綾瀬市寺尾 中尾遺跡 奈良平安期の溝現れる 区分けや農業か 用途不明
綾瀬市寺尾本町の中尾遺跡で、同遺跡では初となる奈良平安期の「溝」が見つかった。用途や全体の規模は不明。市では他の調査結果とともに、3月8日に報告会を開く。
調査は宅地造成の一環で一昨年から昨年にかけて行われ、その断面から溝の幅は2mほどと分かった。全体の長さや詳細な年代は不明だが、離れた場所でも同様の溝が見つかり、続いている可能性もある。一帯は見晴らしがよく、中尾遺跡では縄文期の住居跡も見つかった。奈良・平安時代の遺構は初で、市生涯学習課では「驚いている。農業用の溝か、屋敷と畑を分ける溝なのか、調査が進めば手がかりが出るかもしれない」と話す。
綾瀬市地域は奈良時代に「高座郡」の一部だった。741年の聖武天皇の詔により建てられた相模国分寺(海老名市)にも近く、中尾遺跡のある「寺尾」の由来も同寺に関連するのではという見方もある。
市内では他にも奈良・平安時代の遺物が約70カ所で見つかっている。綾瀬西高校敷地の宮久保遺跡では、庶民が使わない貴重な奈良三彩小壺や「高坐」と墨書きした土器、また天平5年(733年)の荷札の木簡が見つかった。目久尻川をはさんだ城山公園の早川城山遺跡でも奈良三彩小壺が見つかっており、いずれも中央政府との関わりをうかがわせる。
平安時代後期になると、後に鎌倉幕府の御家人となった渋谷氏の荘園となった。城山公園の早川城は当時の状況や言い伝えなどから渋谷氏ゆかりとされ、物見塚や曲輪などが見つかっている。
報告会では中尾遺跡を含む近年の調査結果について紹介し、現地で調査に携わった(株)アーク・フィールドワークシステムの吉岡秀範さんが講演する。会場は中央公民館、時間は午後1時30分から。先着50人で、申し込みは同課【電話】0467・70・5637。