リスキリングの前に省みるべきこととは?終身年功的サラリーマンへの処方箋【ホワイトカラー消滅】
JTC(伝統的な日本企業)を頂点とする戦後の終身年功型のサラリーマンモデルが衰退期に入って久しい。生成AIなどの技術革新によりホワイトカラーの仕事が取って代わられていく局面で、自分自身の生き方、働き方、スキルをどうするのか? 新しい時代に適応するための処方箋を、産業再生機構、日本共創プラットフォーム(JPiX)で数多くの企業の経営改革を手掛けた冨山和彦さんが提言します。
「スキリング」と「リスキリング」――何が現代の実学か?
昨今、いわゆる「リスキリング」という言葉が流行っている。とはいえ、言葉だけが先走りしている感が否めない。DX、CXの推進に伴って余剰人員があふれるグローバル企業のホワイトカラーがやるべきことを考えるうえで、リスキリングの本質的な意味について整理しておくのはきわめて重要である。そこで、まずは「スキリング」について言及することから始めたい。
そもそも、リスキリングはスキリングされていることが前提の議論である。だが、日本企業のホワイトカラーは「アンスキルド」と言っても過言ではない。大学時代にぼんやりと一般教養(リベラルアーツもどき)を「お勉強」しているが、ほとんどが突き詰めたところまで学んでいない。その水準では、アンスキルドにすぎない。基本的に、リベラルアーツそのものを武器にして身を立てられる「スーパースキル」を手にできるのは、ほんのひと握りの人の話でしかない。
の人々にとってリベラルアーツの共通価値は、もっと普遍的によりよく生きていくための基礎技能的な意味合いである。この点、よく「リベラルアーツはいつか役に立つ」と言われる。だが、その言い方も誤っている。状況が役に立つかどうか、もっと言えば状況でその力を繰り出せるほどに身体化できているかどうかが有用性を決めるのだ。
例えば、自分の入った企業がすぐに潰れるような事態に陥ったとしたら、平時の企業で学ぶべきスキルは役に立たない状態になる。そのときにこそ、リベラルアーツがものを言う。前述の通り「よりよく生きるための知的技能」、すなわち思考や行動のベースとなるのがリベラルアーツだからだ。リベラルアーツは、むしろマインドセットの問題とも言える。すぐに役に立つとは限らないが、ほとんどのスキルの底流にある基礎能力であり、いざというときに本質的・決定的に役に立つことがリベラルアーツと呼ばれるものである。基礎的素養と言い換えてもいいかもしれない。すなわち技法として身体化されていなくてはだめで、日本語でよく「あの人には教養がある」と言うときに使う物知り知識、うんちく知識では意味がない。
実学としてのリベラルアーツ
リベラルアーツには「基礎編」「応用編」がある。基礎編の基本要素は、いわゆる「言語的技能・技法」を指す。聖書に「はじめに言葉ありき」と書かれているように、人間は言語でものを考える。つまり「これが身についていないとものを考えられない」の「これ」を指すのがリベラルアーツである。
世界で仕事をしようとすると、英語を駆使できないと話にならない。ある国でコミュニケーションを成り立たせるには、その国の言語を習得する必要がある。自然言語をマスターしていなければものを考えられないし、コミュニケーションができない。その意味で、自然言語はリベラルアーツの基本中の基本である。言うまでもなく母国言語、すなわち日本人にとっては日本語の言語能力がまずは基礎中の基礎である。読む力、聞く力、話す力、書く力は人間がものを考える根っこである。
同様に、エンジニアリングの世界では、すべて数式で表現されるため、数学という言語的技能をマスターしていないとものを考えられない。数学に次いで熱力学や電気回路についても習得しなければ、実りある思考と議論ができない。
経済活動に従事するうえでは、経済学と簿記会計が欠かせない言語になる。法的ルールに基づいて社会の枠組みが構築されていることを考えると、基礎法学もこれに入るだろう。さらには統計学や基礎的な微積分レベルの数学力も重要だ。企業の客観的・定量的評価方法は、財務数値に還元されるからだ。
以上、おわかりの通り福沢諭吉が『学問のすゝめ』に書いたような学科、古代ギリシャ時代までさかのぼればアルキメデスが築いた数学や物理などの基礎学問こそが、リベラルアーツ中のリベラルアーツ、実学中の実学なのだ。これは現代のビジネススクールの必修科目とも概ね重複する。最近の生成AIは作業としての言語的技能は代替してくれるが、考えるための言語能力を身につけていないと生成AIを使いこなすことはできない。だからこうした科目の重要性はこれからも変わらない。
また、高等技能教育機関で何を本当に教えるべきかについても同様で、当該技能領域で必要となる基礎的な言語的技能、肉体的技能を習得することが第一となる。その意味で専門職大学や高専ではリベラルアーツが学べないというのはまったくの虚偽である。もっと言えば次に述べる「応用編」についても、ぬるま湯のレジャーランド化している大学よりもはるかに学びのチャンスは多い。
言語的技法を現代にアレンジして身体化せよ
現代のホワイトカラーサラリーマンにおすすめの学問があるとすれば、まずはこうした言語的技法を現代にアレンジして身体化することである。簿記会計は現代ならエクセルを使った財務三表の連動モデリング、および基礎的な企業財務技法(要は企業や資産の価値評価手法)の習得まで入るだろうし、デジタル空間でものを考えるときにプログラミング言語やAIの基本構造、基本特性を理解しておくことは必要となる。まさに福沢諭吉の『学問のすゝめ』は現代にも生きているのだ。
言語的技法のいいところは、ものを考える手段として機能するレベルまでなら誰でも時間を使って反復と丸暗記をしていけば到達できる点である。ただ、若いほど習得が早いので、今まで怠っていた人はできるだけ早いうちに習得努力を開始したほうがいい。社会人が働きながらゼロから始めると全科目習得するには早い人でも5年くらいは必要なはずだ。私が当時の言語的必須科目を概ね習得した実感を持てたのは30代半ばだった。
実はこうした言語的技法の基礎が身についてくれば、大抵のホワイトカラーは潰しが利く人材になれる。これらはビジネスパースンとして生きていく上で時代変化を超えて有効な「すぐ役に立ってずっと役に立つ」根本スキルであり、しかも日本のホワイトカラーの多くが身につけていない、すなわち身につければそれだけで十分な差別化要因になるからである。また、これがしっかりしているということは、スポーツで言えば体幹、足腰、心肺能力がしっかりしていることと同じなので、環境変化の中での学び直し力、リスキリング能力も格段に上がることになる。
ちなみに、残念ながらよくあるノウハウ本を読んでも、そもそもの言語能力がなければ実践には使えない。さまざまな人生の状況に対して「最初にありき」の言葉を持っていなければ、ものを考えられないからである。急がば回れ、である。
冨山和彦(とやま・かずひこ)
IGPIグループ会長。日本共創プラットフォーム代表取締役社長。1960年生まれ。東京大学法学部卒。在学中に司法試験合格。スタンフォード大学でMBA取得。2003年、産業再生機構設立時に参画しCOOに就任。解散後、2007年、経営共創基盤(IGPI)を設立し代表取締役CEO就任。2020年10月よりIGPIグループ会長。2020年、日本共創プラットフォーム(JPiX)を設立し代表取締役社長就任。パナソニックホールディングス社外取締役、メルカリ社外取締役。