異国の「ふつう」がいかにユニークで代え難いか。「ペルーの山奥で暮らすおばあちゃんの食卓」──自炊料理家・山口祐加さんエッセイ「自炊の風景」
自炊料理家・山口祐加さんの「料理に心が動いた時」
自炊料理家として多方面で活躍中の山口祐加さんが、日々疑問に思っていることや、料理や他者との関わりの中でふと気づいたことや発見したことなどを、飾らず、そのままに綴ったエッセイ「自炊の風景」。
山口さんが自炊の片鱗に触れ、「料理に心が動いた時」はどんな瞬間か。メキシコからペルーに渡った山口さんは、山奥で暮らすおばあさんに会いに。ペルーの昔ながらの料理に触れた山口さんが感じたこととは――。
※NHK出版公式note「本がひらく」より。「本がひらく」では連載最新回を公開中。
ペルーの山奥で暮らすおばあちゃんの食卓
「ペルーの先住民族の末裔のおばあちゃんから料理を習う体験があるよ」
2024年の冬にペルーを訪れることにしていた私は、一足先にペルーを訪れた友人におすすめを聞き、山奥での料理教室について教えてもらいました。メッセージを読んで0.2秒で行くと決めたのは言うまでもありません。おばあちゃんの料理教室は、その土地ならではの体験を提供する地元の人と、旅人をマッチングさせるAirbnbのサービス「Airbnb Experiences」に登録されており、そこから申し込みを済ませました。クスコ滞在で最も楽しみな予定としてカレンダーに記し、ついに当日を迎えます。
参加者は私だけという贅沢なツアーだったので、ガイドのジェシカさんが宿まで迎えにきてくれました。クスコ市内から車で1時間ドライブしながら、おばあちゃんのところへ向かいます。ジェシカさんによると、今日のおばあちゃんはインカ帝国の公用語だったケチュア語を主に話していて、現在、ペルーで公用語になっているスペイン語はあまり話せないとのこと。ジェシカさんはご両親がケチュア語を話していたので、母語はケチュア語になり、学校で習ったスペイン語と、ガイド用に英語も話せるというトリリンガル。ペルーではケチュア語で話すと田舎者だと思われるから、話せても話さない人が増えていて、ケチュア語は衰退しつつあると物悲しそうに話していました。
写真では伝わりきらないほど雄大なアンデスの絶景を拝みながら、インカの遺跡が残る山を越え、谷を越え、たどり着いたのは標高3800mに位置するアマル村。村に入り、羊の群れが横切る細い坂道を走って、眺めのいい丘の上に建つ家の前にジェシカさんが車を停めました。土壁の家から伝統衣装を着たおばあちゃんと、若い女性が出てきて、私に生花で作った首飾りをかけ、あたたかく歓迎してくれました。料理の先生はイザベラさん(75歳)で、18歳の孫娘さんがお手伝い役です。
お客さん向けに作られた調理部屋に案内されると、腰の高さに粘土で作られた昔ながらのかまどがありました。「キッチンの歴史」みたいな名前の本に出てきそうな風情のある空間で、そこで地元のおばあちゃんが料理を教えてくれるなんて、最高の贅沢。
今日のメニューは野菜とキヌア(ペルーでよく食べられている雑穀の一種)のスープと、いろんな種類の茹でじゃがいもとチーズというシンプルな献立。スープの作り方は、まず土鍋の中に玉ねぎ・生姜・にんにくを油で炒めて香りを出し、水を注ぎます。そこへキヌア・セロリ・にんじん・かぼちゃ・グリンピース・じゃがいもを包丁で細かく切って加えます。イザベラさんはまな板を使わずに食材を手に持って細かく切る作業を手際よく進めていて、その包丁さばきは見もの。孫娘さんはじゃがいもの皮を一度も途切れさせずに剝けた、と嬉し恥ずかしそうに私に見せてきて、私も頰が緩みました。スープがコトコト煮えるのを木の匙で混ぜながら、イザベラさんは「キヌアは調理の際に塩を入れているとうまく弾けないから、塩は最後ね」と教えてくれて、私が以前作ったキヌアスープでは粒が残ったままだったのはそれが理由だったのか! と膝を打ちました。
スープは薪火がゆっくりと調理してくれるのを待つだけなので、主食のじゃがいもの準備に移ります。じゃがいもはペルーが原産国と言われていて、2000〜3000種類も存在するそう。じゃがいもの世界がそんなに広いなんて、知らなかったよ。
イザベラさんは家の食糧庫に保存していた6種類ほどの小ぶりなじゃがいもを出してきて、のびのびと生えた芽を取り、洗ってから私に一つずつ並べてそれぞれの特徴などを説明してくれました。あとは鍋にお湯を沸かして、そこへじゃがいもを加えて茹でるだけ。
ちなみにこの村の標高は3800mととても高いので、沸点は88度ほどしかありません。スープや茹でじゃがいもはご飯のように固くなってしまう心配もなく、高地に適した料理なのです。
二つの鍋を火にかけている間に、イザベラさんはスープに合わせるサルサ作りに取り掛かります。トマトと玉ねぎ、少し辛味のある生の唐辛子をみじん切りにして、オリーブオイルと塩で和えて完成。部屋中に野菜のほんのりと甘い香りが充満するタイミングで、イザベラさんはスープに塩を加えて味を調ととのえました。じゃがいもはお湯を切ってお皿に並べ、弾力があってミルクのコクが強いチーズとともに食卓に並べます。今まで何千と食べてきたごはん。でもその中でも見たことがない食卓の光景を目の前にして、本当にアンデスにやってきたのだと改めて実感しました。
家の畑で仕事をしていたお父さんや近所のおじさんも一緒に食卓を囲んで、スープが冷めないうちに食べ始めました。野菜が柔らかく煮えたスープは、塩味が控えめで、動物性の旨みが入っていないのにとても奥深い味。一口食べた後に、また一口と、空っぽのお腹の中に吸い込まれるようで手が止まりません。
じゃがいもは各々が指を使って皮を剝き、右手にじゃがいも、左手にチーズを持って交互に食べます。おいしいパンとチーズのように相性がよく、素朴で安心感のある味。スープや茹でじゃがいものアクセントとしてサルサを加えると、パッと味が変わり、シンプルなのに組み合わせ次第でいろいろな味が試せる食事だなと思いました。
食後、イザベラさんのプライベート用のキッチンを見せてもらうと、こちらも薪を使うかまどでびっくり。冷蔵庫もないという彼女の暮らしは、電気とガスがなくても全然困ることがなく、たくましい。電気やガスの通ったキッチンのほうが早く調理できることは間違いないですが、彼女の台所にはプリミティブな生活の美しさが光っていました。
観光客向けの特別な食事ではなく、彼女がにとって本当の普段の料理を食べさせてくれたことで、異国の「ふつう」がいかにユニークで代え難いかが際立って感じられるひと時でした。
※「本がひらく」での連載は、毎月1日・15日に更新予定です。
プロフィール
山口祐加(やまぐち・ゆか)
1992年生まれ、東京出身。共働きで多忙な母に代わって、7歳の頃から料理に親しむ。出版社、食のPR会社を経てフリーランスに。料理初心者に向けた対面レッスン「自炊レッスン」や、セミナー、出張社食、執筆業、動画配信などを通し、自炊する人を増やすために幅広く活躍中。著書に『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』(紀伊國屋じんぶん大賞2024入賞)、『軽めし 今日はなんだか軽く食べたい気分』、『週3レシピ 家ごはんはこれくらいがちょうどいい。』など多数。
※山口祐加さんHP https://yukayamaguchi-cook.com/