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第25回【私を映画に連れてって!】『国会へ行こう!』『遠い海から来たCOO』『ナースコール』……成立したり、しなかったり。40年以上の経験をもっても《企画》の運命は読めない

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第25回【私を映画に連れてって!】『国会へ行こう!』『遠い海から来たCOO』『ナースコール』……成立したり、しなかったり。40年以上の経験をもっても《企画》の運命は読めない

1981年にフジテレビジョンに入社後、編成局映画部に配属され「ゴールデン洋画劇場」を担当することになった河井真也さん。そこから河井さんの映画人生が始まった。『南極物語』での製作デスクを皮切りに、『私をスキーに連れてって』『Love Letter』『スワロウテイル』『リング』『らせん』『愛のむきだし』など多くの作品にプロデューサーとして携わり、劇場「シネスイッチ」を立ち上げ、『ニュー・シネマ・パラダイス』という大ヒット作品も誕生させた。テレビ局社員として映画と格闘し、数々の〝夢〟と〝奇跡〟の瞬間も体験した河井さん。この、連載は映画と人生を共にしたテレビ局社員の汗と涙、愛と夢が詰まった感動の一大青春巨編である。

 縁に恵まれず葬ってしまっている企画は数知れない。長いものだと40数年前に企画した映画を、未だに可能性を追い続けているものもある。

 一方で、ひょんな縁から、自分の元を離れて成立する企画もある。

『国会へ行こう!』(1993)もその一つだ。これを今、連載で書こうと思ったのは、政治、社会をベースにしたメジャー日本映画が極めて少ないからと感じたからだ。当時の政治状況に、今が近いと思ったからかもしれない。このタイトルは『病院へ行こう1&2』の直後だったからである。

『僕らはみんな生きている』(1993/滝田洋二郎監督)も企画の出発点は、当時、日本が世界で1位になったODA拠出額の使われ方に関しての疑問からスタートし、コメディ映画として制作した。
『国会へ行こう!』は大好きな岡本喜八監督に向けてぼくが書いたシノプシスがスタートだ。監督は 『大誘拐RAINBOW KIDS』(1991)を撮られた後だった。実は、『遠い海から来たCOO』(1993)を岡本監督と1年余りかけて脚本を創り、実写化を試みていた。当時のルーカススタジオと連携したSFXなどの打ち合わせもやりながら進んでいたが、原作のある問題が発生し、突如、終了してしまった。結局、アニメ映画『Coo 遠い海から来たクー』として成立するのだが、監督およびぼくは降板し、「脚本・岡本喜八」だけが記された。

『国会へ行こう!』は学生時代に選挙スタッフをする機会があり、そこで現金が飛び交った年で、逮捕者も続出した。岡本喜八監督には「社会派コミカル映画」として、その時の体験を元に、「自民党が2つに分裂する」企画を提案してみた。

 企画には興味を持ってもらい、脚本をどうするか? となり、当時、監督の書生をやっていた高野和明さんを紹介された。後に大作家になられる高野さんだが、ぼくが拘ったコメディ映画の理想にはなかなか近づけなかった。何か月の後、監督からもこれは厳しいね、ということで一旦、リセットにせざるを得なくなった。

 もう一つの理由は真田広之さんだった。立て続けに彼の映画を製作していた時で『病院へ行こう1&2』(1990&1992)、『新宿鮫』(1993)、『僕らはみんな生きている』(1993)等の流れの中で、彼が昔から敬意を抱いていたのが岡本喜八監督だった。

 監督が難しいとのことで、企画をリセットするつもりだったが、『波の数だけ抱きしめて』(1991)などを一緒にやってくれた親しいプロデューサーから「もったいない」から自分がやってみたいとの申し入れがあった。真田さんには一旦、岡本監督映画は無くなったとしてぼくも離れる旨を伝えた。

 秘書と政治家、真田さんは秘書役、政治家は緒形拳さんがイメージだった。

 高野和明さんはその後小説家になり、『ジェノサイド』(2011)は100万部を超える大ベストセラーになった。やはり、コメディ向きではなかった……と思ったりもした。『ジェノサイド』の映画化の話も少ししたことを記憶しているが、日本映画のレベルではハードルが高過ぎて、当時は断念した。

▲政治改革を目指し奮闘する保守党代議士と若い議員秘書の姿を描く政治コメディ映画『国会へ行こう!』が公開されたのは1993年5月1日。まず、秘書に吉田栄作、代議士に緒形拳というフレッシュな若手俳優とベテラン俳優との組み合わせが魅力的だった。共演者には宮崎ますみ、吉田日出子、光石研、左右田一平、金子信雄、松村達雄らが名を連ねている。メガホンを取ったのは、テレビドラマ「探偵物語」や「西部警察」などで助監督を務めた後、1988年に『まだまだあぶない刑事』で映画監督デビューを果たした一倉治雄。脚本は、91年『遊びの時間は終らない』で劇場用映画の脚本家デビューを果たし、2000年には映画『秘密』でシッチェス・カタロニア国際映画祭で最優秀脚本賞を日本人唯一として受賞し、『黄泉がえり』と『ナミヤ雑貨店の奇蹟』で日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞している斉藤ひろしと、映画監督を目指し岡本喜八監督に弟子入りした高野和明の共同脚本となっている。高野はその後、2001年に小説『13階段』で江戸川乱歩賞を、2011年の小説『ジェノサイド』で山田風太郎賞と日本推理作家協会賞を受賞している。

 一方で『遊びの時間は終らない』(1991)をシネマアルゴ新宿の映画館で観たことを思い出した。滝田洋二郎監督の映画でチーフ助監督をやってくれていた萩庭貞明さんの監督デビュー作でコメディとしてとても面白かった(萩庭監督はその後、『難波金融伝・ミナミの帝王』シリーズで映画にVシネマで大活躍する)。脚本は斉藤ひろしさんで、その後、時々会っていてコメディ映画なら書ける! と思い、『国会へ行こう!』は途中からのシナリオ制作になってしまったが、快く引き受けてくれた。結果的にはメジャー映画(東宝配給)としての彼の最初の脚本作品になった。その後『秘密』(滝田洋二郎監督)や『老後の資金がありません!』(前田哲監督)等、今も活躍中だ。

 ぼくは製作からはフェードアウトしてしまったが、彼のお陰で、映画は面白くなったと思う。映画の脚本クレジットは「斉藤ひろし・高野和明」の共同名にした。監督は面識がなかった『あぶない刑事』等でテレビ、映画をやっていた一倉治雄さんが引き受けてくれ、アクションコメディが出来上がったように思う。

 そんなにヒットはしなかったが、映画の試写には羽田孜さん(後に首相)ら、自民党幹部連が観に来て鑑賞後、なぜか気勢を上げた。5月に映画が全国公開され、直後の6月に宮沢内閣の不信任決議案に賛成して自民党を集団離党、新生党を結成する。その年の8月には細川内閣が誕生。目まぐるしい55年体制の崩壊劇であったが、実は映画の中でも自民党分裂、新体制を予見したストーリーになっている。そのことはあまり世間の話題にはならなかった気はするが、「映画の存在」としてはとても面白かった。

 若き秘書を演じてくれた吉田栄作さんと政治家役の緒形拳さんとのコンビも良かった。自分のプロデューサー作品には残らないが、「企画」でペンネームを記してくれた。

▲影山民夫の直木賞受賞作品『遠い海から来たCOO(クー)』は、当初、筆者のプロデュースにより、岡本喜八監督で実写化が企画され進められていたが実現しなかった。『遠い海から来たCoo』(前編)と印刷された脚本の第一稿の裏面には、監督・脚本として岡本喜八の名前が記されている。1993年12月11日にアニメーション映画『Coo 遠い海から来たクー』として公開され、脚本には岡本喜八の名が残る。山崎裕太、伊武雅刀、山口智子らが声を担当し、主題歌は松任谷由実作詞・作曲・歌による「ずっとそばに-Always By Your Side-」だった。

『ナースコール』(1993)も、当時、フジテレビでの製作が出来ない中で誕生した映画だ。『病院へ行こう』(1991/滝田洋二郎監督)が、ぼくの東京女子医科大学病院の入院体験物語なら、『ナースコール』は千葉がんセンター入院時の看護師物語として『病は気から 病院へ行こう2』の役割を当初持っていた。

 東京女子医大病院の整形外科に長く入院していたが、多くの患者の中で自分だけが「がん患者」であることの違和感を抱いていた。皆は入院時が最悪の状態で、交通事故なら回復して、退院していく。こちらは、そうはいかず、足を切ったり、抗がん剤を打ったりと……。1作目の映画が公開され、<がんセンター>に転院を考えるようになった。当時、東京女子医大の隣がフジテレビで、病気と仕事の連立? としては好都合だったのだが、「癌」に関してもう少し知りたくなったのだと思う。患者としてだが。執刀医も千葉がんセンターから来てくれていた外科医だったこともあるかもしれない。女子医大と言っても女医は少数派である。

 もう一つの理由は、石原裕次郎さんの「がん告知問題」だった。東京女子医大にぼくが入院するちょっと前に(1987年7月17日)、裕次郎さんは告知されないまま慶応病院で亡くなった。ぼくは医者から直接、自分の「がん」に関しては聞いていたが、当時の「がん告知率」は10数パーセントだった。今では不思議なことだが……。

 自宅も世田谷から千葉県佐倉市に引っ越し、ほどなく千葉がんセンターに転院した。『病院へ行こう』は患者であった自分が主人公だったが、次はお世話になった看護師さんたちへのエールにもなるような企画を考えていた。もちろん、コメディ映画で。公立病院だったので、差額ベッド代も女子医大と比べると何分の1で個室に入院した。

 入院時に、『病院へ行こう』に女医役で主演してもらった薬師丸ひろ子さんには千葉がんセンターで看護師さん主役の企画は書くつもり……というようなことを言っていた気がする。『病院へ行こう』(1990)、『タスマニア物語』(1990)、『きらきらひかる』(1992)と立て続けに一緒に映画をやってきて、彼女の看護師役を観てみたいと思った。もう一人、『波の数だけ抱きしめて』(1991)、『新・同棲時代』(1991)で一緒だった松下由樹さんにも同じようなことを喋った記憶がある。

「個室」なので24時間が自分だけの空間でもあるような気分。もちろん、足の手術も何回かするのだが、気持ちは穏やかだったかもしれない。「骨肉腫」の子供も多くいたが、全員が「がんセンター」の患者であり、ここには「告知問題」は存在しない。10代の患者たちとも仲良くなった。

 今も、その時の患者たちとは定期的に会ったりしている。当時、がん細胞が骨から肺に転移して危ない状況だった高校生は、その後、足は失うが、アメリカに留学して、車いすバスケの選手となる(現役パラリンピストとして大活躍し、東京パラリンピックでは日本チームを準優勝に導いた監督になった)。入院当時は、一緒に馬券予想などを毎日のようにやっていた。『ナースコール』では彼をモデルにして、サッカー選手を目指す役を渡部篤郎さんが演じている。

『ナースコール』は自分の時間がたくさんあったこともあり、ほぼシナリオに近いロングバージョンのシノプシスになってしまった。これでは脚本家もシナリオを書くのを躊躇する気持ちもわかる。

▲1993年1月30日、大学病院の整形外科病棟の看護師と医師たちの人間模様を描いた薬師丸ひろ子主演の映画『ナースコール』が公開された。松下由樹、大鶴義丹、渡部篤郎、江守徹、江波杏子らも出演。監督は映画『ロックよ、静かに流れよ』『誘惑者』の長崎俊一で、脚本を手がけたのは、自身も看護師として勤務経験を持つ信本敬子。信本は安田成美、吉田栄作共演のテレビドラマ「キモチいい恋したい!」や、長野県松本市の高校を舞台にした卒業間近の男女7人の青春物語「白線流し」(長瀬智也、酒井美紀らの出演)の脚本でも知られる。主題歌はスピッツの「空も飛べるはず」で、挿入歌として「ロビンソン」が流れた回もあった。97年から2005年にかけて、高校卒業後のそれぞれの生き方を描いたスペシャルドラマが5作放送される人気ドラマだった。

 もう一つ、個室に入れ替わり遊びに来てくれた中学生の患者の「アイドルの夢」を聞いた時に、違うストーリーが生まれる。その子の「夢」は小泉今日子主演の「病は気から」になり、結局フジテレビの映画としては此方が『病は気から 病院へ行こう2』(1992)となった。こちらは一色伸幸氏が素晴らしいコメディ映画の脚本に仕立て上げてくれた。

 そして『ナースコール』は『国会へ行こう!』を映画化してくれた同じプロデューサー陣が製作してくれることになった。またまたぼくは「企画」のペンネームで。

 看護師さんの話は、なかなかコメディ要素のストーリーが難しかった。入院中のクリスマスのキャンドルサービスや、身障者スキーイベントなど、看護師に対するリスペクトが高まるとコメディ要素がなくなっていく。患者なら自分の体験で自分の目線で書けるが、看護師の気持ちはなかなかわからない。ふと看護師出身の脚本家を思い出す。

 フジテレビでヤングシナリオ大賞というのが毎年あり、何回か審査員をやった時に信本敬子さんの『ハートにブルーのワクチン』(1989)を大賞にした。旭川出身で高等看護学院を卒業して大学病院で看護師として勤務していた経歴を持つ。彼女なら良いシナリオが書ける! その後ドラマ「白線流し」などで活躍したが、残念ながら2021年に癌で亡くなってしまった。

『誘惑者』(1989)で一緒だった長崎俊一さんが監督に決まり、ぼくはフェードアウトの感じになった。

 企画が成立したり、しなかったり………。この繰り返しを40年以上やってきたのだが、やはり「縁」だったり、「出会い」だったり、時代とマッチするかしないか、今でも読みづらいことだらけである。

 

かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。

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