ビジネスの芽は自分に蒔かれた種にあった|株式会社アヴァンギャルド 福本将虎さん
福岡大学商学部・飛田先生の"福岡新風景:経営者と語る福岡の魅力"では、福岡へ新たに根を下ろした経営者たちの生の声をお届けします。さまざまな背景を持つ経営者がなぜ福岡を選び、どのように彼らのビジョンと地域の特性が融合しているのか、また福岡がもつ独特の文化、生活環境、ビジネスの機会はどのように彼らの経営戦略や人生観に影響を与えているのかについて、飛田先生が、深い洞察と共に彼らの物語を丁寧に紐解きます。福岡の新しい風景を、経営者たちの視点から一緒に探究していきましょう。福岡へのIターン、Uターン、移住を考えている方々、ビジネスリーダー、また地域の魅力に興味を持つすべての読者に、新たな視点や発見となりますように。
※この記事は、Podcastでもお楽しみいただけます。
みなさん,小さな頃に受けた教育って覚えていますか。小学校ではなく,幼稚園や保育園のときのこと。そして,それが自分自身の人格や行動様式に影響を与えているかもしれないって考えたことありますか。幼少期の教育で蒔かれた種は,20数年経って芽を吹き出そうとしています。
今回は,そうした自分が受けてきた教育を振り返り,沖縄の繁華街,松山で認可外保育施設の運営を始めた若き経営者に登場頂きました。自分の人生を振り返り,今何が為されるべきか。株式会社アヴァンギャルドの福本将虎さんにお話を伺いました。
沖縄の繁華街で保育園ビジネスを始める
飛田 よろしくお願いします。まず,自己紹介からお願いします。
福本 株式会社アヴァンギャルド代表の福本将虎です。「とら」と呼ばれています。今年4月に沖縄県那覇市の認可外で夜間に営業している保育園を事業譲渡で買収しました。
福岡で生まれ育って、幼少期にモンテッソーリ教育を受けていました。子どもの頃から野球少年だったんですけど,大学を中退しました。退学したタイミングも遅く,普通とは違うキャリア選択をしたので,自分の人生を振り返って「なぜそういう決断をしたのか」を考えているときに、幼少期のモンテッソーリ教育の育む人物像というのをふと見て,それを読みました。すると,自分の特徴が重なっていることに気づきました。「これは幼少教育が結構僕の人生に影響を与えているな」と思い、何となく幼少教育に携わる仕事がしたいと思っていました。
そうしたこともあって,大学中退してから1年経ったぐらいから、保育業界に深く入り込む時期がありました。 当時は待機児童問題のピークで、保育園はそもそも厚生労働省の管轄なので,(文部科学省主管の幼稚園や学校のように)充実させなくても,あるだけでOKですよという印象を受けていました。 そうすると,お子さんを預かるだけという保育園もたくさんあるし、場合によっては「前の保育園でこういうことやっていたから今回も同じ保育をやります」というように教育方針がない保育園もあるような印象を受けました。
子どもからしたら、幼稚園か保育園行くどの保育園行くとかは選べないし,そこで格差ができてしまうのはどんなもんかなと思い,自分の保育園を開園したいと考えてきました。そして,今年の春に事業譲渡で沖縄の保育園を買収しました。
飛田 保育園を経営し始めて感じることがいろいろとあるのでしょう。また,「沖縄の保育園」ってさらって言われましたけども、そもそも沖縄に至るまでどういう経緯があったのか。今どんな保育園を運営をされているのか,どんなところを目指してるのかを教えてください。
福本 那覇市の松山という場所の夜間の保育園です。いわゆる夜の繁華街で、福岡で言う中洲,東京でいう歌舞伎町,規模は置いといて,「夜のお仕事」の人たちが働くエリアです。ただ,東京や福岡と違うところは沖縄の経済や環境に起因する状況かもしれません。沖縄は貧困率だったり、シングルマザーの割合,早期出産,つまり年齢早い段階で出産を経験するっていう数が日本でトップクラス。10代で子どもを産んで、例えば彼氏が働かないとか,男にDVされるみたいな子たちが、子どもを守るために夜の繁華街に出てきて働いてというパターンが多いです。上間陽子さんの『裸足で逃げる』に書いてあるような子たちが夜子どもを預けて、働きに出る。そのとき子どもを預かる夜間保育園を僕らはやります。
実際,今回買収した保育園がどんな状況なのかを改めて調べると,買収前に通っていた子たちは8割が,児童相談所がマークしているような状況で,今日保育園に来るはずだった子どもが夜中兄弟2人で公園に置き去りにされていたから警察から連絡ありましたというようなこともあったようです。
教育はそうした状況にある子どもたちを少しでも良い状況にすることができるのではないか。僕ら会社のビジョンは,『優しい革命家を輩出する』というもので、ミッションは『根拠のない自信を育む自尊心を育む』というものにしています。
そうしたミッションのもとで,これまでの傾向等でもわかっていることですが,育った家庭環境が良くないと、自身が子育てを始めても育った環境に近いいような子育てをしてしまうパターンも多くあります。そこで,僕らは親や周囲からの愛情不足でそうなっているっていう見方,もちろん全てがそうではないですけど、それがひとつの要因になっているのではないかという捉え方をしています。
飛田 つまり,愛着形成がちゃんとなされていってないという解釈に基づいて,そこから変えていこうということなんですね。
福本 そうですね。なので僕らは愛着形成をちゃんと保育園としてやっていこうと。保護者が100%でできないところは保育士たちが愛情を持って接っしてカバーしていく。実の親でなくても、第三者が愛情を注げば愛着形成できていくっていうことをしようと思っています。そうしたデータはありますし、保護者の代わりではなく保護者が愛情を注げるように保護者の負担が減って子どもに愛情を注げる時間が増えるようなサポートも保育園としてやっていく。そうすることで貧困の循環というか,負のサイクルをじわじわと変えていこうってのがわたしたちの目指しているところです。
飛田 お話を聞いていると,すごく社会的意義の高いことを目指すというのはわかりました。でも,正直ビジネスっていう観点から言えば、一番厳しいところから入っていくという印象を受けます。あえて一番厳しいところをやろうと思ったのには何か理由があるんですか。
福本 それは最も厳しいところでやれたら、その後どこでも展開できるっていうのが一番すね(笑)。もうそれだけですね。いや,事業譲渡のときにビジネスプランを考え,さまざまなシミュレーションをしたのですが,ある一定の充足率を満たせれば経営は成り立つということがわかりました。それもあって決断をしたというのもあります。
飛田 なるほど。単に思いの部分だけではなく,経済性も算定して意思決定をされたということですね。それで,開園は11月と伺いました。
福本 そうですね。まだこれからですね。
なかなかもどかしい周囲の反応と確実に感じる手応え
飛田 まだ始まってないから手応えみたいなのはよくわからないかもしれませんが、実際に沖縄もそうですが,周りの反応ってどうですか。
福本 そうですね。政治家の方も行政も興味を持ってくださっているのは感じます。沖縄で選挙のテーマと言えば,基地問題と貧困問題が挙がります。その中で僕らはド直球に貧困問題に向かって行っているので,みなさんからは「いいね,ありがとうございます,沖縄のためにありがとうございます」といった反応が多いのは多いです。
その一方で,夜の仕事に対するさまざまな見方があるのも事実です。昼の仕事ができるのにわざわざ夜に働くことになるのか。そこに行政や国が支援を施すのは時間がかかる。というような反応もあります。
飛田 職業で差別区別っていうのは絶対にいけないことである。でも,一方で夜の仕事だから考慮しなければいけない独特の事情もある。貧困に対する支援は必要だけれども,なかなか行政として支援が届けられない。難しい問題ですね。とは言え,もうたくさんの問い合わせが来ているのでしょ?
福本 はい。そうですね。今の時点で60件近い公式LINEへの登録と問い合わせがあります。
飛田 60件!それだけニーズがあるのに行政の支援が届けられないというのは何とも難しいですね…。
福本 そもそも僕たちは認可外保育園です。今は認可とか,企業主導型とか,小規模何とかっていう保育園は補助金が出ます。しかし,僕らにはそれがないです。なぜ那覇市の多くの夜間保育園が認可取得できていないかと言うと,そもそもの待機児童数が少なくなっているので認可の募集がほぼほぼない。
また,保育園に子どもを預けるというのは日中が前提にされていて,夜の飲食店などで働く人の子どもたちは待機児童数に反映されてないです。
しかし,僕たちの保育園はそれよりも長く,朝まで働いている女性向けでもあります。 あるマスコミの方と話したときには,「夜の子どもを預かっていますっていうよりは、シングルマザーのサポートをしていますみたいな見せ方だと良いんだろうね」というようなことを言われたりもして…。
飛田 僕も子どもを保育園に預けたのでなんとなくわかりますが,行政支援も所得だけでなく,行政に一元化されている情報と紐づいて支援しているから,その情報すら取れないということ自体が課題になるということでしょうね。それでも,本当はそうして困っている人に手を差し伸べなきゃいけないんだけど,そうなってないっていうところが大きな問題意識としてあるってことですよね。
福本 そうです、はい。買収前の保育園だって,子どもが困っているから今日預からないといけない,子どもたちは目の前にいるから手を差し伸べたい,そうした事態がずっと続いているので収益は上がらないけど、開け続けるしかない。そうして園長とか経営者層は労働基準法とか関係ないから,朝まで園を開ける。それに伴って経営も疲弊していって、挙句の果てに死亡事故が起こったり,保育の質も下がっていくというのが沖縄の夜間保育園のパターンとしてはあったのかなという現状です。
飛田 そもそも(那覇の)松山あたりとか,その周辺まで含めると夜間保育園って割と数あるんですか。
福本 コロナ前までは6ヶ所近くありました。コロナ明けて半分以上が閉まりました。残ったうちの1つを僕らが買収したので多くの認可外の夜間保育園が潰れています。 理由は,コロナ期間中に夜の店が空いていないから誰も子どもを預けない時期が2年近くあり、補助金も出ないし,コロナ融資もあったんですが,それだけではいよいよ持たなくなっていっちゃった。経営も立ち行かなくなったという状態だったそうです。
飛田 本当に厳しい状況ですね。今までの話で保育園が置かれている状況,特に預ける親であったり,経営する経営陣の話はわかったのですが,保育士さんや看護師さんのモチベーションとかはどのようなところにあるのですか。
福本 そうですね。僕らは開園していないので何とも言えないんですけど,まだ給料も何も公開してないのに求職者からの連絡が数件あります。面接をした際に、日中仕事しながら,夜も夜間保育園で働きたいというの話をされたことがあります。夜間手当も出るだろから働きたいという声があります。今いるメンバーも結構パワフルな人が多いので、保育士さんをどう確保していくかという部分は大丈夫かなと思っています。
今の自分がどう創られてきたのかを気づくことができた:幼少期の教育と病気
飛田 自己紹介で「自分が育った環境」という話がありましたけども、必ずしも恵まれない環境にある子どもたちでも「自己効力であったりだとか、自分に自信が持てるようになればその道は切り開けるんだ」っていうところが今回の保育園開園の一番大きな狙いだと理解しています。また,自分のことを振り返ってという話もありましたけど、モンテッソーリ教育を幼児期に受けていて、それ自体のことをポジティブに捉えているから今こういう仕事をしようと思っているんだと拝聴しました。そこで,お聞きしたいのですが,そういったことに気づいたり、そういうものをポジティブに受けられるようになるまでの経緯って何かあったんですか。
福本 キッカケは大学中退した1年半後ぐらいにモンテッソーリ教育の映画が公開されました。それを見たときに,保育園で過ごした経験が自己肯定感上がったりとかコミュニケーション能力に繋がってるんだと感じた瞬間でした。
そんな話を聞いたときに「これだな」と思ったことがあります。
もう1つ,鬱になった経験です。働き始めたあとも半年間ぐらいはもう働かずに,病院に通いながら生活していたりすると「自殺する」とかもよぎってくるし。でも,そういうときでも「今はきついけど、自分ならなんか大丈夫そう」みたいな、小さな炎のようなものが消えずにいたんです。それが僕には自尊心というか,「根拠のない自信」だというふうに解釈したんです。
そういう自分の経験をどんどん紐解いていくと,結局は幼少期の経験が重要なんだろうなって気がしている,それが仮説でもあるので,それをこれから保育園で10年、20年,30年で検証したいし,そうした子どもが増えていくと良いなと思っています。
飛田 なるほど。
福本 それにさまざまな保育園に見学行くと預かっている子どもの数がそもそも多いんじゃないかなと思っています。僕が通っていた保育園も幼児300人ぐらいいる大きな保育園なんですけど、あの当時の先生たちが僕の性格をめちゃくちゃ覚えていって、名前ももちろん覚えてくれている。本当にちゃんと見てくれている人たちに育てられたら自信もつくよなって思います。
飛田 たとえ子どもであっても,自分から発話できなかったとしてもコミュニケーションをする、人としてちゃんと尊重して向き合う。それは保育士である大人側が向き合ってくれたっていうことを気づけた。しかも,それは病気になったりだとか、いろいろ大変なこと、楽しかったこともあって改めて立ち返ったときにそこに戻れたというのが今のビジネスに繋がっているってことですかね。
福本 はい,そうですね。
可能性を引き上げてくれた恩師との出会い
飛田 あと,今日はもう1つ,どうしても話をしたいことがあって。福本さんにとって,木村隆之先生(九州産業大学)の存在はとても大きかったですよね。わたしたちにとっても,福岡でアントレプレナーシップ教育での連携を図ろうとしていた矢先に亡くなられてしまって。パワフルで人に篤い先生だっただけに,とても残念な思いをしました。大学を中退した福本さんが縁もゆかりもなかった九州産業大学で学生支援をする経緯をお話しくださいますか。
福本 まだ大学に在学していたときに,木村先生の授業を受ける機会があったんです。ベンチャー企業論という授業。当時から起業したいと思っていた僕からすれば名前だけでもすごく楽しみだったんです。正直,遅刻して行ったときとかもあるんすけど,最終回の授業で木村先生が横にチョロチョロってきて「君,福本くんでしょ?」って。SNS見ておられて「知ってるよ」って声かけてくださって,そのときは「ありがとうございます」って挨拶しただけでした。
その後、僕が大学中退しましたっていうブログを載せたら,木村先生から連絡が来たんです。「九産大でオープンイノベーションセンターを今作っています」と。それで「スタートアップにある程度知見があって,ちょっと時間に余裕があって,週2ぐらいで入れる人を探していました」って言ってくださって。それで少し考えるんですけど,起業したいと思っている僕は「自分が独立するっていうところに対して一番近道というか、ベストであろう」って思えたんです。木村先生からも「まさに福本くんのように将来起業したいって思っている学生たちの受け皿になって,ここから独立していくような支援をするセンターを作りたいから」って言われて,思いを学生と一緒に伴走していくことで僕も多くを学べるだろうなと思ってお引き受けしたんです。
ただ,当時は大学4年生と同じ年齢だったので,大学側からは年齢や経験のことでいろいろと言われていたそうです。あとから聞いた話ですけど。それでも木村先生は頭下げてくださって僕に機会を提供してくれた。
飛田 今自分でも言っていたけど、大学4年生の年齢で他大学を中退した人間を週2とは言え受け入れるっていう土壌はなかなか作れないですよね。これは『剛腕木村』の成せる技だったと思います。でも,そのときにベンチャーの伴走支援やってくれって言われてどう思っていたんですか?
福本 もちろん経験もないし,知識もない。そういう状態なんですけど,木村先生と大分でそういう支援をされていた宮井さんと3人でセンターを始めて,知識の部分はシニア層の2人がやるから,僕の役割は本当に大学生の伴走。斜め上の関係っていうんですかね,学生たちの話を聞いたり,手助けしたり,そういうことをしてきました。
飛田 そうやって始まったオープンイノベーションセンターだけど,今その経験も含めて起業家として生きていく上で何か役立っているとか、忘れられないエピソードのようなものはあったりますか?
福本 2つあって。1つは今に生きているというか、食い繋げたみたいな話です。僕は鬱のときに九産大の仕事ももうどうしてもできなくて,「今こういう状態で無理です」という投稿を頑張って投げたんです。そうしたら木村先生から電話がかかってきて「実は僕も若いときに鬱の経験があってね」みたいな話をしてくださいました。そのときに,木村先生にもそういう一面があったんだなっていうことを知って嬉しいなと思ったし,少しでも僕が働ける環境を整えてくれようとすぐ保健室を手配してくださって。「契約も続けます,回復したら来ればいい,これからの時代,鬱みたいなものとかは、もう切り離せないし」って。「それも人としての特徴で,それはこれから出会う学生にとっても価値だと思うから,元気になったら戻ってきてください」っていうお話をしてくださったんです。そのときにすごく救われたし,実際働けない,しかも個人事業主で働けないってなると辛いですからね。
飛田 それともう1つ。
福本 もう1つは,大学のときから僕は「起業したい,社長になりたい」から始まったタイプの人なんですよね。だからいかにその仕組みを作るかとか,ビジネスをやってたみたいなところにずっと目が向いていたんですけど、九産大でやっぱ1個下の後輩が悩んでいて,一緒に人生考えるっていう、目の前のこの1人の未来を一緒に考えていくことが楽しくて仕方なくて。それは結構今の保育園ビジネスにも繋がっていて、九産大の仕事していなかったら幼少教育,自分の経験をもとに幼少教育に興味があるって言って,それに関連する ITサービスを開発したり、教育会議やりみたいな方向でアプローチしていた気がするんです。でも,九産大で目の前のこの1人をどうするかっていうところに向き合うことによって,「やっぱ保育園で人と人がちゃんと関わり合ってどう育んでいくかっていうところをやりたいな」って思えたのは九産大があったからだなって思います。
飛田 そう振り返ってみると,九産大でやってきたことと保育園で今やろうとしていることというのは,自分が受けた教育であったりだとか,人が好きっていうところで結びついているんですね。
福本 そうですね。はい。
飛田 人と向き合って何かをお互いの考えていることだったり,思いをやり取りするっていうところに非常に興味関心があるし,それが自我っていうか,自分自身を形作っているっていう何か確信めいたものがあるんですね。
福本 そうですね。おっしゃる通りですね。僕にとって九産大の仕事も,保育園の仕事も違いはなくて。保育園やるってなると「子ども好きなんですね」って言われるんすけど、僕は別に子ども好きではないんですよ。
僕はフラットにどの世代も同じ人間だと思っていますが,幼少期になれば幼少期になるほど可能性はあるじゃないですか。30歳の人が何かこれから変えて始めるより,0歳のときからやる方が可能性はある。でも,日本では大人都合で時間が回っていたりとか、資本主義も回っていたりするので、子どもがまだ遊びたくてももう遊ばない、帰るよとか、何の時間だよとかなったりしちゃうのが、なんか同じ人間なのに、なんだろう。あまり平等じゃないなっていう違和感とかもあったりして。だから,本当は全年齢層,全人類の教育,主体性を育むような仕事をやっていきたいって考えています。
最後に
飛田 今回お話を伺って,改めて紆余曲折を経て確信的に今の事業に取り組める自分がいるっていう感覚をお持ちのように感じましたが,実際のところどうですか。
福本 はい。そう感じます。動いていればさまざまな壁はあるけど、結局何が大事かっていうと「諦めない」だったり,「こっち駄目だったらこっちすればいい」って言うだけなんですよね。ただ,最後まで「諦めない」「自分はどうにかなる」って思えています。
飛田 これからも学生のロールモデルとして活躍をして頂くとともに,まずは大きな目標として沖縄の子どもたちの貧困とシングルマザーの生活を少しでも支えるみたいなところでのご活躍を期待しています!今日はありがとうございました!
福本 ありがとうございました。
今回のお話はいかがでしたか。若きアントレプレナーが今,どのようにしてビジネスを興そうとしたのか。自分が苦境に陥ったときに,自分のこれまでの反省を振り返って人との出会い,つながりを形にしてきたからこそ,教育という事業に取り組もうとされている。福本さんと話をしていると,こちらもパワーを頂くことができました。次回もまた,お楽しみに!