「戦争」と真正面から向き合った筒井文学の極北──大森望さんと読む、筒井康隆『虚航船団』【別冊NHK100分de名著】
誰もがハマる、底なしの想像力──フィクションの超越者・筒井康隆『虚航船団』を、大森望さんと読む
日本の「SF御三家」と称され、90歳を迎えた今もなお精力的に作品を世に送り続ける、文学界のスター・筒井康隆。TikTokをきっかけに若者の間で再ブームが起きるなど、幅広い世代から支持を集めています。
SF、スラップスティック、言語実験、精神分析、そして超虚構――小説という形式の限界に挑み、変化を重ねてきた筒井康隆の軌跡をたどったNHK Eテレ「100分de筒井康隆」が単行本化され、2025年7月に発売となりました。
中条省平さん、池澤春菜さん、菊地成孔さん、大森望さんという筒井愛に溢れる4名の著者による、読む人すべてを底なしの“筒井沼”へと叩き込む、筒井康隆ガイドの新定番です。
今回は大森望さんによる『虚航船団』読み解きを一部公開します。残虐な鼬族が暮らす惑星を侵略するため、宇宙空間を航行する「文房具」たち。『虚航船団』第一章では、宇宙船内での彼らの不安定な精神状態がひたすら描写されます。人間ではなく文房具を登場させる奇想天外な設定に込められた意味とは、いったいなんだったのでしょうか。
第4章 超虚構の到達点――『虚航船団』 より
文房具であり、人間でもある
宇宙船の乗組員を人間ではなく文房具にするという奇抜なアイデアは読者を大いに驚かせましたが、これは同時に、非常に理に適った“発明”だったとも言えます。
文房具たちの名前には、基本的に文房具の名称がそのまま当てられ、彼らの内面や行動は、それらの機能によっています。例えば、ナンバリングは自身の行動に対して「1、2、3……」とひたすら番号を打つことに固執していますし、喧嘩っ早いホチキスは、口喧嘩の相手に言い負かされそうになると大量の針を吐き出します。二枚一組の三角定規は兄弟という設定で、四十五度、四十五度、九十度の直角二等辺三角形が兄、三十度、六十度、九十度の直角三角形が弟です。二人は、その似て非なる姿同様に人間性(あるいは文房具性)も異なり、ゆえに非常に仲が悪かったりします(正確には、弟が兄を猛烈に敵視しています)。
もし数多くの登場人物すべてに人名がついていたとしたら、名前と人物像を一致させることも、記憶に留めることも困難を極めたはずです。しかし、文房具という設定を使えば、それぞれにどのような特性があるのかを、つまりキャラクターを把握しやすくなります。この発明が『虚航船団』の複雑怪奇な物語をかなり読みやすくしていることは間違いありません。
ただ、次のような疑問を抱くかもしれません。これらの登場人物たちの「形態」はいったいどうなっているのか、と。彼らは文房具の姿で、その機能に則した行動をとる時もあれば、あたかも人間のように振る舞う時もあります。いったいどちらを「本当の姿」としてイメージすればいいのでしょうか。
これについては「どちらも正しい」と言うべきでしょう。彼らは単に擬人化された文房具ではなく、文房具の性質と人間の性質の両方を併せ持つ、ある意味“都合のいい”存在なのです。もし彼らが原寸大の文房具にすぎないとしたら、船の中をどうやって動き回るのか、船の操縦やメンテナンスはどうするのかといった問題が生じ、話が進まなくなってしまいます。光の性質が、ある時は粒子、ある時は波であるのと同様に、彼らもまた、文房具という“モノ”であると同時に“人間”でもあるのです。これは映像を用いた表現では不可能な、まさに小説ならではの技法と言えるでしょう。
現代人のメタファー
そして、これらの文房具たちにはある共通点があります。それは誰もがそれぞれの文房具特有の不具合を抱え、それゆえに精神に異常をきたしているということです。
最初に登場するコンパスからして、足のつけ根が緩んでいるため、正確な円が描けなくなっています。糊は過剰な性欲から(それ自体は精神異常ではありませんが)我を失っていますし、日付が分からなくなってしまった日付スタンプは、自身の存在意義を失って理性が崩壊しています。怒りのあまり「コココココ……」と大量の針を吐き散らして卒倒するホチキスは、「紙を留める」という本来の役割を放棄していると言わざるを得ません。彼らは皆、自身に与えられた機能を十分に果たせなくなってしまっているのです。
こうした病める文房具たちは、一つには、私たち現代人のメタファーであると解釈できます。本作が執筆、発表された、およそ七〇年代末から八〇年代前半にかけて、日本は高度経済成長からバブル景気への過渡期にあり、がむしゃらに働くことがよしとされた時代でした。「メンタルヘルス」のような言葉も概念もまだ一般的ではなく、表面化こそしていませんでしたが、精神の不調を抱えたまま働く人たちは決して少なくなかったはずです。また、当時は当たり前だった終身雇用の会社員も、「今いる場所から容易に離れられない」という点では、宇宙船の乗組員とよく似た閉塞感を抱いていたであろうことは想像に難くありません。そのような時代にあって、機能不全に陥り精神を蝕まれた文房具たちの集団は、ある意味リアルな存在として読者に受け入れられたのではないでしょうか。
そもそも、戦争に赴く兵士たちの精神状態が不安定になるのは必然だという考え方もあるでしょう(前述した『キャッチ=22』は、まさに戦争と、それを取り巻く狂気を描いています)。しかし、戦争に突入する以前から文房具たちがその兆候を見せていたことからも、社会で担うべき役割を果たすことができなかったり、そうした役割と「自分」との間に齟齬が生じたりしている状況が先んじてあると考えられます。つまり、誰しもが抱え得る不全感を拡大し、文房具によってカリカチュアライズしてみせたのが、この第一章なのです。そして、「文房具=現代人=私たち」という構図には、そのまま「戦争に赴くのも、また私たちのような一般人である」という含みがあるのかもしれません。
本書『別冊NHK100分de名著 フィクションの超越者 筒井康隆』は、大好評を博したNHK「100分de筒井康隆」を単行本化した一冊です。・第1章 革命と内宇宙のリズム――『脱走と追跡のサンバ』(中条省平)
・第2章 拡張と回帰の物語――『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』(池澤春菜)
・第3章 夢と虚構の純文学へ――『エロチック街道』(菊地成孔)
・第4章 超虚構の到達点――『虚航船団』(大森望)
という全4講師の読み解きで、筒井康隆作品をガイドします。
■『別冊NHK100分de名著 フィクションの超越者 筒井康隆』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは記事から割愛しています。詳しくは本書をご覧ください。
著者
大森 望(おおもり・のぞみ)
書評家、翻訳家、SFアンソロジスト。1961年、高知県生まれ。「ゲンロン 大森望 SF創作講座」主任講師。京都大学文学部卒業。新潮社勤務を経て、91年よりフリーとして活動。責任編集の『NOVA 書き下ろし日本SFコレクション』全10巻(河出文庫)で第34回日本SF大賞特別賞、第45回星雲賞自由部門を受賞。共編の『年刊日本SF傑作選』全12巻(創元SF文庫)で第40回日本SF大賞特別賞を受賞。著書に『21世紀SF1000』(ハヤカワ文庫JA)、『現代SF観光局』(河出書房新社)、『50代からのアイドル入門』(本の雑誌社)など多数。訳書にテッド・チャン『息吹』、コニー・ウィリス『航路』上・下、共訳書に劉慈欣『三体』シリーズ(以上、ハヤカワ文庫SF)など多数。
※すべて刊行時の情報です。