『奈良の歴史を歩く』 喜光寺に行ってみた ~なぜ「試しの大仏殿」と呼ばれるのか?
近鉄橿原線の尼ヶ辻駅近くには、喜光寺という寺院があります。
位置的には西大寺駅と薬師寺や、唐招提寺への最寄り駅である西ノ京駅の間です。
喜光寺の本堂は「試しの大仏殿」とも呼ばれており、その理由や寺院の歴史について見聞を深めるため、訪れてみました。
喜光寺について
喜光寺は、奈良時代の僧・行基(ぎょうき)が、722年に創建した寺院です。
この地は菅原氏が治めていた地域であり、京都に住んでいた菅原道真の母親もこの地に戻り、道真を出産したと言われています。
当初、喜光寺は「菅原寺」と称されており、現在の本堂にもその名が掲げられています。
748年、聖武天皇が菅原寺を訪れた際、本尊の阿弥陀如来から不思議な光が放たれたことに感銘を受け、「歓喜の光の寺」として「喜光寺」の名を授けられました。それ以降、この名前で親しまれるようになりました。
現在の喜光寺は小さな寺院ですが、1488年に兵火で焼失し1544年に再建された本堂と、平成の復興により再建された南大門や行基堂などが存在します。
この喜光寺は、蓮の寺としても有名です。
夏には大きな水鉢に植えられた多数の蓮が花を咲かせ、これを目当てに訪れる方も少なくありません。
行基について
行基は668年に現在の大阪府堺市で生まれ、15歳で出家し、24歳で受戒して日本最古の本格的寺院である飛鳥寺に入りました。
ここで、月の半分は山林修行、後の半分は経典を学ぶという生活を14年間過ごしました。
その後、故郷に戻り、仏教の布教や土木工事を中心とした社会事業に尽力しましたが、こうした活動は、当時の国家の安泰を祈るという僧侶の役割から逸脱しているとして、朝廷から弾圧を受けていました。
しかし、行基は屈することなく、1000人以上の出家僧と在家信者を集め、社会事業や多くの寺院の建立を進めたのです。
行基の活動は次第に民衆の支持を受け、やがて聖武天皇から東大寺大仏殿の建立を任されるまでになりました。この時、行基はすでに76歳を迎えていましたが、全国を巡って寄進を募り、大仏殿の建立を成し遂げるために奔走したのです。
こうした行基の尽力もあり、大仏殿は752年に開眼会を迎えることができました。しかし、行基は大仏殿の開眼会の3年前の749年、82歳でこの世を去りました。
行基は、活動の拠点としていた喜光寺の東南院で生涯を閉じたと言われています。
東大寺大仏殿と喜光寺本堂の対比
東大寺は、聖武天皇の皇太子・基親王の死を悼み728年に建立された金鍾山寺が起源です。
741年に国分寺・国分尼寺の建立の詔が発せられると、金鍾山寺は大和国国分寺に昇格し、金光明寺となりました。
743年に盧舎那仏(大仏)の造立が命じられると金光明寺で造像が進められ、同時にそれを納める巨大な大仏殿の建立も進められました。
749年に大仏が鋳造され、752年に開眼供養会が行われました。
その後、東大寺は講堂や東塔、西塔などが次々と建てられ、伽藍が整えられました。
創建当時の大仏殿は1180年と1567年に戦火で消失し、現在の大仏殿は1692年に再建されたものです。
奈良時代の創建当時の大仏殿は、現在のものより、さらに一回り大きかったとされています。
一方の喜光寺本堂も、1544年に再興されたものです。
奈良時代のものではありませんが、現在の二つのお堂を対比すると以下の通りとなります。
現在の東大寺大仏殿は、正面9間(約57m)、奥行約50m、高さ約48mの規模で、喜光寺本堂は正面5間(約31m)、奥行25m、高さ17.1mです。
すなわち、喜光寺本堂は大仏殿に対して幅0.55*奥行0.5*高さ0.35で、体積としては約1/10の大きさと言えます。
喜光寺本堂が「試しの大仏殿」と呼ばれる理由
喜光寺の本堂は大仏殿の1/10程度の大きさであり、行基が関わったお堂であることから、「試しの大仏殿」と呼ばれています。
これはつまり、「東大寺大仏殿を建てる前に実験的に建てられた」との意味合いです。
しかし、実際には喜光寺の本堂は722年に創建され、大仏造立が命じられた743年よりも約20年も前のものであり、実験的に建てられたものではありません。
ただ、いずれも行基が関わったお堂であり、大仏殿創建に行基の考えが反映されていることから、「試しの大仏殿」と称される理由として理解することもできるでしょう。
最後に
喜光寺を訪れてみると、本堂は大仏殿と大きさは異なりますが、どこか似ていると感じました。特に、同じ奈良時代に創建された唐招提寺金堂(幅7間、高さ約4.7m)に比べて、ずんぐりとした印象が強い点が共通しています。
喜光寺本堂は前述したとおり、厳密には「試しの大仏殿」とは言えません。しかし、多くの寺院を建てた行基が、奈良市内で創建した唯一の寺院であり、一見の価値のある寺院、本堂であると言えるでしょう。
文・撮影 / 草の実堂編集部
参考 : 『喜光寺HP』『東大寺HP』
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