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明治から令和へ 旭川っ子が愛する「買物公園」の意外な歴史 街歩き研究家が解説

Sitakke

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HBCテレビ「今日ドキッ!」より、選りすぐりの情報をお届けします。

道内の歴史を明らかにしていく「ほっかいどう歴史散歩」 のコーナー。
今回、知られざる歴史をひも解くのは…旭川です。

街歩き研究家が語る、旭川の"人と街"の物語

旭川市民の憩いの場―「買物公園」の歴史

JR旭川駅から約1㎞に渡って続く「買物公園」。
2024年10月にはパリオリンピック金メダリスト・北口榛花選手のパレードも行われるなど、旭川市民の憩いの場所になっています。

しかし、その歴史は意外と知られていません。

今から53年前の1972年、「買物公園」は、全国で初めての、”ある試み”が行われた場所なんです。
当時は画期的だった日本初の試みとは、なんでしょう?

正解は…「買物公園は、日本で初めて、恒久的な歩行者天国になった場所」です。

今回は、この買い物公園の昔の様子を振り返りながら、歴史を探ります。

買物公園と呼んでいますけれども、正式な名前をご存知でしょうか?

買物公園の知られざる歴史を教えてくれるのは、和田哲(わだ・さとる)さん。
街歩き研究家として、情報誌「O.tone」で古い地図から歴史をひも解く連載企画の執筆をしています。

和田さん:「『旭川平和通買物公園』というのが正式な名前です。平和通というのは、元々のこの道路の名前なんですよ」

車道から歩行者天国へ ―時代が求めた大転換

和田さん:「以前は、車が走っている普通の幹線道路だったんです」

歩行者天国になる前は、車の交通量が非常に多いメインストリートだったのです。
移動に欠かせない道路が、歩行者天国になったワケとは?

和田さん:「とても車の量が多くて、買い物客が交通事故に遭う心配もあったり、大変不安になったわけなんです。それで『車社会から解放』という目的を掲げて、ここを恒久的な歩行者天国にするということを決めたんです。さらに昔を振り返ると、ここには車ではない『ある乗り物』が、乗り物として機能していたんです」

知られざる"馬車鉄道の時代"

車社会になる、さらに前の明治時代!
人々の交通手段となっていたのが…

和田さん:「実は馬車鉄道なんです。レールがあって、この馬が客車を引いているんですね」

人や荷物を運ぶ交通手段として、利用されていた馬車鉄道。
札幌よりも早く、馬車鉄道が開通しました。当時の旭川の発展ぶりがうかがえます。

商店街の"顔"

そして、買物公園の歴史をずっと見守ってきたのが…あの百貨店!

和田さん:「こちらが丸井さん(丸井今井旭川店)の跡ですね。昔とあんまり変わってない感じがしますよね」

和田さん:「旭川に丸井さんができたのは、明治30年1897年。当時、呉服店だったのですが、旭川に出店していて、たくさんの人がここを通っていました。それからずっとこの商店街の顔で、いつづけたんですけども、残念ながら閉店してしまいました」

丸井今井の道路を挟んで向かいには、西武旭川店もあり、2大百貨店が互いにしのぎを削っていました。
しかし、業績不振などを理由にどちらも閉店。

現在、丸井今井は「Feeeal旭川」、西武は「ツルハ旭川中央ビル」などとなり、今でも多くの人が利用しています。

旅の宿から観光の拠点へ

そして、昔の買物公園にはたくさんの旅館があったと和田さんは言います。

和田さん:「駅や鉄道でやってきて、仕事をする人などが、泊まる場所が必要だったんですよね。大きな旅館が入り口にも2軒並んでいましたし、途中にも何軒もあったんです」

最近では、特徴的なホテルが人気を呼んでいます。

買物公園のすぐそばにある「OMO7旭川by星野リゾート」

旭山動物園の人気者、シロクマをテーマにした部屋もあり、いつまでも非日常を楽しめるホテルです。

こちらでは、11月11日~30日までの期間限定で「旭川まちなか焚き火Bar」が開催されています。

焚き火を眺めながら、お酒やホットドリンクを楽しむことができ、さらにはおつまみもあるので贅沢な時間になること間違いなしです!

和田さん:「その場所ごとに旭川で育った方は、たくさんの思い出が詰まってると思う」

和田さん:「これからまた、時代に合わせてどうに変化していくのか、どんな風景がこれから見られるのか楽しみですね」

※掲載の内容は番組放送時(2024年11月8日)の情報に基づきます。

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