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時代を挑発した天才、25年の軌跡 ― 三菱一号館美術館「異端の奇才 ―― ビアズリー」展(レポート)

アイエム[インターネットミュージアム]

19世紀末の英国の画家、オーブリー・ビアズリー(1872-1898)。精緻な線描や白黒のコントラストを駆使した洗練された作品で知られ、『アーサー王の死』(1893-94)、『サロメ』(1894)、『モーパン嬢』(1898)などの挿絵を手がけました。

ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)との共同企画で、ビアズリーの初期から晩年までの挿絵や直筆素描、彩色ポスター、同時代の装飾品を含む約220点を通じて、その芸術の軌跡をたどる展覧会が、三菱一号館美術館で開催中です。


三菱一号館美術館「異端の奇才 ─ ビアズリー展」会場入口


ビアズリーはイギリス・ブライトン生まれ。7歳で肺結核と診断されましたが、幼いころから音楽や絵に才能を発揮。16歳でロンドンに移り、事務員として働きながら独学で絵を学びました。

夜は蝋燭の灯りで素描に没頭し、書店で絵と引き換えに本を入手。その作品が書店主エヴァンズの知人の目に留まり、仕事の依頼を受けるようになっていきます。


(左から)オーブリー・ビアズリー《マスター・レオ》1893年 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館 / オーブリー・ビアズリー《C.V.スタンフォードの肖像スケッチ》1893年 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館 / オーブリー・ビアズリー《マージェリー》1893年 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館


1891年7月、18歳のビアズリーは姉とともに、老画家エドワード・バーン=ジョーンズを訪問。アポイント無しの訪問でしたが、バーン=ジョーンズはビアズリーの才能を見抜き、画家として生きるよう助言しました。この言葉に励まされ、ビアズリーはウェストミンスター美術学校の夜間授業に通うようになります。

翌年夏、書店主を通じて出版業者と出会い、『アーサー王の死』の挿絵を描く仕事を受注。勤務先の約3倍の報酬を得ることになり、画業に専念する決意を固めていきました。


トマス・マロリー編『アーサー王の死』全2巻 1893-94年 Kコレクション


続く大きな展示室は、撮影が可能。ここでは「アングロ=ジャパニーズ様式」が、調度とともに紹介されています。

1862年のロンドン万博を機に、日本のデザインがイギリスで流行しました。建築家ゴドウィンらが研究し、アングロ=ジャパニーズ様式を確立。1870年代には、テキスタイルや陶磁器など幅広い分野に広まりました。

1880年代には、「ひまわり」や「孔雀の羽根」などのモチーフが唯美主義と結びつき、その中心人物オスカー・ワイルドが流行を牽引。ビアズリーもこの影響を受け、英訳版『サロメ』の挿絵に流行の調度を取り入れています。


第3章「成功 ― 『ビアズリーの時代』の到来」


1893年4月、ビアズリーは「ステューディオ」創刊号に、ワイルドの戯曲『サロメ』の一場面を独自に描いた《おまえの口にくちづけしたよ、ヨカナーン》を発表。これを見た出版業者のジョン・レインが、ビアズリーを英訳版『サロメ』の挿絵画家に抜擢します。

1893年にフランス語で書かれた『サロメ』がパリで発表され、その後英訳版が刊行されました。作品は、牢獄の預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)に恋い焦がれた王女サロメが厳しく拒絶され、義父のヘロデ王に捧げた踊りの報酬として彼の斬首を望む、というストーリー。ビアズリーは、ヨカナーンの首を手にしたサロメを異様な表情で描きました。


オーブリー・ビアズリー《おまえの口にくちづけしたよ、ヨカナーン》1893年 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館


会場には、同じ場面を描いた英訳版『サロメ』の挿絵も展示されています。こちらでは、サロメの表情が和らぎ、首から滴る血も様式化されるなど、全体がすっきりと構成されており、最盛期のビアズリーの実力が存分に発揮されています。

しかし、ビアズリーは本文にはない場面を創作し、時には原作者とわかる人物を滑稽な姿で描き入れることもありました。そのため、ワイルドとの関係は次第にこじれていきます。


オーブリー・ビアズリー《クライマックス》1893年(原画)、1907年(印刷)ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館


「『サロメ』の英訳版を機に二人の関係は悪化し、以後、ビアズリーとワイルドの共作は実現しませんでした。ワイルドが同性愛の罪で逮捕された際、ビアズリーも影響を受け、一時的に仕事を失うことになります。

ワイルドは当初ビアズリーの挿絵を評価していましたが、次第に「たちの悪い落書き」と評するようになりました。一方で、ワイルドはギュスターヴ・モローが描いたサロメ像に惹かれており、別の画家チャールズ・リケッツに挿絵を任せたかった可能性も指摘されています。


『ダイヤル』全5号 1889-97年 Kコレクション


ビアズリーは10代半ばから、母を助けるため日中は事務員として働き、夜は蝋燭の光の下で制作に励みました。この習慣は生涯続き、成功後も公的な画壇には属さず、独自の環境で創作に打ち込んでいました。

ワイルドの逮捕後、ビアズリーは生活の糧を得るために「卑猥な絵」の仕事を手がけ、本展ではアリストパネスの喜劇『リューシストラテー』の挿絵が展示されています(観覧は18歳以上のみ)。死の間際、ビアズリーはそれらの作品を処分することを望んでいたといわれています。


(右)オーブリー・ビアズリー《アクロポリスを守るリューシストラテー》1896年 )ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館


ビアズリーはワイルドの騒動で一時的に名声を失いますが、後に再起を図り、作風を洗練させていきました。18世紀フランス版画の影響を受けた繊細な線描が特徴で、『髪盗み』や『モーパン嬢』の挿絵が代表的。1896年には新たな文芸雑誌『サヴォイ』を創刊し、文章の執筆にも挑戦しました。

しかし肺結核が進行し、1897年末から南仏で療養。最期まで制作意欲は尽きなかったものの、1898年3月にわずか25歳で亡くなりました。


『サヴォイ』創刊号、第2号 1896年 Kコレクション


わずかな活動期間にもかかわらず、後世の美術やデザインに多大な影響を与えたビアズリー。その独創的な表現とともに、彼の生涯の軌跡をたどることができる展覧会です。ビアズリーの独創的な世界に触れ、19世紀末に花開いた美の革新をぜひご覧ください。

[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年2月14日 ]

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