【八千代市】大和田宿に泊まっていた 正岡子規句碑建立へ
正岡子規といえば、愛媛県松山生まれで、当時の死の病である結核を患い、34歳の若さで世を去った明治の俳人・歌人です。
結核に倒れた俳人の八千代での足跡
短い生涯でしたが、どこにそんな力があったのかと驚くほど多方面にわたり、精力的に活動しました。
子規が帝国大学(現在の東京大学)在学中の明治24年春、房総旅行をします。
子規は船橋大神宮から大和田まで馬に乗り、その時の様子を「緑の木陰や草むらを春の光を浴びながら進んで心がうきうきとしている」と漢詩に詠んでいます。
子規は市川で買った菅笠(すげがさ)をかぶり、脚絆(きゃはん)にわらじ履きという、江戸時代風の格好を決め込んで房総を駆け巡ったそうです。
子規が宿泊した頃の大和田宿のにぎわい
子規が泊まった大和田宿は成田街道の中間辺り。
成田山参拝のために栄えた成田街道は、元々は佐倉藩の参勤交代のための佐倉街道をもとにしています。
そのため幕府の役人が宿泊する宿や馬の調達ができるよう整備されてきました。
成田山参拝客が増えると、大和田宿も大層にぎわっていたそうです。
子規は大和田で1泊した翌朝、「鶯や窓をひらけば竹の薮」という俳句を詠みました。
八千代市観光協会を中心とした正岡子規句碑建立実行委員会はこれを記念して、子規が宿泊した「柳家」の跡地に市民の寄付で句碑の建立を計画しているとのこと。
句碑を刻む石は選定中ですが、文字はやちよ絵手紙の森美術館の瀧下白峰さんに依頼するそうです。
本年度中の完成を目指しています。(取材・執筆/福)
※問い合わせ 正岡子規句碑建立実行委員会 メール/s.sugiyama@kjb.biglobe.ne.jp 杉山