時を超え響く、愛と祈り 作曲家・千住明が挑む壮麗なる音楽世界
2025年11月8日(土)サントリーホールにて、オペラ『万葉集』(演奏会形式)が上演される。この度、本公演をプロデュースする作曲家・編曲家・音楽プロデューサーである千住明へのオフィシャルインタビューが届いたので紹介する。
日本最古の歌集「万葉集」を題材に、音楽と歌で“日本人の心”を現代に伝える壮大なプロジェクト、それがオペラ万葉集。震災の経験や自身の40年のキャリア、そして家族から受けた影響が作品に結実している。2009年の初演時から21回の再演を重ねてきたその背景とエピソードをたどりながら、なぜ今「オペラ万葉集」なのかを聞いた。
富士山に重ねた「オペラ万葉集」の意義
東日本大震災の翌日の2011年3月12日。千住明は新幹線に乗っていた。車窓から富士山が見えた。胸に湧き上がるものがあった。
その頃、千住は『オペラ万葉集~明日香風編~』の続編となる『二上山挽歌編』の作曲に取りかかっていた。“日本人の心”を千年先まで残すような作品を書かなくては——。台本を担当した俳人黛まどかと共にそう心に決めた。
千住:あの震災が起きた時に、僕らは日本と向き合った。『二上山挽歌編』のフィナーレの曲は、日本への賛歌です。年末のベートーヴェンの第九のように、日本武道館や東京ドームに全国から人が集まって歌ってもらうのが夢です。『オペラ万葉集』が日本人の心に定着して、“日本の第九”になってほしいと思っています。
作曲家として40周年を迎える千住は、この作品に自身のキャリアで得たものをすべて入れ込んだという。しかし、「万葉集」というテーマに至るまでには決して平たんではない道のりがあった。
新たなフロンティアを探して
千住明は、学者一家に生まれた。兄の博は著名な画家、妹の真理子は世界的ヴァイオリニスト。父は学問の世界で新しい道を切り開いた人物だった。「好きなものを見つけて熱中できれば何をしてもいい」という父の教育方針が、3人の子どもたちに大きな自由を与えた。
千住には幼いころから肝に銘じている言葉がある。父からの「すいている電車に乗れ」という教えだ。
千住:人がやっていないことを探して、フロンティアを見つけろ、という意味です。兄妹が意気揚々と独自のブランドを確立するなか、僕はなかなか自分のオリジナルを見つけることができませんでした……。
アーティストとしてCDデビューしたものの、所属した事務所との契約問題が生じた。活動の場を失い、模索するなかで出会ったのが映画やアニメの音楽だった。テレビドラマ『高校教師』『家なき子』やアニメ『鋼の錬金術師』など、時代を彩る数々の映像作品に携わることで、多彩な表現手法を身につけていった。
千住は「修行のつもりで始めた映像音楽でしたが、当時はそれこそが“すいている電車”でした。映像音楽をつくることで、“どうすれば音楽が人を惹きつけられるか”ということを十分に学ぶことができました」と振り返る。
一方で、「自分の作品を残したい」という思いもあった。
映画のサウンドトラックが発売されるなど、いまや映像音楽は人気ジャンルとなり、若手の作曲家も増えた。“電車”は常に満員だ。千住が新たなフロンティアを求めて、辿り着いたのが「オペラ」だった。
当時四半世紀以上のキャリアを積み重ね、回り道をして、ようやく見つけた自分のフロンティアで千住の新たな挑戦が始まった。
千住:その最初の一歩が間違いなく『オペラ万葉集』なんです。
“日本人であること”の重要性
千住が日本に強い思いがあるのには理由がある。きっかけは、映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネのマネージャーとの出会いだった。
1990年代、映像音楽の世界で活躍していた千住は、ハリウッド進出を夢見てアメリカ行きを検討していた。ドラマ「家なき子2」の録音はローマで行い、モリコーネのオーケストラを借りることが出来た。今後の進路について相談をしてみたところ、モリコーネのマネージャーから意外な言葉が返ってきた。「これからの時代はインターナショナルと言うことはドメスティックであると言うことだ。きみは東京でNo.1になければならない」と告げられたのだ。
その一言で、千住はアメリカ行きをやめ、日本人としてのアイデンティティを深く見つめ直すことになった。
「日本語の響きにこそ独自の力がある」
そう確信して向き合ったのが『万葉集』だった。日本最古の歌集には、シンプルで普遍的な美しさが詰まっていた。
台本は俳人の黛まどかに依頼した。無駄な言葉がなく、すべての言葉にメロディがついた。日本語をきれいに歌ってくれるソリストに声をかけて集まってもらった。
「やはり日本語のオペラは日本人しかつくることができない」
『オペラ万葉集』は2009年の初演から国内外で再演を重ねてきているが、明日香風編・二上山挽歌編の全曲演奏を届ける公演は7年ぶりであり、日本の新作オペラで、これほど繰り返し上演されてきた作品は珍しい。
その魅力について、千住は「これをオペラと呼ぶかは人それぞれだと思います。オラトリオ的な内容を演奏会形式でおおくりします。心地よい短編小説や映画を鑑賞したような余韻のある世界です。幽玄な日本人の美意識を目指しました。ストーリーなどの予備知識は無くても大丈夫です。ただ万葉集の世界に浸ってもらいたい」と話す。その口調は終始、穏やかだった。
取材・文=北島あや