湯(い)の花トンネル列車銃撃空襲 慰霊碑に4人追刻 身元判明を機に33年ぶり
太平洋戦争末期に八王子市内で発生した「湯(い)の花トンネル列車銃撃空襲」(中央本線419列車空襲)から今年で80年。犠牲者の調査や慰霊を行っている「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」(齊藤勉会長)が1月27日、現場近くにある慰霊碑に、近年になって身元が判明した犠牲者など4人の名前を33年ぶりに追加で刻んだ。
1945年8月5日、新宿から長野へ向けて走行中の列車が裏高尾町にある湯の花トンネル付近で米軍戦闘機の銃撃を受け、乗客133人が負傷、52人が亡くなる事件があった。当時は戦時下の情報統制で詳しい被害が公表されなかったこともあり、身元がわからないまま葬られた遺体も少なくなかった。
同会は1984年の発足以来、犠牲者の調査や遺族らを招いた「慰霊の集い」を開催してきた。身元が特定できた44人の名前を刻んだ慰霊碑を92年に建立し、その後も犠牲者の情報提供を求めていたが、30年近く新たな名前が明らかになることはなかった。
20歳女性の身元明らかに
転機が訪れたのは昨年9月、齊藤会長のもとに届いた1通のメールから。差出人は中国の作家・魯迅の研究者で、魯迅と親交があった歯科医師・奥田愛三さんの遺族をインタビュー中に、奥田さんの長女で当時20歳だった奥田新子さんがこの列車に乗っていて空襲に巻き込まれ亡くなっていたことがわかった。遺族と連絡をとった齊藤会長は、戦後80年の節目にあたる今年、これまで身元がわからず名前だけ判明していた3人とともに新子さんの名前を慰霊碑に刻むことを決めた。
慰霊碑建立の際にも支援を受けた東京八王子南ロータリークラブから再び協力を得られることになり、この日、同クラブ会員の宮川石材(株)により作業が行われた。同社の宮川健一代表取締役は「世界中で奉仕活動を行っているクラブなので、地域に貢献できたことがありがたい」と語った。齊藤会長は「この80年で事件の当事者や遺族も少なくなり、会の活動も難しくなってきているが、これからも調査を進めながら、これまでの記録をまとめるなど、この惨劇を後世に伝えていきたい」と思いを語った。