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店とともに70年、変わらぬノレンの向こうで待つ女将さんの“昭和の記憶”。両国『下総屋食堂』<後編>【街の昭和を食べ歩く】

さんたつ

下総屋食堂3

文筆家・ノンフィクション作家のフリート横田が、ある店のある味にフォーカスし、そのメニューが生まれた背景や街の歴史もとらえる「街の昭和を食べ歩く」。第7回は戦時中、空襲などで大きな被害に遭った墨田区・両国の『下総屋食堂』で、ショーケースから好きなおかずを選べる【定食】を。後編では、食料事情の厳しかった戦後を皮切りに、店と街の昭和史にフォーカスします。

下総屋食堂(しもふさやしょくどう)

戦後の食の歴史証言

『下総屋食堂』。

店内に掲げられている「東京都指定民生食堂」の文字。『下総屋食堂』は、戦後の庶民の食の歴史の一端を今も伝え続ける店だ。女将の宮岡恵美子さんはその生き証人と言っていい。話はさらに、民生食堂の前の時代にさかのぼっていく。

「昭和32、33年くらいまで『外食券』だったから」

「外食券食堂」のことだ。戦中、戦後の一時期まで米など主食は配給制だったのはよく知られているが、単身者や労働者など、主に自炊より外食の多かった人々のために「外食券」を割り当て、この切符を渡さないと外食はままならない時代があった。昭和20年代で終わった制度と思っていたが、女将さんによればもうすこし長く、“有効”だったようである。

御年93(2025年現在)、『下総屋食堂』の女将さん・宮岡恵美子さんにお話を伺った。

「労働者は大盛り、事務員は普通盛り、って決まってたのよ。おかわりなんかまだできなかった」

食糧事情の厳しい時代、たらふく食べるだけでも大変だったのだ。女将さんのひとつひとつの思い出がそのまま、戦後の食の歴史証言になっている。

「米だってね、戦後まだしばらくはヤミ米買ってたよ。あとは、千葉のかつぎやさんから卵とか買ったりね」

戦争が終わり世の中が平和になったとはいえ、食堂で安定的に米を出すためには、まだ正規ルートだけでは間に合わず、農家から直接買うこともあったのだ。卵などを買った「かつぎやさん」というのは、行商のことだ。私が若いころもまだ、手ぬぐいをかぶり、大きなカゴを担いだおばあちゃんたちを総武線界隈で見かけることはあった。

かつて、働き口や現金収入源の多くなかった茨城・千葉の農村部から、鮮魚や野菜など生鮮品を背負った女性たちが東京に出て売り歩く「行商」が盛んだった。相当数の人々が従事していたために、「行商専用列車」まで編成されていたが、いまは全くその姿はない。

それ以前に、食堂自体がもうほとんどない。

江戸以来の風景と、ナイターの合間にやってくるタクシー

店内に飾られている写真には、創業当時の店の姿が写っている。

「昔は、江戸博のあたりにやっちゃばあったからね、ほかにも食堂は2、3軒あったんだけどね」

『江戸東京博物館』の土地には、以前は青果市場があった。汗をかく男たちがあるところに大衆食堂あり。市場の男たちが通った姿を思い出すうち、女将さんの記憶から、かつてこの食堂へ通った男たちの姿が滑りでてくる。

「それとね、あのころ(昭和50年代ごろ)は、タクシーの運転手さんが多かった。ナイターの間にくる。それと国鉄の人たち」

ナイター(巨人戦)の合間に大挙やってきては店の前にずらり車を並べ、めしをかきこみ、試合が終わるころには後楽園球場へと走り去っていったタクシー運転手たち。国鉄の貨物部門で働く男たちは、仕事の終わりに、焼酎の梅割りを好んで飲んだ。

女将さんたちは大がめで仕入れる梅シロップを一升瓶につめて彼らを待ち受ける。客は小さなコップになみなみ入った焼酎にこのシロップをたらしてグッと飲む。東京下町酒場の流儀は、大衆食堂にも息づいていた。

女将さんの記憶はますます鮮明に。そうだ、という表情をしてから、にやりとほほえむ。

「昔ね、酒のんで、隅田川を泳いで渡った人もいるのよ。真ん中のあたりは流れが早いのにね(笑)」

目の前を流れる隅田川の向こうには、まだ風流もあった。

「両国橋から蔵前橋あたりまでずーっと料理屋さんがあったの」

日が落ちると艶やかな明かりがぼんやりと浮かび上がった。柳橋の花街であった。たゆたう船の上には、新内流しと芸者らが乗って、三味線を鳴らす。江戸以来の風景。

これらも、一切消えた。

帰り際の小さなプレゼント

「一時期ね、川が汚れて。包丁がすぐにさびるようになってしまって」

高度成長期、流れ込む工業排水の増加で、川の水質は悪化の一途をたどり、やがて刃物を錆びさせるほど臭う風も吹いてきた。料亭も芸者も徐々に姿を消し、やがて花街そのものが消えてしまった。

「いまは川も見えないけどね」

堤防が築かれ、首都高の高架橋がそびえると、水辺は見えなくなった。私は、一概に開発を否定しないし、昔はよかった今はダメ式の懐古趣味、単純化もいいとは思っていないがそれでも、女将さんの戦後食堂史を聞きながらめしをかきこんでいると、めしのうまさ、甘じょっぱさとは裏腹に、東京の風景はあまりにも味気ない方向へと変化し続けている気がしてきてならない。

だが周囲がいかに変化しようとも、今日も女将さんは店を開ける。この店がここにあることが、街の豊かさを首の皮一枚、守っている。

「ほら、これをあげるの」

取材の終わりに、女将さんは、色とりどりの小さな紙をたくさんテーブルに出した。折り紙だった。折り鶴、奴さん、こういうものをこしらえておく。最近は、外国人観光客が食べにきて、帰り際に小さな作品をプレゼントすると、本当によろこんでくれるのだと。

やっぱり、前述をすこし、撤回したい。

たとえガワがあらゆるように変わっていっても、人が次々に入れ替わっても、変わらないもの、残る大切なものは、必ず、ある。小さな鶴が、年期もののテーブルの上で、私にそう、さとしていた。

下総屋食堂(しもふさやしょくどう)
住所:東京都墨田区横網1-12 /営業時間:9:00~13:30/定休日:日/アクセス:JR総武線・地下鉄大江戸線両国駅から徒歩4分

取材・文・撮影=フリート横田

フリート横田
文筆家、路地徘徊家
戦後~高度成長期の古老の昔話を求めて街を徘徊。昭和や盛り場にまつわるエッセイやコラムを雑誌やウェブメディアで連載。近著は『新宿をつくった男』(毎日新聞出版)。

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