おまえらは、いつまでマスクに踊らされていたのか?
マスクは踊る
『マスクは踊る』という本を図書館の本棚で見かけた。「ああ、マスク、共和党の大会みたいなので踊っておったなあ」と思った。いや、思わなかった。それは東海林さだおのコラム集であった。
おれたちはマスクに踊っていた。踊らされていた。よくわからない。おれは以前、こちらでこんな記事を書いた。
「日本人は、いったいいつまでマスクを着け続けるのだろうか。」 これである。書いたのは2021年の11月だ。
おれの観測するところでは、道行く人のマスク着用率は99%というところだ。
と、書いている。マスク全盛期だったと言える。
でも、いずれはマスクを外す日が来るのだろう。
それがいつになるかはわからない。一年後かもしれないし、二年、三年、あるいは五年後かもしれない。
それは想像がつかない。専門家も明言しない。明言できない。ひょっとして、おれが生きている間は来ないのか。そんな想像もする。
ポストコロナは来ない。マスクしつづけて人々は生きる。そういう可能性がないでもない。
そんなことまで書いている。
で、おれたちはいつまでマスクをしていたのだろう? それともまだマスクをしているのだろうか? そのどちらもある。
いずれにせよ、どうも自分は自分が過ごしたコロナ禍というものを忘れかけているような気がした、ということだ。そこで、東海林さだおのコラムを読むことによって、少し記憶を遡りたい。そして、終息したわけではなく、一応は収束したコロナ禍について自分なりの総括をしたい。
従った私たち
新コロ(略称)のせいで「ステイホーム」というお達しがお上から出て、人々は外出を控えるように申し渡された。
お上というのは政府であり東京都知事であるが、特に都知事がうるさかった。
見幕というんですか、血相というんですか、そういうものに一般国民はヤラレタ。
人間は動物である。
動く物なので動物という。
その、とにかく動こうとするものに「動くな」と厳命した。
見事に恐れをなして国民全員が家の中に引き籠もった。
「散歩道入門」
思い出してほしいというが、おれだけ思い出せばいいのかもしれないが、たしかにあの頃、街に人がいなかった。おれは零細企業勤めで、リモートワークができないこともなかったが、自転車で十分そこらのところに住んでいたので、出勤をしていた。街に人がいなかった。SFのような光景だったと思う。それだけ、おれたちは外に出なかった。
外に出なくなったといえば、おれの生活も変わった。週末に出かけているのもなくなった。習慣になりつつあったジョギングもしなくなった。
いま思えばジョギングくらい、と思うかもしれないが、それすら憚られた、そんな空気があった。東海林さだおの「散歩道入門」というのも、お上からのお達しで、散歩は許された。では散歩とはなんぞや、という話である。軽快でおもしろいので読まれたい。
いずれにせよ、おれたちは外に出ること自体に忌避感を持った。危機感を持った。周りの目を気にした。それは事実だ。「三密」という言葉を覚えているか?
なにもかも手探りだった
いま思えば、ということはたくさんあると思う。しかし、当時は手探りだった。政治家も医者もわれわれも、なにもかもわからなかった。そういう恐怖があった。いま思えば、ということはあるにせよ、当時の恐怖心を忘れてはいけないと思う。事後諸葛亮ならだれにでもなれる。でも、最初はたいへんな事態だった。
そもそも「納体袋」というものはもともとあったものなのか、というとあったことはあったらしい。
ただし、遺体が外から見えないように白色などを使うのが一般的だった。
それが今回のコロナ禍で透明になった。
兵庫県が最初に発注したと言われている。
兵庫県では県内で10人以上の死者が出、神戸市は、葬儀のときに外から故人の顔が見えるようにあえて透明にした。
そしてぼくはこのあと驚くべき事実を知ることになる。
早くも納体袋が「楽天市場」で売られていたのだ。
遺体収納袋、82,500円(20枚セット)。
いっぺんに20枚も要らないが、一枚4,125円。
安いといえば安い、のか、高いのか。
志村けんさんの場合も岡江さんの場合も今回のコロナ騒動の初期の出来事だった。
誰もまだ西も東もわからない状態のなかでの出来事だった。
今にして思えば、報道されたような、いきなり骨壺ということにはならなくてよかったかもしれない。
何しろ、今回のコロナ事件は誰にとっても初めての体験なので、何をどうすればよいのかわからなかった。
「コロナ下「月刊住職」を読む」
東海林さだおも、まだコロナ禍にあって「今にして思えば」と言っている。事態は変わっていった。国民の感情も変わっていった。そういう移り変わりを無視して、「コロナ禍の対応は正しかった」とか、「過剰反応で誤りだった」とも言い切れないだろう。
海外ではスケートリンクに遺体が並べられたとか報じられていた。処理できない死体の山が積み上がるという想像、それは馬鹿にできるものではなかった。遺体収納袋が足りなくなるかもしれなかった。あとからならなんとでも言える。
あとからならなんでも言えるのでいうが、しかし、Go To EatキャンペーンやGo To トラベルキャンペーンとか、あれはどうだったんだろうな。やって効果があったのかどうか、よくわからない。
よくわからないと言いつつ、おれはキャンペーンよりかなりあとの2022年の夏に京都旅行に行った。いまやオーバーツーリズムでたいへんな京都が、ほとんど無人だった。貸し切り状態で東寺の立体曼荼羅を見た。あれも非日常すぎる光景だった。
マスクと顔
マスクに話を戻す。東海林さだおはこんなことを書いていた。
今回のコロナ騒動で気づいたことが一つある。
コロナ騒動がなければこの先ずっと気がつかないで人生を過ごしたであろう新事実。
それは、
「人間は顔を露出させている」
というものであった。
「人間は顔を晒して生きている」
という言い方でもよい。
今まで何でこんな当たり前のことに気づかなかったのだろう。
マスクによってこの事実に気がついた。
本来、という言い方をすれば、人間は顔を露出させてはいけない生き物なのだ。
恥ずかしい、と思ったことはありませんか、自分の顔を。
鏡に映った自分の顔をつくづく見て、恥ずかしくなって思わず両手を覆ったことあるでしょう。
そうです、それが人間として正しい姿なのです。
「マスクと人間」
マスクによって顔が隠れるという、ある種の楽さ。おれはこれを感じた。マスクをしなくてもいいよとなったあと、おれは自転車に乗りながらも、自分がどんな顔をしていいのかわからなくなった。口をどんな形にしていいのかわからなくなったのだ。自然な表情ってどんなんだっけ? にやけてしまうような気もするし、不自然にこわばってしまうかもしれない。人に顔をさらすこと、これに違和感を覚えるようになった。
さらに東海林さだおは書く。
「はにかむ」は素人が考えてもむずかしい表情である。
顔面の筋肉群には「はにかむ」を担当する部署が見当たらない。
どこの筋肉をどう使うと「はにかむ」ことになるのか。
画面はアップになっている。
観客は細部の細部まで目を凝らしている。俳優はどこにあるかわからない筋肉をどうにかして動かさないわけにはいかない。
顔面の動きが静止しているだけだと「はにかむ」は表現できない。
コロナの時代はいずれドラマ化される。
ドラマ化されないはずがない世紀の大事件である。
その映画の画面にはマスクをした人がいっぱい出てくる。
当然俳優もマスクをしている。
このとき、マスクをしたままでこの「はにかむ」をどう表現するのか。
今後の俳優たちの大きな課題となるのは間違いない。
「マスクと人間」
「コロナの時代はいずれドラマ化される。ドラマ化されないはずがない世紀の大事件である」。これはそうだろう。しかし、今のところコロナの時代を主題に描いたドラマや映画というのは聞いたことがない(たぶん)。再現ドラマ的なものはあるかもしれない。
しかし、いずれそのときは来るだろう。主に、コロナの時代に青春期を過ごした若い世代がつくり手になったときに。いや、来るのだろうか? コロナの時代なんてなかったというふうに、あの時代だけは創作においてスルーされる可能性がある。それこそ、役者のみんながマスクしているなんて、奇妙な状況を描くのはたいへんだからだ。どっちになると思う? おれには正直わからない。ひょっとすると、100年先になるかもしれない。
あの対応は正しかったのか、誤っていたのか?
いずれにせよ、「あの頃な」(という、マンボウやしろの小説があった)と言われるような時代にはなったと思う。ダイヤモンド・プリンセス号から5年経った。なんの区切りかわからないが、ちょうど5年というところでもある。
それについて報道もあった。
政府の分科会の会長などとして新型コロナウイルス対策にあたった尾身茂氏は、5年前の緊急事態宣言について「100年に一度の危機で、当時、大変な思いをしなかった人はいなかったと思う。専門家の間でも当初から、社会経済への負荷を最小限にしようということは合意していたが、その具体案となると、重症化対策に重点を置くべきだという意見や、ある程度感染を抑えなければいけないという意見があり、簡単な判断ではなかった」と振り返りました。
そして、一連の新型コロナ対策について「対応のどこがよくて、どこが課題だったのか、政治家や官僚に加え、専門家、医療関係者、それにマスコミも含めて、しっかりとした過去の検証が必要だ」と指摘しました。
「しっかりした過去の検証」がない……ような気はしていた。国かなにかが、あれはどうだった、これはどうだったという総括がないのでは、と。
とはいえ、図書館で感染症の棚などを見ると、コロナの本で溢れかえっている。その当時に出た本もあるし、医療関係者側からの戦いの振り返りもある。その数の多さには少しびっくりした。
それでおれは、とりあえず東海林さだおの一冊を読んだだけだったのだが。ただ、その一冊も、いつものショージくんであった。マスクに踊らされてはいないのだ。それはなぜか。
多分、今回のコロナ騒動がなければ、手を洗うことが面倒で、面倒で、という人生を過ごしたに違いないのだ。:
今は外から帰ってきたらまず手を洗うという習慣が楽しく思われるようになってきた。
水道の水を出しっぱなしにしたまま両手をこすり合わせる。
水道の音がすでに楽しい。
手の平と手の平をこすり合わせたあと、指と指の間、指の股というのかナ、股と股をこすり合わせる、これが気持ちいい。楽しい。
そのあと右手の甲と左手の甲を洗う。
そのあと右手の指先の爪のところをカリカリという感じで左手の手の平の上にこすりつけていく。
この作業は今回初めて知った手の洗い方である。
コロナ下ということで爪の先まで洗うというこの洗い方が日本人全体に行きわたった。〝コロナ下〟という言葉をここで初めて使った。
〝戦時下〟という言葉はぼくらの子供時代によく使われた。
ぼくらは戦時下で育った。
小学校の二年生のとき日本は戦時下だった。
毎日のようにサイレンが鳴り響きB29による空襲があった。
防空壕生活というものも経験している。
そういう戦時下を経験している者にとってはコロナ下などものの数ではない。
何のこれしき。
手を洗うなど、何のこれしき。
戦時下を体験した人にとっては、「何のこれしき」だった。
人間は弱いし、強い。壊滅的な事態になって、人がたくさん死んだり、苦しんだりしても、なにやらまだ絶滅はしていない。
コロナ禍(東海林さだおはコロナ下と書きましたが、こちらでいきます)も大変なことだった。いまになって、あとからなんとでも言えるからといって、対応がやりすぎだったとは言いたくない。少なくともおれはそう思う。やるべきことはやった。
当時、ヨーロッパにいた人などに言わせると、日本の同調圧力による自重と統率はすごいものに見えたらしいが、まあそれでもだ。ワクチンだって、おれは打ったし、打たない理由もなかった。いまでも、ワクチンを打ったのを間違いだとは思わない。反ワクチンの人にも言い分はあるのかもしれないが、おれはだいたいその言い分を信じない。あとからならなんとでも言える。生存者のバイアスがある。
いずれにせよ、なんだろうか、今後おなじようなことがあっても、「何のこれしき」の精神は持ちたい。おれには戦争経験もないし、今後起こるのが戦争かもしれないが、それでもなんだかんだ生きる。どうやっても生き延びるというガッツはなくても、死ぬ方向にやすやすとはいかない。
何のこれしき、たかが一生。
***
【著者プロフィール】
黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
Twitter:黄金頭
Photo by :Yasin Yusuf