多摩市在住 TM NETWORK木根尚登さんインタビュー 多摩センター駅開業50年を記念して
1974年10月18日に開業した多摩センター駅は、あす18日(金)に50周年という記念の日を迎える。本紙では、日本が誇る人気音楽ユニット「TMNETWORK」の一人で、多摩センターにゆかりの深い木根尚登さん(多摩市在住)に多摩地域、多摩市、音楽に関することなどについて話を聞いた。※中面に関連記事あり
「多摩」にこだわり
--木根さんは立川市出身で、同級生の宇都宮隆さんと、府中市出身の小室哲哉さんとグループを組み、長く「TMNETWORK」のメンバーとして活動していますが、多摩センターエリアには、いつごろからお住まいですか。
「1983年にグループを結成してデビュー10周年を迎えた時(1994年)にはすでに住んでいたので、もう35年近くなるでしょうか。多摩センター駅からまっすぐ進んだ多摩中央公園の近くに住んでいます」
--多摩市を選んだ理由はあるのですか。
「立川で育ったあとTMがデビューした時には国立市とか府中市とかに住んでいた時もありました。そんな中、宇都宮くんや小室くんは便利な都心のほうにすぐ引っ越しましたけど、ぼくにはすでに子どもがいて環境の良いところに住みたかったんですね。窓を開けたら高速道路が走っているというシチュエーションより、緑や自然が多いほうが良いだろうなという思いがあったからですね。こじつけにはなるんですけど、ご存じかと思いますがTMNETWORKのTMの由来は多摩ですからね。一人ぐらい多摩に住んで、多摩にこだわっていてもいいんじゃないかなと思ってね(笑)」
--多摩市には住む前に来たことはあったのですか。
「そうですね。多摩市は最初に開発されたのが永山で、同級生の弟や音楽仲間がいたものですから、多摩ニュータウンが開発されはじめたころからよく来ていました。どんどん開発、発展していくまちだなと思っていました」
「環境込み」のまち
--あす18日で多摩センター駅が開業して50年という節目を迎えますが、電車などは利用しますか。
「電車には乗りますよ。京王線も、小田急線も。立川に行く時はモノレールをよく使います。立川に同級生がいて、同窓会とか立川でやるとモノレールを使いますね(笑)」
--多摩市内でよく行く所とかはありますか。
「時々近所の方とご飯食べたり飲みにいったりしています。多摩市は『環境込み』だと思います。緑が豊富で丘陵地帯があり、噴水があったりとか、今ワンちゃんを飼っているんですが、家のまわりを歩いていると市外からも桜の花を見に来たり、富士山が見えるスポットがあったりと、お気に入りというよりかは自分が住んでいる環境(まち)自体が好きなんですよね。ワンちゃんがいるので一緒に入れるお店とかが最近増えているのでよく行きますね。聖蹟桜ヶ丘駅のほうでは多摩川河川敷に新しくできた、テラス席のあるお店にワンちゃんと一緒に行ってご飯を食べています。そこはお気に入りですね。多摩センター周辺だと『ピッツェリアラパーラ』とか、ココリア多摩センターにある『畑deキッチン』などは美味しいですよね。新しくできた中央図書館にはまだ行けていないので、時間ができたらゆっくり行ってみたいなと思います。あとは、図書館の前にはテラスや木の椅子があったりしてくつろいだり、本を読んだりしている人を見るといい雰囲気ですよね。あの辺りでワンちゃんを散歩していると季節の変わり目とかが敏感に伝わりますよね」
--近所の方とご飯を食べに行くというお話でしたが、近所の方と交流する機会はあるのですか。
「そうですね。子どもが学校に通っていましたから。その同級生の親御さんとか、あとはTMの初代マネージャーがすぐ近くに住んでいたり、長い付き合いの人もいたり、お付き合いをさせてもらっています。子どもが小さいときは学校行事に参加したり、いろいろと地元で活動させてもらっています」
--2009年に地元・鶴牧東公園で開かれた多摩ニュータウン野外コンサートに参加されたかと思いますが、その時のことは覚えていますか。
「やりましたねー。お話いただいて、お恥ずかしいですけど、みなさんなんとなく僕がこの辺に住んでいるということを知っているようでしたし、やってみようかなと思ってお受けいたしました。たくさんの方たちに来ていただいて、とても楽しかったですね」
多摩市の変遷
--多摩市のまちづくりの変遷について思うことはありますか。
「僕が10歳の時にモノレールができるって、地元の立川を通るぞと聞いていたのですが、完成したのが20年ほど前ですから時間がかかりましたね。多摩センターには、大型デパートがあったり、ドライビングシアターがあった時はよく行って、外国みたいな雰囲気でしたね。プールができたり、サンリオピューロランドができたり、僕らが来た頃にはどんどん発展していったという印象でしたね。ピューロランド近くまで散歩に行くと行列ができたりしていてすごい人気ですよね。便利な部分は多いですが、同じ『たま』でも、たまプラーザ(横浜市)や、おしゃれなにこたま(二子玉川)とかのほうが、やや飲食店や雑貨店などが多いですかね。多摩センターは学生のまちだからかもしれませんが、もっと発展してもいいと思いますよ。良く食事に行った京王プラザホテルが無くなったことが残念ですが、また新たに商業施設ができるということですから、もっともっと良くなると、期待値の高いまちだと思います。私も多摩市の歌を作ったり貢献できればという思いはありますよ」
--今年67歳を迎えましたが、50年前には何をしていましたか。
「14歳から音楽を始めて体育館のステージには立っていました。16歳で小ホールに立っていましたから、もう日々、音楽でしたよね。世の中がフォークソングブームでいろんな先輩が学園祭や小ホール、公民館を借りてフォークイベントをしていたものに出させていただいていました。当時は99円コンサートというのが流行っていて、公民館でパイプ椅子に座ってギターを弾いていました。ボブ・ディランとか吉田拓郎さんとかに憧れていましたね」
原動力は「好き」
--ここまで音楽を続けてこられた原動力はなんですか。
「やっぱり音楽を始めた中学生の時から、親に『うるさいから止めろ』『夜中にギターやピアノを弾いてうるさい』とか言われながらも、夜遅くまでヘッドフォンをしながらでも音楽を続けていましたから。心の中にある自分の『音楽が好きだ』という思いが20代、30代になっても続いて、TMも何十周年とかソロで全国ツアーをまわってそろそろおしまいかなと思うんですけど、もう1年やってもみようかなと思ったりしてね。原動力は『音楽が好き』ということなんでしょうね。10代の時と心の中は変わっていないんですよね」
--今後も拠点は「多摩市」ですか。
「そうですね。羽田とか都心とかに行くには遠いんですけど、引っ越さないですね。よく小室くんに『偉いね』『時間がもったいなくない』とか言われるんですけどね(笑)。でも、車で一人になる時間が好きで大切にしたいんですね。多摩市にはそれだけ魅力があるんですよ」
--ありがとうございました。