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教育と少子高齢化の課題を同時に解決!古川理沙が実装する “ふつうの学校”=「新留小学校」モデル

Qualities

森のなかの開けた場所に、平屋の校舎がひっそりと佇んでいる。

鹿児島市のベッドタウンとして人気の姶良市も、市街地から離れた山間部は過疎化の一途を辿る。

 2007年3月22日、姶良市立新留小学校には在学児童がひとりもいなくなった。

 その日を境に、子どもたちの姿が校舎から消えた。廃校にしなかったのは、「いつか子どもたちが戻ってくる日」のため。しかし、その日が訪れることはなかった。

あれから17年経った2024年。人口減少と地域衰退の現実に抗うように、この校舎を再び「学びの場」として蘇らせようと立ち上がった人たちがいる。

鹿児島で保育園を運営する古川理沙さん、秋田で町づくりを進める丑田俊輔さん、そして当時中学3年生だった古川さんの娘・瑞樹さん。この3人が発起人となり、「新留小学校設立準備財団」を設立、2027年4月の開校を目指して現在も奮闘中だ。

過疎化が進む、子どもがいない地域につくられる私立小学校。コンセプトは“ふつうの学校”だという。普通ではなさそうな“ふつうの学校”とはどんなものなのか、中心人物のひとりである古川理沙さんにお話を伺った。

PROFILE

古川理沙

ふるかわ・りさ/(株)そらのまち・(株)無垢 代表取締役、NPO法人薩摩リーダーシップフォームSELF共同代表。1977年、鹿児島県出身。日本、中国、韓国の大学で教師としてカリキュラムマネジメントを行った後、ベビー用品のウェブショップを開業。2017年、鹿児島県霧島市に「ひより保育園」、翌年には鹿児島市天文館に「そらのまちほいくえん」を開園する。他にもレストラン併設型の物産館「日当山無垢食堂」を運営するなど、広義の食育を中心に幅広く活躍。

日本の教育とは真逆の“力を出し切る”メソッドとは?

古川さんは、もともと日本語教師として日本から韓国、中国と渡り歩いてきた。

ソウル滞在中、アメリカの教育学会による外国語教育の講義を受ける機会があった。日本の授業では、教師が一方的に話し、生徒は聞くことが中心だ。しかし、そのメソッドは日本の教育教員養成過程とは真逆の内容だった。

「学習者たちが持っている力を最大限まで引き出さなければ、この人が今どのレベルにいるのか、次の一歩が何なのかわからない。だからこそ、教師の発話は最小限に抑え、学習者がしゃべりたい、伝えたいと思えるような設計にして、インタビューの仕方を学ぶといったものでした」

その効果は後からじわじわ効いてくる。

約8年の海外生活を経て、妊娠を機に帰国。出産後に起業し、立ち上げたベビー用品のネットショップは、当初は鳴かず飛ばずだったが、教員時代に身につけたメソッドが役立った。

経営も、社員が自力で学び、自分で考えて行動できる枠組みづくりが本質なのだとしたら、これは教員の仕事と同じではないか――古川さんの仮説通り、会社は社員一人ひとりが自発的に働く組織となり、それに伴いネットショップは右肩上がりで成長を遂げていく。

 生きる力をつける教育に、20年は最短距離


社員が自発的に動き、そして成長しつづける企業の代表として、様々なテーマの講演依頼が舞い込むようになった。

そんな時、運命的な出会いが生まれる。

「ある講演会の質疑応答で、『理沙さんが次にもし全然違うことをやるとしたら、どんなことをやりますか?』といった趣旨の質問をいただいたんです。その時、咄嗟に『保育園かな』と答えていました」

この何気ない一言の背景には、経営者として高専や大学の教壇に立ち続ける中で抱いてきた教育へのある疑問があった。自分たちが学生だった頃、大学はあくまで「学問を極める場」だったが、今は「朝ちゃんと起きなさい」「提出期限を守りなさい」と声かけをしなければならない。そんな愚痴が大学の教務室で交わされる。もっと手前の段階で身につけておくべき“力”が欠けているため、大学が本来の役割を果たせていないように感じた。

一方、小学校や中学校の教師に聞くと、入学時点ですでに無気力な子が多いという。だったら必要なのは、そこに至る(=就学前)までの人材育成なのではないか。

「自分の子どもたちが通っていた保育園、幼稚園に何の不満もなかったんですけど、先生たちが大変そうだな、ここをこうすればみんな楽になるのに、もっと子どもたちが伸びるのに……と、工夫の種のようなものに気づくことは多かったと思います。20年はかかりますが、できるだけ若いうちからデザインしていくことが、案外最短距離なのかもしれないとぼんやり考えていたんです」

この質疑応答での何気ない一言が、次の段階へと古川さんを連れていく。

「ある方から、メッセンジャーを通じて、『保育園が作りたいという話は本気ですか?』と聞かれました。口から出たその日まで具体性はなかったので、いくらくらい必要なのか、保育士の資格を持たない自分が作ることができるのか、まったくわかりませんでした。でも、保育園が作りたいかと聞かれたら、いつかやりたいと思っているので答えはYES。そんな話をしたら、会ってほしい人がいると言われたんです」

数日後、その紹介者に案内され、とある会社の応接室に通された。出迎えたのは、地域で事業を営む経営者だった。どういった目的で、どういった思いで、どういった保育園を作りたいのかを次々と聞かれ、質問の意図を汲めずに聞かれるがままに答えていく。

今までの経験で見てきたのは、自ら好奇心を持ってどんどん学びを深め、世界を切り開いていくような子どもたちだ。自分の子ども含め、確信をもって“自分はこの生き方をしていく”と心に決めて、その未来を自分で描ける子どもを育てていくなら、まだ教育にはやれることがあると思う。そんな話をした。

「『僕が考えていることと、とても近い。これからどうやるか、いつやるかは後で一緒に考えていくとして、とりあえずこの場では、君と俺で保育園をつくることはもう決まったということでいいかな』と言われました。つい口がすべって、『私以外の適任はいないです』って答えていました(笑)」

今から9年前、2016年6月のことだ。現「ひより保育園」の建物の2階には、声をかけてくれた会社の事務所が今でも入っている。

5歳までにご飯と味噌汁がつくれる、教材としての食


〈▲ ひより保育園の園児たち 写真提供:古川さん〉

6月の出会いからわずか8ヶ月、2017年4月には「ひより保育園」が誕生していた。

ひより保育園のコンセプトは、大人がすべて教えてあげないこと。本人が生きる力を身につけて、自分の力で学び取っていくことで“学び”が起こると考える。

「だったら大人がいなくてもいいのかというとそうではなくて、先に生まれ、ある程度人生経験を積んでいる先輩として対等に接します。転ばぬ先の杖になる必要はありませんが、転んでも手を差し置くクッションがあるから、心配せずにやれと言える存在です」

開園前から決めていたキャッチコピーは、“子どもたちの親友でありたい”。親友とは何かを自分たちに問いながら、子どもたちの生きる力を育んでいく。

そして、もうひとつの大きなテーマとして“食”がある。ベビー用品を扱う中で、真面目なお母さんほど、ネット上のあらゆる情報で雁字搦めになっていることがわかった。それならと、小冊子の作成や霧島市内の農家によるワークショップ、母親同士のコミュニケーションを図るイベントなど、食についての知識や経験を共有するモノとコトを展開していった。点だった経験が線を結び、新たな発想が生まれていく。

一方、“食”を支える現場に目を向けると、農家の跡取りは減っていて、どうにかやれている新規就農者も補助金が切れたら続けていくことはできないという現実がある。

「本当に多角的な知識や経験、投資が必要です。今、農業をちゃんとやっておかないと、霧島市でもなかなか厳しい将来が見えています。食べたものが自分の体をつくっていくなら、やっぱりいいものを食べさせてあげたい。あわよくば、ひより保育園でやることが起点となって地域が循環し始めれば、何歳になっても生きていける場所として地域は続いていきます」

「食」を起点に地域の循環を意識した取り組みを続ける中で、古川さんの視線はさらに広がっていった。次に挑んだのは、保育園を通じた商店街の再生だ。

舞台に選んだのは、鹿児島市の中心街・天文館にあるパーク通り。当時はテナントの半分がシャッターを下ろしていた。

町の活性は、子どもが集まる場所から生まれる。この場所に保育園をつくることで、この状況は改善される──そう考えた古川さんたちは、テンパーク通りに「そらのまちほいくえん」を開園した。その結果、約2年でほぼすべてのシャッターが開いたのだ。

子どもと食を真ん中に据えた、本質的な地域づくり

〈▲ 写真提供:古川さん〉

保育園をつくろうと考えたとき、真っ先に決めたのは「食を真ん中に置く」という方針だった。その原点は、自分の子どもたちが幼稚園に通っていた頃の経験にある。

あの頃、毎日のように娘は制作物を持ち帰ってきた。一生懸命頑張ったことは伝わるが、その9割は先生の手によるもので、最後の目だけを娘が描くといったケースも少なくなかった。経営目線で考えると、制作にかかる材料費や先生の残業代もかかっているのに、ここまで手伝ってしまってはあまり効果はないように感じていた。

「だったら、その分の経費を子どもたちの食費に変えたほうが理にかなっていると思いました。もちろん、予算を2倍、3倍にするわけにはいきませんが、地元の顔が見える農家さんから、相見積もりを取らずに言い値で買い続ける。もちろん、その農家さんにしてみたら私たちの保育園の規模なんてたかが知れていますが、職員まで含めると、朝のおやつ、昼ごはん、昼のおやつ、晩ごはんまで結構な食数が動きます」

こうした「地産地消で地域の農家を買い支える関係」は、単に食材を仕入れる以上の意味を持つ。見慣れぬ野菜を給食で使って、「スープにしたら子どもたちがいっぱい食べました!」とのコメントを直売所やスーパーの売り場ポップ、チラシ、SNSなどに添えるだけで、地域産野菜の売上が変わるかもしれない。さらに「食に力を入れる保育園に卸している農家」という肩書きは、二次的な信頼やブランド力をも生む。

古川さんは直接的な売上だけでなく、その先に広がる波及効果まで視野に入れているのだ。

そして、娘たちが持ち帰ってきた粘土や折り紙などの制作物が頭をよぎる。手先を使うことで得られるポジティブな効果は、食を通じて実現できるのではないか。たとえば粘土遊びはお団子づくりに。ハサミは包丁に置き換えられる。点と点が繋がっていく。

 「脳にとって、味覚と嗅覚はとても大事な要素です。だとしたら、むしろ折り紙よりも料理。子どもたちも、美味しいものが食べたいから、モチベーションも変わってきます。5歳までの間に、ご飯とお味噌汁くらいは自分でつくれる基盤を学べば、健康寿命も改善されると思いますし、家事分担にも影響を及ぼすと思うんです。いろいろな意味で合理的ですし、教材としても優れているので、食を真ん中におこうと決めました」

新留小学校との出会いは、偶然にして必然


ひより保育園の考えが多くの共感を呼ぶ中、既に心は次の段階である小学校へ向かっていた。保育園、小学校、中学校──子どもの学びを一貫して支えるには、下から順に積み上げていかなければならない。

経営メンバー全員、次は小学校だと思っていた。しかし、小学校設立のハードルは想像以上に高く、好機が訪れてもつかみきれないまま案は浮かんでは消えた。

コロナ禍に入る前のある日、友人から耳にしたのが「新留小学校」の存在だった。可愛らしい平屋の校舎は、かつて休校になるまさにそのときを記録するDVDのTVCMにも使われたという。足を運んでみると確かに魅力的だったが、当時は「休校」扱い。再開の可能性がある以上、外部からは手を出せない状態だった。

ところがコロナ期間中に、「校舎が朽ちるくらいなら廃校にしてほしい」という陳情が地域住民から出された。その陳情が通って競争入札の対象となったのだが、そんな経緯があったことを、古川さんが知る由もない。

何も起こらなければ、この校舎はやがて誰かの手に渡っていただろう。しかし、思いがけない出来事が起きる。

ある日、NPOの理事とともにとある人物に訪問することになっていた。しかし、目当ての人物は不在だとわかり、ふたりは行く宛を失った。

その時、理事がふと思いついたように言った。

 ”新留小学校を見に行こう”

「本人もなぜそんなことを思いついたのかわからないらしいのですが、『俺が運転するからドライブがてら、新留小学校を見にいこう』と言い出したんです。その提案にのったら、そこに競合入札の看板が立っていました。嘘みたいな話でしょう?」

調べてみると、締め切りは来週、予約金は100万円。ひより保育園とそらのまち保育園の経営陣に「大変なことが起きた。このチャンスをとりにいこう」と伝えた。

1週間遅ければ間に合わなかった。競合もいたが、最終的に選ばれたのは古川さんたちだった。

保育園も小学校も、まるで与えられたかのように、目の前に次の挑戦として現れる。運と縁、目に見えない力を味方に、古川さんたちの小学校づくりが始まった。

暮らしと世代間交流の中に、具体的な学びを得る


〈▲ 写真提供:古川さん〉

既に決まっている新留小学校の柱は、「食」と「ことば」だ。

「食」はひより保育園同様、自立した後も自分で食べていけるような食習慣、生活習慣をつけること。

「ことば」を挙げたのは、今の子どもたちが置かれた状況にある。

「今の子どもたちは、語彙力が極端に低いんです。ハイコンテクストな社会で暮らしているから、言葉を使わなくても割と生きていけるようになっているのですが、その弊害はあまりにも大きい。言葉って結局は抽象概念じゃないですか。その抽象概念を理解できるかできないかの境目は9歳ごろと言われていて、その“9歳の壁”を越えられない子が今すごく多いらしいんです」

9歳の壁とは、具体的な体験をもとに抽象的な考えを理解できるようになる転換点のことだ。身体感覚に紐づいた形で語彙を増やしていくことで、やがて抽象概念においても抽象を理解できるようになる。机上の暗記だけでなく、暮らしや体験に根ざした具体性こそが、その壁を越えるために必要だ。これは、食を教材にすることとも繋がっている。

生徒数は72〜90人を想定している。この規模にした理由は2つある。私立として単年赤字にならない最低ラインであると同時に、人が人らしく暮らせる最小単位でもある、と考えているためだ。

 「地方の人々が中央首都圏に集中する。それはフラクタルで、例えば霧島市でみても山間部の人々が霧島市街地に集まっているんです。人が減ったところは人が減ったなりの課題が出てきて、人が増えたところは増えたなりの課題が出てきます」

 人口が集中したいわゆるマンモス校では、丁寧なマネジメントが行き届かず、機械的に処理するようになるそうだ。マニュアルに当てはめられた子どもたちは、同質性が高いという。

 「自分を世話するのが仕事の両親、自分に教えることが仕事の先生、同級生、以上。家と学校と塾の往復+SNSとゲーム。座っているだけで楽しませてくれるものばかりになってしまっている中で、同じような集団が20クラスもあると、子どもたちのコミュニケーション能力や、違うものを受け入れる力が育つ機会はほとんどありません」

核家族化によって、病気や死といった人生の節目を身近に感じることも少なくなった。そして、鹿児島にどんな企業があるのか知らぬまま、若者は都会へと流れ続ける。

自分はどうしたいのか、自分にやれることは何なのか。自分で考えて行動する力をもたなければ、楽ができて高い給料がもらえる仕事を、若者たちが選んでしまうのは、構造上、仕方がないのかもしれない。

「今の日本の教育は、お腹がすいていないのにご馳走を与えるような感じ。これを知りたい、学びたいという動機がないままに、次は掛け算です、次は分数ですと、一方的に浴びせ続けられます。そうじゃなくて、できるだけいろいろな世代の人たちと触れ合い、暮らしの中に問いが生まれ、それを解決するための教育が小中学校の基礎教育なのだとしたら。これを修理したい、これをつくりたい、そういった問いがあって、その答えを導くための学びだったら、子どもが自ら気づいてどんどん力をつけていきます」

地域の役に立ちながら、同時に学びを得る機会に


〈▲ 写真提供:古川さん〉

保育園も小学校も、当然親が関わってくる。これが、地域づくりの大きな役割を果たすという。

「若い世代が物理的に毎日来る仕組みがあると、必然的にその範囲内はサステナブルでいられます。地方創生に巨額のお金が投じられてきましたが、わかったことはどれもこれも焼石に水だったということ。だから、大変かもしれないけど、もっと本質的なことに立ち返ることが大切なんじゃないかなって思うんです。小学生なら親御さんと移住して来る場合もありますし、地域に関わる機会も多いので、小学校をつくることには何重にも意味があります」

今はまだ車を運転ができても、いずれコンビニに買いに行くのも難しくなる高齢者を見越し、地域の人たちはもちろん、誰でも利用できる給食室兼食堂をつくる予定だ。

利便性も考慮し、近隣地区で募集がある簡易郵便局を新留小学校におけないか交渉している。そこに図書スペースも併設し、地域の人たちが集える拠点にする。工夫の種が次から次へと蒔かれていく。

「なんといっても地域の方の協力がすごく大切です。私たちに何かできることはありますか? と聞いたら、運動会や盆踊りを復活させてほしいとおっしゃって。それで、まだ開校もしていないのに、去年“第0回運動会”を開催しました。他にも、苗箱を運ぶ、機械ではできない部分の代掻きをする、米俵を運ぶといった力仕事をやってくれると助かるという声もあります」

〈▲ 第0回運動会 写真提供:古川さん〉

知識や資格がなくても、人手があればできる仕事は地域に多い。保育園や小学校には、職員、保護者、子ども、そしてそれを応援してくれる人たちがいる。田植えも稲刈りも地域のお祭りも、やろうと思えばなんでもできる。

「地域の人たちに集まってもらって交流会を催すより、この地域で暮らす上で必要なことや、できることに一緒に取り組めば、地域の役にも立てるし、自然と子どもたちの学びにもなると思います」

社会を変えるかもしれない、“ふつうの学校”の潜在能力


〈▲ 「新留小学校設立準備財団」共同代表の3人。古川理沙さん(右端)、丑田俊輔さん(左端)、古川さんの娘・瑞樹さん(中央) 写真提供:古川さん〉

この10年くらいで、日本にはいろいろな特徴を持つ学校が誕生した。また既存の学校の中には見事に変革を遂げた成功事例もある。しかし、才能高きひとりの教師の手腕で変革を遂げた結果、その先生がいなくなると揺り戻しが起きるというケースもあるという。

 「他にも、日本のクリエイティブ層だけしか行けない学校や、何かひとつに特化した学校。私はそれぞれいいと思うのですが、ほとんどが“マッチョ”な例だと思っていて。新留小も私立なので、救済措置をつくろうとは思っているにせよ、経済的にものすごく困窮している家庭の子が通えるわけではありません。

だったら、これだけ国で教育に予算をかけて、これだけの国民が公教育に通っているのだから、公教育にちゃんと染み出していくような教育がしたいと思ったんです。それならうちでもやれるねって思えるようなモデル。だから、“ふつうの学校”」

複数の課題にそれぞれ可能性を見出し、ひとつのソリューションで解いていく。食を中心にすることで、様々な問題の解を見出した「ひより保育園」と同じだ。

ここでは新しい発想に見えても、多くの人ができること。それが公教育にも広がっていけば、生きる力をもち、自分の頭で考え、可能性を自ら引き出す子どもたちが全国で増えていく。

工夫の種が瞬く間に芽を出し、ひとつまたひとつと花を咲かせていく未来が見える。

〈▲ 写真提供:古川さん〉

「ひより保育園も、“ふつう”さを大事にしていて、特技のある先生をあちこちからヘッドハントするのではなく、園に通える距離にいるごく普通の先生たちを採用してきました。普通の先生たちが、自分たちの工夫の範疇でより良い保育をする。このモデルにこそ価値があると思うんです」

このモデルは、のちにグッドデザイン金賞の受賞をもたらし、ひより保育園をそのままコピーしたような保育園も現れた。ただし大事なのは、表面的なものではなく、本質的なことを受け継いでいるかどうか。ひより保育園を起点とした運営の必要性も頭をよぎる。

新留小学校をつくるためには7億円が必要だ。しかし、このモデルは公教育に応用することができる。全国で年間約500校が廃校へと追い込まれている現状において、もしこのモデルが確立すれば、公共予算を活用することで追加コストなしに展開していくことができるのだ。

学校法人は非営利法人であり、株式会社のように投資や出資を受けることは制度上認められていない。また、設立審査において融資による資金は、安定した財源として認められないため企業版ふるさと納税や公益財団の協力、個人からの寄付で設立資金を募っている。

「小さな学校と地域での挑戦が、すぐに世界を大きく変えるわけではありません。けれども、新留小学校が息を吹き返すことは、教育のシステムチェンジへ向けた確かな一歩となり、学校を起点に持続可能な社会へと近づいていくモデルになると考えています」

今はたぶん、〈普通ではない学校〉だ。しかし、その教育が社会に染み出し、川となり、海となった時、子どもが自ら力を育む“ふつうの学校”は、全国にある普通の学校になるのかもしれない。

撮影:NOBU

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