰しがちで、不安要素もたくさんあって。ステージのセッティングとか、それこそカマチと二人三脚でやってたから、そこで俺からアドバイスを伝えることは多かったかもしれない。最初はね、TOSHI-LOWがディレイかけるのに、コンパクトなエフェクターをステージに置いてたの。それはすぐ止めさせた。曲の途中でしゃがんでツマミいじってる、みたいな姿を見たくなくて。「ディレイは俺がかけるから、これ全部取っ払ってよ」って言って、ワイヤレスのセットに変えたのは覚えてる。どのバンドに関してもそうだけど、バンドにはステージ上で一番格好よくいてほしいじゃない?

一一ツカサはどうですか。ライブ写真を撮る時に心がけてきたこと。

三吉:んー、今だと、BRAHMAN撮る時だけはいろいろ考えない。自分が思ったように撮ってる。お仕事だったらそのバンドのカラーだったり見せ方を考えて撮るけど、それは逆にやらない。もう体に入ってるというか、自由に撮ったほうがこのバンドとは見たことのないものが作れるから。でも、最初はいっぱい話をしたと思う。ビジュアルにはこだわりを持ってただろうし、特にTOSHI-LOWくんとはやりとりが多かった。たとえば小さいハコを回るツアーだったら「なるべくグチャグチャになってるところがバンと見えるように」とか。

三吉ツカサ(showcase/カメラマン)

一一西村さんは?

西村:そんなたくさんはないですけどね。でもBRAHMANって、TOSHI-LOWがメインに見えるじゃないですか。ボーカルで、メインでピンで立ってるから。ただ、実際はそれぞれの個性だったりスキルがあって、4人で成立してるバンドだから、集合体として付き合っていく。何事も「じゃあTOSHI-LOWとだけ話しておきます」とはならない。そこが面白いところで。やっぱりTOSHI-LOWが目立つんだけど、バンドとしてはしっかり4人で立ってる。それは彼らと接する時に一番考えるかな。ミスチルだったら桜井さん、エレカシだったら宮本さん、ってなりがちだけど、そうじゃないところに魅力を感じる。

倉橋:俺もそうだな、アイディアは必ずみんなに聞く。誰かひとりじゃなくて。

鎌倉:意見を出す機会が多い、少ないの違いはあるにせよ、でもどんな意見も必ずバンドの中で消化してる。だからBRAHMANで出てくるものは最終的に毎回4人の意見になる。

加登屋:この前ロンちゃんが、ある曲のアタマをちゃんと叩けるか叩けないかでTOSHI-LOWと言い合ってて。「叩けるよ!」ってロンちゃんは啖呵切るんだけど、実際は叩けなくて。「そこからすげぇ練習頑張った」みたいな話をしてなかった? バンド内でも高め合ってるんだなと思って。

三吉:それ、高め合ってんのかな?

加登屋:……半分はTOSHI-LOWのイジりだけど(笑)。そこでロンちゃんが「なにくそ」ってやっていくわけじゃない。いいなぁって。

西村:あと、上手くできないものって避けがちじゃん。一時期「A White Deep Morning」のイントロをKOHKIが全然弾けなくなってたことがあって。「自分で考えたフレーズでしょ?」って思うんだけど、毎回間違える(笑)。それでもセットリストに入ってくるもんね。そこでKOHKIも真剣に練習する。

西片:だんだん「できるかもしれない」になって、最後「わかった!」になってたよね。自分で作ったフレーズなのに(笑)。

加登屋:「思い出した!」じゃなくて?

西片:「わかった!」だった(笑)。

30年間で忘れられない出来事とメンバーのこと


そして新たな伝説となる『尽未来祭』へ

一一次に、この30年間で忘れられない出来事、自分にとって大きかったトピックをそれぞれ挙げてもらえますか?

加登屋:俺が一番覚えてるのは、2003年の『Hands and Feet』ツアー。特に小倉のBagoo。壁のレールライト二個だけ。「この二個だけ? 照明の俺がここにいる意味ある?」みたいな(笑)。

倉橋:カトキチ(加登屋)がツアークルーに入ってきた時って、もう毎日のように誰かの部屋に集まって照明ミーティングをしてたよね。

鎌倉:そうですね。照明業界の常識じゃなくて、BRAHMAN的にはこう見せたほうがいいんじゃないか、っていうところで毎回擦り合わせて。

加登屋:考え方が180度変わったもん。まずちっちゃいライブハウスの経験がないから。もう「ライブの照明とはなんぞや?」みたいな話になってくる。

三吉:俺、めっちゃ文句言ったの覚えてる。でもそういうハコにまで照明は連れていかないからね、普通。

倉橋:それまでなかった発想。あれ、なんでだったの?

鎌倉:あの時期は、世界観を一緒に作りたいって感じだったのかな。正直言えば、ああいう小規模のライブハウスだと加登屋さんに頼まなくてもいいと思うんだけど。バンド的には、加登屋さんがチームにいてくれないとテンションが保てないところもあっただろうし。逆に言うと、そういうところまで加登屋さんに観てもらって一緒に作っていきたかったんだと思う。

西村:集中してた時代だよね、ひとつのショウを作る、っていうことに。

加登屋:おかげさまで勉強になった。俺が今までやってたことって、ただの空間照明だったなって思ったもん。ライブハウスだとそんなの身ぐるみ剥がされる。照明なんて10発しかない世界で1時間のワンショウを作っていくから。ほんといい経験させてもらった。あれがなかったら今はないし。だから僕、BRAHMANが自分の照明のルーツだと思ってる。

倉橋:俺もそう。最初に、生まれて初めて(ブッキングを)切ったバンドだから。これが俺の制作のベース。たぶんBRAHMANでの経験を参考にして今もいろんなバンドと接してる。で、いわゆる大きい事務所のバンドとは大きく違うから、メンバー本人たちの意向も、スタッフチームの声もすぐ届く。この距離感を他でも役立てていこうって思えたのはBRAHMANのおかげ。

倉橋慶治(スマッシュ/コンサートプロモーター)

一一みんなBRAHMANと共に自分のキャリアを作ってきた。センパイから見ると、なんでこれだけ濃いチームが生まれたんだと思います?

西片:そういうのが好きなんです、僕が。みんなで考えてみんなで成長して、みんなでそこに携わっていく。他でPAやってるレギュラーバンドに対してもアイディアは投げるんだけど、同じことはできないから。ここでしかできないこと。

一一なぜでしょうね。

西片:それはバンドの力と、スタッフのチームワークではあるんだけど。またそこで奇跡も起きたりするわけじゃない。季節外れの雪が降ったり、フェスでは豪雨が来たり、スピーカーが380度くらいグルグル回ってたり。そういうことがなぜか巻き起こるから、そこも相まって魅力的なバンドに仕上がってる。で、俺の個人的な30年のトピックとしては……2013年の『the OCTAGON』かな。

一一2回目の幕張メッセですね。センターステージで。

西片:そう。PAの仕事で言うとモニターエンジニア連れていかなかったの。見栄え悪くなっちゃうから。それでみんなでアイディア出しまくって、場所取りのせめぎ合いがいろいろあったり。作業はすごくシビアな現場だった。

一一この時も、直前に機材車が事故ってますよね。

鎌倉:事故ってます。ワタシです(笑)。

西片:そういうのがくっついてくんの、なぜかこのバンドは(笑)。

倉橋:で、どうせならクラッシュしたクルマを展示しようってことで、怪我人本人たちでクルマを搬入して。幕張メッセさんからも「新車はよくあるけど、廃車搬入されたの初めてです」って言われた(笑)。

一一ツカサはどうですか。30年間で印象に残ってる出来事。

三吉:うーん、ツアーの数だけ思い出はあるんだけど。「SLOW DANCE」が出た時のツアーは写真にかかるプレッシャーがすごく大きかったから覚えてる。そもそも来れるお客さんも少ないし、ホールだから動けない、ダイブもない。でも注目度は高かったの。「じゃあ何伝えるの?」ってことはすごく考えたし、けっこうみんなに相談した。みんなで作っていったツアーだと思う。

鎌倉:うん。やっぱりコロナ禍っていう状況も状況で。ほんとにメンバーを筆頭に、スタッフも頭ひねってひねって作っていった。

西村:あの経験がないと、たぶん横浜BUNTAIの『六梵全書』とか今回の『尽未来祭』はできなかったんじゃないですかね。

一一カマチくんはどうです? マネージャーとして大きかった出来事。

鎌倉:うーん……いっぱいあるんだけど、印象に残るってことで言えば事件とかの話になってくる。それこそ2003年の中国のフェスもそうだし。あとは『ANTINOMY』のファイナル、当時のJCBホール(現Kanadevia Hall)。

倉橋:……今、俺土下座しそうになった、反射神経で(笑)。2曲目で落ちるはずだった幕が、客に引っ張られて演奏中に落とされちゃったの。本来は前にいるべきセキュリティを舞台監督がどけちゃってて、守る人もいなくて。それで興奮した客が前に来ちゃって、ブチッ、バラバラバラ……って。

鎌倉:でも、アンコールで「やり直そうよ」って言うバンドがいて、やり直すために奔走するスタッフがいて。最後はある意味思い描いた以上の形で終われた。だから失敗はしてるんだけど、そのストーリーはすごいなって思ったかな。

一一事件、考えてみればいろいろありましたね。

西村:MAKOTOが血ぃ出してるくらいじゃ、もう何とも思わない(笑)。

加登屋:岐阜で派手に頭切った時、俺は焦って照明暗くしちゃったの。血ぃ出てるし、こんなの見せちゃダメでしょと思って。そしたらセンパイが「つけろ! 何やってんだバカ!」って。もう逆だよね、考え方が。

西片:なんで見せねぇんだよ(笑)。

三吉:あんな痛い思いしてんのにもったいねぇ(笑)。

加登屋和愛(Brilliance/ステージ照明)

一一事件もドラマティックな見せ場にする力が、バンドとこのチームにはある。

鎌倉:そうだね。それが最終的に成立する。

西村:それ、全部作品にしてますから。『フジロック』で(MAKOTOの流血映像が)流れて、周りは「大丈夫ですか?」とか言ってくるけど……全然。

鎌倉:こっちからしたらもっとありますから。

三吉:あんなのちょっとした切り傷。しかも途中で乾くっつうんだから。

西片:あと、血は出すけど、MAKOTOは普段優しみの塊だからね。

西村:怒ったところ見たことないもん。たぶんMAKOTOいなかったらここまでやれてない。

倉橋:緩衝材だよね。みんなに潤いを与えてくれる立ち位置じゃないかな。みんながワーッてなってる時も一番冷静に落ち着かせてくれるし。

鎌倉:メンバーが喧嘩してても、MAKOTOを介してそれぞれ話をしたりね。そういうことができる大事な人。

西村:昔よく喧嘩してましたねぇ。RONZIとバチバチやってて、そしたらMAKOTOが間に入ってくれる。もう涙もんですよ(笑)。

一一では、そのRONZIさん。みなさんから見てどんな人ですか。

西片:……頑固。

鎌倉:うん。ムードメイカーではあるんだけど、同時にこだわりが強いというか。「こうしたい!」っていうのがしっかりある時は絶対譲らない。

三吉:話は聞くよね。人に意見は聞くけど、変えないことがけっこうある。

西村:「これは絶対嫌だから直したい」とか「これは無理、やれない」とかね。ほんと俺らが聴いてもわかんないレベルの話。バスドラが微妙にもたってる、とか。「『ライジングサン』の土砂降りのライブ映像をどうしても使いたい、すごくいいシーンなんだよ、RONZI」とか言っても、絶対曲げなかったり。

鎌倉:新しいアイディアとか、「こういうライブやらない?」ってことに対してはわりと受け入れてくれるんだけどね。でもそういうことに関してはメンバーで一番こだわりが強いかもしれない。

一一続いて、KOHKIさんの人物像は?

倉橋:ナチュラルだよね。一番楽しんでるんじゃないかな、BRAHMANのギタリストとしての人生を。ツアーも一番楽しそうにやってるし。けっこう社交的だから、若手バンドとの繋がりもいろいろKOHKIにはあるし。

西村:基本は前向き。で、BRAHMANのことがすごく好きなんだと思う。ほんとはメンバーが違うバンドのメンバーとセッションするのとか、あんまり見たくないんじゃないかな。自分はとにかくBRAHMANとOAUやっていたい、っていう意識が強いと思う。

三吉:前に一緒に飲んでたら「最近楽しい」って言ってた。「これまでつまんなかったわけじゃないけど、最近すごく楽しい」って。

倉橋:メンバーみんなそうじゃない? 20周年からのこの10年。楽しんでると思う。スキルもバンドの能力もめっちゃ上がって安定してるしね。

一一最後、TOSHI-LOWさんはどんな人でしょう。

三吉:人から聞いたことを吸収する力がすごく強くなってると思う。吸収して、自分のモノに変えるスピードも早くなってる。

加登屋:あと僕らが思わないひらめきを持ってる。たとえば紗幕の演出とか、みんな固定観念で幕は片方からしか開けられないって思ってる。でもTOSHI-LOWは「じゃ、両方から開けば?」みたいなことをポロッと言う。

西片:アイディアはすごいよね。そういうアンテナを普通に張れるんだと思う。街歩いてたり、俺と酒飲んだりしてるだけでも、常に何か探してキャッチしてると思うんだよね。演出以外の話でも。

加登屋:そうそう。食事とか体力作りにしても、何年か前は違うことやってたけど、今はまた違うなっていうことが多い。アップデートされていく。

鎌倉:柔軟だね。凝り固まって「そうしなきゃ!」みたいなことは全然ない。

西片:説得力があるのは、その全部を自分で経験してやってるからで。ストイックだけどユーモアがあって。だから辛いことも塗り替えていけるんだと思う。

一一最後に『尽未来祭 2025』について。どんな3日間になりそうですか。

加登屋:また伝説が生まれるんだと思うんだよなぁ。毎回何かあるじゃん、こういう時のBRAHMANって。

三吉:楽しみだなぁー。

倉橋:怖いよ(笑)。

西村:僕らスタッフはね、もう5年計画でこれを作ってきて、そのストーリーのひとつとして11月の『尽未来祭』が用意されてる。もちろんこのチームで作ってるから、絶対3日間いいものにはなるんです。対バンも素晴らしいメンツが集まってるし、ストーリーもほぼほぼ、やる前から仕上がってる。セットリスト作って、演出も照明もPAも映像も写真もちゃんとやる。それが僕らの仕事だから。ただ……僕らが想像もつかないことを1日ずつやるのがあの人たち。

一同:ははははは!

鎌倉:何かが起きるかもしれない。そこは乞うご期待。

西片:ね、楽しみでしかないね。

取材・文=石井恵梨子 撮影:Tsukasa Miyoshi (Showcase)

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