時計製造の道を切り拓く注目の前衛ブランド「ウルベルク」
銀座の高級時計専門店として名高いザ アワーグラスジャパンが、1997年に創設された時計ブランド、ウルベルク(URWERK)の販売代理店となった。大胆で独創的なデザインとダイナミックな動きのメカニックで知られる同ブランドが、本格的に日本進出を果たすというわけだ。それに合わせて、時計職人であるフェリックス・バウムガルトナーとデザイナーであるマーティン・フレイが新作「UR-150 SCORPION」を携えて来日。ふたりにインタビューする機会を得た。
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ウルベルクは、時計職人であるフェリックス・バウムガルトナーとデザイナーであるマーティン・フレイによって、1997年にスタートした。AHCI(独立時計師アカデミー)に迎え入れられた翌年以降も着々と成長を遂げ、現在はジュネーブとチューリッヒの2拠点の体制をとっている。時計師20名を抱え、年間約250本を製造。独創的なそのタイムピースは、設計から製造まですべてを自社で行っている。「不遜」、「反抗的」、「エキセントリック」——ウルベルクのウォッチメイキングを表現する言葉はさまざまだが、彼らの時計は確実に21世紀の機械式時計製造の道を切り拓いている。
■新作「UR-150 SCORPION」は、“スコーピオン”というコンセプトから開発がスタートしたのですか?それとも機構の開発が先なのでしょうか?
「通常は、時刻の表示方法をどうするかなど、メカニックな部分からスタートすることが多いのですが、今回に関しては、デザインから始まりました。まず全体的なデザインを決めて、それからムーブメントを開発し、実機の動きを見ていく中で、『まるでスコーピオン(さそり)のようだね』ということでこのニックネームがつきました」(フェリックス)
「もちろん商品によっては開発途中でコンセプトが強くなり、それに従い製品を作り上げていく時もあるのですが、基本的には物ありきで、後からコンセプトやニックネームがつくというフローがほとんどです」(マーティン)
「今回は元々あったヘキサゴン形のケースに、マーティンからドーム上の風防ガラスを乗せたらどうか、というアイデアがあった。そこにまた別のスタッフからカルーセルをこうしようとか、いろんなアイデアが重なったのです。表示部分をできるだけ大きく、今まで120度の表示だったものを240度まで大きくしました。常に限界を超えていく、挑戦していくということがブランド哲学として根付いています」(フェリックス)
「120度から240度へと針の戻る距離が長くなるわけですが、それをどうやって実現するか、何度もやり取りを重ねていきました。私たちは“ピンポン”とよく言うのですが、それぞれのオフィスで連絡を取りながらブラッシュアップしていきます」(マーティン)
■現在、ジュネーブとチューリッヒの2拠点の体制をとられていますが、具体的なやりとりを教えていただけますか。
「アーティストであるマーティンがチューリッヒ、時計職人である私がジュネーブ、という体制です。基本的には毎月ミーティングをするようにしていて、それがオンラインであったり、リアルミーティングであったりとどちらもあるのですが、私の考えとしては、オンラインだけで何回もミーティングを続けても、あまり効率が良くないと思うのです。時には実際に会うことが重要だと考えています。それはどちらかのオフィスの時もあれば、ちょうど中間地点にあたるベルンになることもあります」(フェリックス)
「エンジニアリングの部分については、ドミニクというエンジニアがいて、フェリックスとドミニク、私とドミニク、というようにそれぞれのやり取りがあります。開発初期の段階ではそれぞれですが、だんだん研ぎ澄まされて最終段階に近づくと、トライアングルコミュニケーションになり、3人で会う頻度が増えます」(マーティン)
「もうひとり、オーランドというプロダクション担当と私たちとのやり取りもあって、トライアングルがふたつあるような形で、それぞれが行ったり来たりしながらプロジェクトを進めています」(フェリックス)
■なぜ2拠点の体制をとっているのですか?
「3名でスタートした創業当時から私はジュネーブだったのですが、マーティンは最初の6年はニューヨークに住んでいました。それからマーティンはスイスに戻ってきて、ブランドが順調に成長していくにつれて仲間が増えていきました。みんなそれぞれ住んでいる場所がバラバラだったので、自然と今の2か所になんとなく集約されていきました」(フェリックス)
「ブランド創生期の頃はちょうどインターネットも発達してきていましたし、コミュニケーション手段もすごく改良されてきた時期だった。今よりはミーティングの数も少なかったっていうこともあって、それぞれ別々の中でもやっていけていたというところがあります」(マーティン)
■デザインのインスピレーションはどんなところから得るのでしょうか。
「こうして日本に来ることすらもインスピレーションになりえます。何か気に入ったものや、気になったものを写真に撮ったり、記憶に残したり。旅は大きな刺激です。いろいろな経験をするということは大きいですね。ですが、例えば時計職人たちとのやり取りというのも、アイデアを生むひとつのきっかけになります。職人たちは、既にそこに技術のアイデアを持っているわけです。彼らと何かを話していると、じゃあここのエネルギー効率が悪いからこうしたらいいんじゃないか、などのアイデアが出てきます。彼らは経験をシェアしてくれるわけです。そういったコミュニケーションから、多くのアイデアが生まれます」(マーティン)
「時計というのは腕に乗る小さなアイテムではありますけど、機械というのは他にもサイズの違うもの、例えば石油採掘するためのような大型機械もあるわけで、動きや操作方法など、そういうものからも情報を得て、時計を生み出しています。そうすることで、より洗練され、研ぎ澄まされていくのです」(フェリックス)
■THE RAKEとREVOLUTION(時計専門誌)のファウンダーであるウェイ・コーとも付き合いがあるそうですね。
「彼と知り合ったのは、まだREVOLUTIONの創刊前で、イベントの会場だったと思います。彼から「秘密だけど、これから雑誌を創刊するつもりなんだ」って教えてくれたのを覚えています。ウルベルクがスタートした後でしたが、新しいプロジェクトをスタートさせ、ともに大きくしていくという共通の志を持っていたので、兄弟のように感じています(笑)」(フェリックス)
「THE RAKEの創刊するときも、ウェイ・コーはパイロット版を見せてくれて、ものすごくかっこいいと感じたことをはっきり覚えています」(マーティン)
「伝説のテーラー、トミー・ナッターのもとで修業したティモシー・エベレストともつないでくれて、ウルベルクとコラボレーションを実現させました。また、ニック・フォルクスらとも交流があります。ウェイ・コーとの付き合いは本当に長いです」(フェリックス)
■日本のマーケットと時計愛好家についてどのような印象をお持ちですか。
「日本はとても洗練されていますよね。個人的なフィーリングとしては、トラディショナルなもの、コンサバティブな考えの人たちが多い気がしています。ただ、皆さんすごく細かいところにまでちゃんとこだわっている印象があります。例えばそれは料理や建築でも同じで、ホテルの朝食でさえも料理から器にまで丁寧な仕事がされていますよね。時計にも似た部分を感じますから、そういう意味で、受け入れられるマーケットではないかと感じています」(フェリックス)
「それってやっぱり、天皇制が続いてきた日本の歴史にも関係しているのではないですかね。日本という国は、厳格なルールの中から芸術や文化が育ってきたのではないかと思っています」(マーティン)
■日本への本格進出にあたって、どんな人にウルベルクの時計を着けてもらいたいですか。
「ウルベルクをよく理解してくれる人、というのがまず1番と思っています。それから、クールな感性の持ち主、例えば建築家やアーティスト、俳優やファッショニスタなど、憧れになるような人たちにも理解してもらえたら嬉しいです。実際にセレブリティの愛用者は多くて、ロバート・ダウニーJr.やジャッキー・チェンをはじめとする俳優や、有名サッカー選手などがウルベルクの時計を着用してくれています。彼らはアンバサダーじゃなくて、純粋にウルベルクをかっこいいと言って買ってくれたお客様です」(マーティン)
「ウルベルクの時計の素晴らしさは、実物を見てもらえばわかると思います。ディテールにまで宿る芸術的な感性と、革新的な技術力の両方を兼ね備えている。だから、日本の時計愛好家の方々にはきっと受け入れていただけると願っています」(フェリックス)
ザアワーグラスジャパン
TEL. 03-5537-7888
ginza@thehourglass.com