「自分が覚醒した」野村忠宏の名試合とその裏側!プレッシャーを乗り越えた秘話
今月のゲストは、柔道家の野村忠宏さん。
最上階10階にある 「エグゼクティブ オーシャンビュー テラス スイート 1007号室」で東京湾を眺めながら、お話伺います。
要:いやもうすごい胸板じゃないですか
野村:あはは(笑)未だに鍛えているのでね(笑)
要:あと何だか闘志みたいなね、なんていうか熱いものがすごいですよね。
野村:未だにちょっと現役感あるよねって言われたりします(笑)
近藤:あと、お肌がツヤツヤ!
野村:ありがとうございます(笑)
要:オリンピアンですからね!
今月は、柔道史上初の3連覇、アトランタ、シドニー、アテネ大会で金メダルを獲得されたレジェンド。野村忠宏さんに4週にわたってお話を伺っていきます!
初出場で初優勝!
野村さん21歳、大学4年生の時にアトランタ大会に出場。初出場、初優勝をおさめました。
柔道の場合はオリンピックの直近1年~1年半ぐらいの競技成績、過去の実績、外国勢に強い、大舞台に強いという事も加味され、総合的に選手の選出が行われます。
野村:成績プラス、大舞台の強さとか。私はラッキーだったのは、代表選考が始まった頃、私は国内で4番手ぐらいだったので、これはオリンピックは無理だろうなと思って普通のままでチャレンジできたんです。そこにオリンピックのプレッシャーなのか、上位3人が総崩れしてくれて…。そこで大逆転が生まれたんすよね。
要:へえ!
野村:でも僕は、過去の実績がないから。それだと普通は代表選考されないんですけど。その時の全日本のコーチ陣が「野村のこの急成長と勢いと技の切れにかけてみよう」って言ってくれて。
野村さん、だいぶ経った後で「自分が負けていたら?」とコーチ陣に聞いたところ「全員総辞職や」と言われたそう!
当時「オリンピック柔道、代表野村」と言われたとき、最初はダブルピースで“イェイ”とという感じだったそうですが、それは3日ほどだったと振り返っていました。
野村:冷静に考えたらこんな実績もない野村忠宏が、日本柔道の軽量級を背負って。本当に自分が戦う実力を持った、ふさわしい選手なのかっていうとこですごく悩みました。
要:それまで、外国の人と戦う機会はあったんですか?
野村:国際大会は出ていて。勝つ時も負ける時もあって、まだ不安定な選手だったし。ただオリンピックは違うんですよね。日本柔道を背負って戦うってことは、金メダル以外は許されない、求められない、評価もされない。そこで戦う価値のある選手なのかっていうところで、すごく葛藤はありました
ラスト15秒飛び出したのは「中学時代に読んでいた漫画の主人公の技」
「自分には本当にオリンピックで日本を背負うだけの実力があるのか?」と葛藤を抱えながら臨んだ第26回オリンピック競技大会(1996/アトランタ)。
そんな野村さんが特に印象に残っているという試合が、前年度世界チャンピオンであるロシアのオジョギン選手との第三回戦でした。
野村:もう試合のトーナメントの抽選が行われる前に、絶対ブロックわかれて欲しいと。
よく、全員に勝ってチャンピオンになるんだ!なんて綺麗事を言いますけど。できれば戦いたくない!
要:あははは(笑)
野村:どこかで負けてくれたらラッキーなんてしょうもないこと思ってたんですけど、運悪く3回戦で、、、
野村さんは、このオジョギン選手と国際大会などで当たったことは無く、この舞台が初対面。
要注意人物でライバルだ!と、事前に映像などを見て対策をしていたそうですが、実際にくんで見ると、野村さんの想定の1.3倍は強かったそう。
野村:予想通り、前半何回も投げられて、ピンチが来て、けどあと残り2分ある、残り1分ある。って
要:そんなに冷静に戦うわけですか。
野村:はい、戦い方としては、後半に絶対チャンスが来る!と思って。残り2分、あーもうあと1分くらいしかないと。結構私も攻めてはいるけど、なかなか逆転のチャンスを糸口をつかめないっていう中で、相当焦りまして。
近藤:どこの隙を見つけて、ガッといったんですか?
野村:この日はどんな状況でも最後まで攻撃をし続ける。」と心に決めていたんですよ。あとピンチが来ても絶対に不安や焦りを表情に出さないって。だから時間が迫って、焦った時も自分が決めたことを、自分に唱えるようにして。そうやって最後まで前に出続けたことで、ラスト15秒ぐらいで、最後ここっていう瞬間があったんです。その時、もう駄目もとで思い切って今まで使ったことのないような技に入ったんです。
要:そんなことってあるんですか!
野村:ほぼないです!だからもう残り15秒で自分ができることは何かって。もうひらめきですよね。中学生ぐらいの時に私がよく読んでいた柔道漫画があって。主人公がやってるかっこいい技があったんです。
要:あははは!
野村:それがかっこいいな、でも現実的じゃないって部活動の後に同級生とふざけて練習していた技が急に飛び出したんです。
要・近藤:えーーー!
野村:オリンピックっていう大舞台で、当時の世界チャンピオンと対戦して、自分で決めたテーマを全て遂行して、ラスト15秒で、逆転勝ちっていうので。もう何百試合としていますけど、今振り返っても自分が覚醒したと思える瞬間は、もうこれだけです。この試合に全てがあったなと思ってますね
「技のバリエーションを広げることが柔道の幅を広げる」
アトランタ大会で優勝したことからも世界中から研究されるようになった野村さん。
アトランタと同じ柔道スタイルでは勝てないと考え、2000年のシドニー大会までの4年間は、絶対的な武器「背負い投げ」を軸に、違う技でも一本を取れる柔道を作ろうと試行錯誤しました。
野村:オリンピックシドニーに行く前に、今度は金メダリストとして2連覇だから、取材たくさん来て。インタビュアーの方に「野村さんの背負い投げ、世界中のライバルから研究されてるからなかなか勝つの難しいんじゃないですか」って質問を受けたんですよね。だいぶイラっとして。
要:あははは(笑)
野村:もし背負い投げが通用しないようであれば、私はもう1回戦から決勝まで全部違う技で勝ちますよって宣言して。やばい調子乗った!て思ったんですけど(笑)
実際にシドニーでは狙ったわけじゃないけど結果的には全部違う技で。
要:え!全部違う技だったんですか!
野村:はい。やっぱりそれができる準備をシドニーまでの4年間を続けて。代表権を勝ち取ったっていうのと、2連覇するためにどうすればよいのか、考え抜いてやってきたっていうプライドと自負と。その全てが、強気の自分っていうのを作ったのかなと。
悩みぬいた2年「続ける勇気もやめる勇気も持てなかった」
考え抜き、遂行した先に二連覇を勝ち取った野村さん。
シドニー大会の後、4年後のアテネ大会を前に留学をしており、一度柔道から離れています。
要:意外でした。こちらはなぜ?
野村:アトランタからシドニーは、充実した4年間だったんですけど、とても苦しかったんです。
ライバルに研究されながら、連覇できる自分を作るための練習や、チャンピオンとしてプレッシャー、結果しか見てない日々。
シドニーの後4年後って、30歳になる年で。当時は30歳でオリンピック、3連覇って常識では考えられないものだったので、そこまで苦しんだとしても出られないかもしれないと。負けるリスクを考えながら、とてつもない4年間を過ごすっていう覚悟が持てなかったんです。
要:なるほど、、、、
野村:自分がどうしたいのか見えなくて、続けるいう勇気・覚悟が持てないけど辞めるっていう勇気も持てなくて。
1年間はのんびりと過ごした野村さん。1年経っても、心が決まらず、周囲からの「チャレンジするの?引退するの?」という声にもしんどさを感じていたそう。
一度身も心も開放して柔道から離れてみようと、そこまで柔道が盛んではないアメリカへ逃げたということです。
アメリカでは現地の語学学校に通いながら、お世話になった先生の道場に週に1度だけ通っていたそう。そこではメダリストというよりも英語の勉強として、子どもたち・柔道と向き合えていたそうで、とても楽しかったと振り返っていました。
野村:一度、環境をアメリカに変えてみて、自分にとって柔道ってやっぱりすごい大事だなと。アテネに向けてチャレンジしたら、負けるかもしれない。今まで以上に苦しい現実と向き合わなきゃいけないかもしれないというのが、逃げる理由だったので。やってもいないのに、イメージだけでチャレンジを辞めたらきっと20年後、30年後、きっと後悔するだろうなって。
要:なるほど、そうかあ、、、
野村:もう勝てる勝てないじゃなくて、今しかできないこと、自分にしかできないことという基準で考えるマインドになりました。
強さを取り戻すためにプライドを捨て再スタート
お休み期間、留学を終え、2年2か月ぶりに公式戦に復帰した野村さん。
当初はなかなか上位に食い込めずにいました。
野村:ショックでした。試合に負けたという事に対するものより、試合相手のこれから頑張るぞという若造を相手に、試合中に怖くなったんです。ただ負ける恐怖・投げられる恐怖はすごく戦う上では大事なんです。繊細に感じ取れるからこそ、自分が何をすべきか考えられる。
要:慢心の状態ではダメってことですよね。
野村:そうなんです。ただ恐怖とか不安とか緊張を畳に上がったら、それを冷静さや闘志にどこかでチェンジしなければならないのに、当時はそれができなくて。結局一本負けして。連盟からも野村の代表は無いという刻印を押され、世間の声も届くようになって、もうどん底でした。
要:そこから、どうやって這い上がったんですか?
野村:正直復帰したのも公開した瞬間もあったんですけど。3連覇目指して最後オリンピック代表になれないのは、結果の世界だけど。アテネまで1年ちょっとという期間の中で、今勝てない・今苦しいからと自分の決めたことを諦めるのは許せなかったんです。
要:うんうん
野村:だから、自分の変えなきゃいけないところをずっと考え結果。「負けていいや」という境地になったんです。ブランクってやっぱり体力も技術もさびれてしまうんです。さびれた自分がいるくせに、考え方は常に2連覇したチャンピオンの野村で。プライドに縛られているから、強さを取り戻すためには、プライドを捨てるところからスタートしました。
要:負けていいや、一からまた戦おうと。
野村:こうして気持ちを切り替えることで、取り組みも変わって、少しずつ自分らしさを出せるようになったんです。
まだまだお伺いしたいことがたくさんありますが、今週はここまで!
来週もたっぷり野村さんを深堀りしていきます!お楽しみに!