「転職=逃げること」と思い込んでいた友人に伝えた話
「すごいですね、私ぜんぜん勉強なんかしませんでした!」
先日、会社経営者の友人と飲んでいた時のこと、とても不思議な話を聞くことがあった。
お互いに、社会人になり最初に勤めたのは、大手証券会社だ。
営業マンとしての苦労を分かち合えるだろうと、こんな話を振る。
「営業マンになって最初の半年、どれだけ銘柄を勉強してお客さんにオススメしても、全く買ってもらえなかったんですよね…」
すると返ってきたのが、冒頭の言葉である。
「すごいですね、私ぜんぜん勉強なんかしませんでした!」
「じゃあやっぱり、営業成績も悪かったんですよね?」
「いえ、同期で1番になったこともあります」
「はあぁぁぁ・・・???」
平成初期といえば、株式投資はまだまだバクチのようなものと捉えられていた時代だ。
インフレ対策や資産形成といっても全く響かず、まして長期分散投資の有効性を頑張って説明しても、鼻で笑われてしまう。株式投資に興味があるのは、ごく一部のお金持ちでしかない。
そしてそういったセミプロのような投資家のもとに営業に行くと、いつも決まってこのように問われた。
「なんかおもろい情報あるか?」
「儲かる銘柄、なんかあるか?納得できたら買ってもええぞ」
もう随分昔のことなので記憶が曖昧だが、私は当時、三菱重工業や東京エレクトロン株について、一定の周期性を分析していた記憶がある。
そのためその周期を説明し、売り時、買い時などを説明するのだが、返ってくるのはいつも同じ答えだ。
「おもんない。それくらい知ってる、帰れ」
そんな思い出話をしたうえで、改めて彼に聞いた。
「銘柄や相場の勉強もせずに、どうやってトップ営業になれたんですか?」
すると彼から、全く予想もしていなかった思いがけない答えが返って来る。
「帰ろう、帰ればまた来られるから」
話は変わるがずいぶんと昔のこと。大手メーカーに就職した友人と飲んでいる時に、こんな相談を受けたことがある。
「聞いてくれ、俺…。営業から経理にまわされたねん」
「へ…、お前が?なんでやねん」
「そうやろ?ぶっちゃけ俺、簿記3級すら持ってへんのやぞ」
コミュニケーション能力も高く世話好きで、絵に書いたような営業向きの男だ。
一体なぜそんな事になってしまったのか。
「わからへん…。ただ、ウチの会社は基本的にこういう部門をまたぐ異動はないねん。営業から経理への異動が前代未聞やし、短期でまた営業に戻るような異動は、まあ期待できへん」
「そうか…。まあそういうこともあるやろう。で、経理での仕事は順調なんか?」
「順調なわけないやろ。損益計算書とか貸借対照表の基本くらいわかるけど、どの伝票をどの科目に仕分けるとか、こんなもん職人の世界やんけ」
そして彼はいつも、残業時間の上限まで職場に残り、土日も闇出勤して必死に仕事を消化しているという。
心身ともにボロボロの状況であることは、見た目からもあきらかだ。
「とてもいい状態と思えへんけど、今のまま仕事続けるんか?」
「そりゃそうやろ、まだ就職して5年やぞ。短期間で逃げるように転職したらキャリアに傷がつくし、キャリアダウンの会社にしか再就職できへんやんけ」
「それ、大和証券から数年で逃げた俺への嫌味か?(笑)それはともかくとして、なら経理で生きていくことにするんか?」
すると彼は、様子を見る、もしかしたら何かの間違いですぐに営業に戻れるかもしれないというような、優柔不断で根拠のない希望的観測を語る。
現実から目を逸らして、“宝くじ”を心の拠り所にしてしまっている状態だ。
「そうか、わかった。参考になるかわからへんけど、少し俺の話を聞いてくれ。俺はお前と違って、すぐに逃げる人間や。その“逃げの哲学”についてや」
「お前が?なにかから逃げるようなヤツに思えへんのやけど」
「お前の言葉を借りるなら、大和証券から数年で逃げてるやんけ(笑)まあ聞け、零戦って知ってるよな?」
「それくらい知ってるわ。いきなりなんやねん」
そこで私は、零戦は太平洋戦争の開戦当初、米軍がその戦闘報告を信じないほどの無敵の強さを発揮したこと。
現実が明らかになると、日本軍のパイロットの技量の高さ、零戦の運動性能の高さを正しく認識し、零戦と遭遇したらただちに逃げるよう命じたこと。
そして米軍は、わずかな期間で新たな戦い方とそれに適した戦闘機を開発し、程なくして零戦は型落ちになってしまったことなどを説明した。
「日本海軍のパイロットの技量はもうな、神業的に凄まじかったねん。ドッグファイト、つまり相手のケツを取って撃ち落とす戦い方では、米軍は勝てへんと理解したんや。その時、どうやって米軍は戦況をひっくり返したと思う?」
「軍事マニアや無いし、そこまで知らん」
「自軍が劣る土俵で戦わんかったんや。マニアックな事を説明してもしゃーないんで、すごく雑に言うぞ」
そう前置きし、米軍はドッグファイトのような高度な技量が要求される戦い方を放棄し、技量の劣るパイロットにも習得が容易なサッチ・ウィーブと呼ばれる戦法に切り替えたこと。
さらに一撃離脱(一発撃って逃げる)という戦い方も取り入れたことなどを、大まかに説明する。
「それからな、これが大事なんや。シャアの名セリフやないけど、零戦って『あたらなければどうということはない』やねん。逆に言えば、一発あてられたらすぐに墜とされてしもた」
「…米軍は?」
「『あてられても墜ちなければいい』や。クッソ頑丈な機体を投入した。その結果、いくら技量に勝る日本軍のパイロットでも、どんどん削られていった。すごく雑な説明で申し訳ないけど、お前はこの構図から何を学ぶ?」
「属人性の排除か?」
「大正解。けど、もうひとつあるぞ?」
「勝てへんフィールドで戦わへんってことか…」
「その通りや。だから俺は、自分が勝てへんと思ったフィールドからはすぐに逃げる。俺なりの“逃げの哲学”や。意地を張って死んでたまるかい」
そしてその話の延長で、友人は今まさに、強みを生かせる戦い方を封じられている状態にあること。
勝ちの見えないフィールドでストレスMAXの中、どんどん心身を削られていること。
その環境に適応して新しい能力の習得を目指すのか、それとも“いったん逃げる”のかを選択するターニングポイントにあるのではないかと、助言した。
「なんかわかった気がする、少し俺なりに考えてみるわ。“逃げる”って恥ずかしいことやないんやな」
「当たり前やろ。“逃げるが勝ち”って、本当に基本的な兵法やぞ。『帰ろう、帰ればまた来られるから』ってやつや」
「…なんやそれ??」
「なんでもない。でも、少しは歴史を勉強せえ」
“何もない”という強み
話は冒頭の、大手証券会社でトップ営業になった友人についてだ。
「銘柄や相場の勉強もせずに、どうやってトップ営業になれたんですか?」
それに対して、彼は何と言ったのか。
「買いたい銘柄があったら教えて下さい!その理由も教えて下さい!」
彼は営業先に行くと、いつも決まってそう言っていたと説明した。
「えええええ??お客さんのところに行って、何を買いたいのか、その理由も教えろと言ったのですか?」
「はい、これが意外にウケたんですよ(笑)」
「いえいえいえ、いくら新人営業とはいえ、プロとしてお客さんの前に立つわけじゃないですか。それで許されたのですか?」
すると彼は、人たらしの笑顔をさらにニコリとさせ、こんな事をいう。
「桃野さん、新人の武器ってなんだと思います?」
「証券1年生、新人の武器…。今から思うとなにもないですね。全くありません」
「はい、知識や経験など何一つありません。20年、30年の投資家に付け焼き刃の知識で買ってもらおうとするなんて、無茶ですよ」
「…確かに」
「だけど、“かわいさと素直さ”だけは許されるんです。1年生の特権です。なんでつかわなかったんですか?」
何から何まで納得だ。しかも彼のロジックには、さらに深い含蓄が含まれている。
1987年に出版され、世界20カ国以上で発売された営業の名著、『SPIN式販売戦略』という本がある。
おそらく昭和後期や平成初期に営業職にあった人であれば一度は手に取ったことがあるであろう、営業のバイブルのような本だ。
多くの学びがある一冊だが、そのエッセンスの一つをまとめると、以下のようになる。
「人は営業から商品を勧められたら反発し、買わない理由を探す。しかし自分から買う理由を口に出したら、意地でも買おうとする」
そう、友人はまさに1年生の“かわいさと素直さ”で相手の懐に入ると、「今買うべきもの」を相手に語らせたということだ。
すると相手は、「あれ?なんで俺、まだ買ってないんだろう」という心理状態になり、直ぐに注文を出してくれる。
天性の人たらしである彼はまさにこの“強みと真理”を生かし、トップ営業に昇りつめたということだ。
そして話は、営業から経理に“飛ばされた”友人についてだ。
彼は明らかに、自分に強みがないフィールドで自縄自縛し、勝ち目の無いフィールドと方法で“勝ち”を目指そうとしていた。
そう、まるでデキの悪い1年生だった時の、私のように。
その無茶さを悟った彼は程なくして転職し、新天地で活躍するのだが、本当に良かったと思う。
誰にでも参考になる話などと言うつもりは、全く無い。
しかし勝ち目のないフィールドで戦わないという選択は、本当に“逃げる”ことなのか。
私は、勇気ある勝ち方の一つだと思っている。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
30回以上転職して、最後には起業して会社を上場させた経営者がいたような…。
誰でしたっけ?
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