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ルイーズ・ブルジョワの「巨大クモ」に込められた母への思い

イロハニアート

ルイーズ・ブルジョワ, Maman,

現代美術の世界で、巨大なクモの彫刻といえば、多くの人がルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois)の作品を思い浮かべるでしょう。 美術館の前庭に堂々と立つ高さ9メートルを超える青銅製のクモ。 その威圧的な存在感は、見る者に強烈な印象を残します。 しかし、この作品に込められた真の意味を知ると、その巨大なクモが実は深い愛情と感謝の象徴であることがわかるのです。

ルイーズ・ブルジョワ, Maman, Maman - Louise Bourgeois - 03 (Cropped)

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フランスからアメリカへ──ブルジョワの歩んだ道


ルイーズ・ブルジョワ, Oliver Mark - Louise Bourgeois, New York 1996

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ルイーズ・ブルジョワは1911年、パリで生まれました。父親のルイは古いタペストリーの修復業を営んでおり、母親のジョゼフィーヌは織物工房を手伝いながら、英語教師としても働いていました。この家庭環境が、後にブルジョワの芸術的感性に大きな影響を与えることになります。

特に母親のジョゼフィーヌの存在は、ブルジョワの人生と作品に決定的な影響を与えました。ジョゼフィーヌは聡明で実用的な女性で、タペストリーの修復において重要な役割を果たしていました。古い織物の破れた部分を丁寧に繕い、新しい生命を吹き込む母親の姿は、幼いルイーズの心に深く刻まれたのです。

1930年代、ブルジョワはソルボンヌ大学で数学を学びましたが、やがて芸術への情熱が勝り、エコール・デ・ボザールやアカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエールで美術を学ぶようになります。この時期、彼女は絵画から彫刻へと表現媒体を移行させていきました。

1938年、アメリカ人の美術史家ロバート・ゴールドウォーターと結婚したブルジョワは、ニューヨークに移住します。この移住は彼女のキャリアにとって転機となりました。1940年代から50年代にかけて、ニューヨークは抽象表現主義の中心地として隆盛を極めており、ブルジョワもこの新しい芸術運動の中で自らの表現を模索していきました。

遅咲きの花ルイーズ・ブルジョワ──70代で迎えた国際的な評価


ブルジョワのキャリアの特徴的な点は、その遅咲きぶりにあります。1940年代から作品を発表し続けていたにも関わらず、国際的な注目を集めるようになったのは1970年代後半からでした。特に転機となったのは、1982年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された回顧展です。この時、ブルジョワは既に71歳。多くのアーティストが引退を考える年齢で、彼女は新たなキャリアのピークを迎えたのです。

この回顧展は、MoMAの歴史上、女性アーティストの個展としては初めてのものでした。展覧会のポスターには、ブルジョワが自作の大きな男性器を模した彫刻《Fillette》を抱いている有名な写真が使われ、多くの人々に強烈な印象を与えました。この展覧会以降、ブルジョワの作品は世界中の美術館で展示されるようになり、現代美術界での地位を確固たるものにします。
 
1990年代に入ると、ブルジョワは新たな表現領域として《Cells(セル)》というシリーズを開始。これは小部屋のような空間の中に様々なオブジェクトを配置したインスタレーション作品で、記憶や感情、トラウマといったテーマを扱ったものでした。

そして、この《Cells》シリーズと並行して制作されたのが、彼女の最も有名な作品となる《クモ》のシリーズだったのです。

《Maman》──母への愛が生んだルイーズ・ブルジョワの巨大な彫刻


ルイーズ・ブルジョワ, Maman, Mama de Louise Bourgeois

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ブルジョワが最初の大型クモ彫刻《Maman》を制作したのは1999年、88歳の時でした。高さ9.27メートル、幅10.24メートルという巨大なこの作品は、青銅、大理石、ステンレススチールで制作されています。《Maman》はフランス語で《お母さん》を意味し、この作品が母親のジョゼフィーヌに捧げられたものであることを端的に示しています。

作品の構造は非常にシンプルでありながら、強烈な印象を与えます。8本の細長い脚が空中に伸び、その下には楕円形の胴体部分があります。胴体の下部には、大理石で作られた卵のような形の要素が吊り下げられており、これは母性や生命の象徴として解釈できるそうです。

ブルジョワ自身が語ったところによると、このクモは母親の記憶と深く結びついています。彼女の母親は家業のタペストリー修復において、まさにクモのように糸を巧みに操り、破れた部分を丁寧に繕っていました。

また、クモは一般的に恐怖の対象とされがちですが、ブルジョワにとってクモは保護者の象徴でした。「私の母は、私にとって最高の友人でした。賢く、忍耐強く、清潔で、合理的で、役に立つ、きちんとしていて、美しいクモのように」と彼女は述べています。

(参考文献・引用元 Louise Bourgeois, "Spider", 1996年のインタビューより)

制作の背景──家族の記憶と芸術的昇華


《Maman》の制作背景を理解するためには、ブルジョワの家族関係について詳しく見る必要があります。彼女の幼少期は、表面的には恵まれた環境にありましたが、家庭内には複雑な問題を抱えていました。父親のルイは家庭教師として雇った女性と長年にわたって不倫関係にあり、このことは家族全体に大きな影響を与えていました。

一方で、母親のジョゼフィーヌは、この困難な状況の中でも家族を支え続けました。彼女は病弱でもありましたが、タペストリーの修復作業を通じて家業に貢献し、同時に子どもたちの教育にも力を注いでいました。特にルイーズにとって、母親は精神的な支柱であり、創造性の源泉でもありました。

ジョゼフィーヌが1932年に亡くなった時、ブルジョワは21歳でした。この母親の死は、彼女にとって生涯にわたるトラウマ、そして同時に芸術創作の原動力ともなりました。《Maman》が制作された1999年は、母親の死から67年が経過していましたが、ブルジョワにとって母親の記憶は色褪せることなく、むしろ歳を重ねるごとに重要性を増していったのです。

強い母、そしてクモ—――。ブルジョワにとってクモは、創造と修復の象徴でした。クモが巣を織るように、母親はタペストリーを修復し、壊れたものを美しく蘇らせていました。また、クモの巣は一見脆弱に見えますが、実際には非常に強靭な構造を持っています。これは、外見上は病弱だった母親が、実際には家族を支える強い存在だったことと重なります。

世界各地での展示と反響


ルイーズ・ブルジョワ, Maman(ビュルクリ広場), Maman am Bürkliplatz

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《Maman》の初回展示は、1999年にロンドンのテート・モダンで行われました。この展示は大きな話題を呼び、作品の写真は世界中のメディアで取り上げられました。その後、《Maman》は世界各地を巡回し、多くの人々に感動を与えています。

現在、《Maman》は複数のエディションが存在し、それぞれ異なる場所に永続的に設置されています。最も有名な設置場所の一つは、スペインのビルバオにあるグッゲンハイム美術館です。美術館の入り口前に設置されたこの作品は、ビルバオの新たなランドマークとなっています。また、カナダのオタワにある国立美術館前にも設置されており、こちらも多くの観光客が訪れる名所となっています。

日本でも、《Maman》は何度か展示されています。2008年には森美術館で開催されたブルジョワの回顧展《ルイーズ・ブルジョワ展》で展示され、多くの日本の観客に強烈な印象を与えました。この展覧会では、《Maman》だけでなく、ブルジョワの70年にわたる創作活動の全貌が紹介され、日本における現代美術への理解を深める重要な機会となりました。

緻密な計算が必要?ルイーズ・ブルジョワ作品の技術的特徴と制作過程


《Maman》の制作には、高度な技術的ノウハウが必要でした。まず、この巨大な彫刻を支えるための構造計算が重要でした。8本の脚は見た目以上に細く見えるように設計されていますが、実際には巨大な胴体部分の重量を安全に支えるための精密な計算に基づいています。

素材の選択も重要な要素でした。青銅は耐候性に優れ、屋外展示に適した素材です。また、青銅特有の緑青の色合いは、時間の経過とともに変化し、作品に歴史的な重みを与えます。胴体部分に使用された大理石は、生命的な質感を表現するために選ばれました。

制作過程では、まず小さなマケットが作られ、その後に実物大の作品が制作されました。この過程で、ブルジョワは細部にまでこだわり、特に脚の曲線や胴体の比率について何度も調整を重ねました。完成した作品は、単なる巨大な彫刻ではなく、観る角度によって全く異なる印象を与える複雑な空間体験を生み出しています。

ルイーズ・ブルジョワ『クモ』シリーズの発展と変遷


《Maman》の成功を受けて、ブルジョワは様々なサイズと素材でクモの作品を制作し続けました。小さなものでは手のひらサイズから、大きなものでは《Maman》と同程度のサイズまで、多様なバリエーションが生まれました。

素材も青銅だけでなく、鋼鉄、アルミニウム、さらには布や糸といった柔らかい素材も使用されました。これらの異なる素材の使用は、クモという主題に対する多角的なアプローチを示しています。硬い金属で作られたクモは威厳と保護を、柔らかい布で作られたクモは優しさと脆弱性を表現しています。

また、クモの作品は単体で展示されることもあれば、《Cells》シリーズの一部として、他のオブジェクトと組み合わせて展示されることもありました。これらの組み合わせによって、作品の意味はさらに複層的になり、観る者に多様な解釈の可能性を与えます。

現代美術史におけるルイーズ・ブルジョワ『Maman』の位置づけ


ルイーズ・ブルジョワ, Mamanと聖ポール教会, Louise Bourgeois & St Pauls (1805152935)

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ブルジョワの《Maman》は、現代美術史において複数の重要な意味を持っています。まず、女性アーティストの視点から家族関係や母性を扱った作品として、フェミニズムアートの文脈で高く評価されています。従来の美術史では男性の視点が中心でしたが、ブルジョワの作品は女性特有の体験と感情を普遍的な芸術表現に昇華させた点で画期的でした。

また、個人的な記憶やトラウマを芸術作品として表現する手法は、1990年代以降の現代美術の重要な傾向の一つです。ブルジョワは、この分野の先駆者として位置づけられ、多くの若いアーティストに影響を与えています。

彫刻作品としても、《Maman》は新たな可能性を示しました。従来の記念碑的な彫刻が権力や威厳を象徴することが多かったのに対し、《Maman》は私的な感情と記憶を公共空間で表現することの意義を示しました。この作品以降、パブリックアートの在り方についても新たな議論が生まれています。

受容と批評──賛否両論を超えて


《Maman》の発表当初は、その巨大さと異様な姿から、賛否両論の反応がありました。特に保守的な美術批評家からは、《ただの巨大なクモ》という批判もありました。しかし、時間の経過とともに、作品の深い意味と芸術的価値が広く認識されるようになりました。

現在では、《Maman》は現代美術の傑作の一つとして確立された地位を占めています。美術史家のマリア・バルサムは、この作品について「個人的な記憶が普遍的な感動を生み出した稀有な例」と評価しています。また、キュレーターのジェリー・ゴロヴァンは、「ブルジョワの『Maman』は、現代彫刻における記念碑的作品であり、同時に最も個人的な作品でもある」と述べています。

(参考文献・引用元:Maria Balshaw, "Louise Bourgeois: The Return of the Repressed", 2007年の論文、Jerry Gorovoy, "Louise Bourgeois: Blue Days and Pink Days", 1997年のカタログエッセイより)

作品が設置された各地でも、地域コミュニティとの関係は良好です。ビルバオでは観光資源としても重要な役割を果たしており、オタワでは市民に愛されるシンボルとなっています。これは、作品が単なる美術作品を超えて、人々の生活に根ざした文化的存在となったことを示しています。

愛の記念碑としての《Maman》


ルイーズ・ブルジョワの《Maman》は、一見すると威圧的で恐ろしげな巨大クモですが、その真の意味を知ると、これほど愛に満ちた作品はないことがわかります。母親への深い愛と感謝、そして失った者への永続的な記憶が、この巨大な彫刻に込められているのです。

ブルジョワは90代まで精力的に創作を続け、2010年に98歳で亡くなりました。彼女の長い人生において、母親の記憶は常に創作の源泉であり続けました。《Maman》は、その集大成とも言える作品です。

現代社会において、家族関係や母性の意味は多様化し、複雑になっています。しかし、ブルジョワの《Maman》が示すように、愛する者への感謝と記憶は、時代を超えて人々の心を動かす普遍的な力を持っています。この巨大なクモが世界各地で愛され続けているのは、そこに込められた純粋な愛情を、多くの人々が感じ取っているからなのでしょう。

美術館や街角でこの作品に出会った時、私たちは単なる現代彫刻を見ているのではありません。一人の娘が母親に捧げた、最も美しい愛の記念碑を見ているのです。

六本木で見られるルイーズ・ブルジョワのクモ


実は日本にもルイーズ・ブルジョワの作品がしばしば展示されることがあります。東京・六本木の六本木ヒルズの目の前には、クモ『Maman』が設置されており、ランドマークとして通りすぎる人々を見下ろしています。

六本木ヒルズのクモは、高さ約10 m、幅9‐10 m。ブロンズ・ステンレス・大理石で構成されています。よく観察すると、クモが腹部に大理石の卵が32個(または20〜26個)抱えている点も特徴です。

クモを東京に設置するにあたって、地震が起きてもこの巨大なオブジェが崩落しないための工夫が必要でした。そこで、六本木のクモは「特別な靴」を履いており、地震の揺れに対応できるように作られています。

高さ10mの巨大なクモは、近くから見ると少し不気味な印象すら与えます。迫力満点のクモの体を下から見上げれば、ルイーズ・ブルジョワの強い思想を感じることができるでしょう。

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