気絶していても愛される今どきの時代劇ヒーロー! 中村隼人の新作歌舞伎『大富豪同心』ビジュアル撮影レポート
2025年1月2日(木)、歌舞伎座『壽 初春大歌舞伎(ことぶき はつはるおおかぶき)』にて、新作歌舞伎『大富豪同心(だいふごうどうしん) 影武者 八巻卯之吉篇』が上演される。本作は、シリーズ累計100万部を超える幡大介の時代小説を歌舞伎化するもの。すでにNHK BS時代劇としてドラマ化もされ、2019年より2023年にかけてパート3まで放送された。年末(NHK BSP4K 2024年12月28日、BS 29日)には『大富豪同心スペシャル』の放送も控えている。
主人公の八巻卯之吉(やまきうのきち)、そして卯之吉と顔が瓜二つの幸千代(ゆきちよ)の2役を演じるのは、ドラマ版でも同役を勤めた中村隼人だ。ビジュアル撮影では、卯之吉と幸千代の2人のキャラクターがフォトグラファーの永石勝氏により捉えられた。SPICEではそのビジュアル撮影の模様を取材。後日行われた会見でのコメントとともにレポートする。
■見習い同心になった若旦那
主人公の八巻卯之吉は、江戸一番の豪商・三國屋の旦那の末孫。はんなりとした人柄で放蕩三昧の日々を過ごしていた。
「卯之吉は町人です。しかし卯之吉を溺愛し、卯之吉の将来を心配するお祖父さまが、同心株を大金で買い卯之吉を同心にします」(中村隼人。以下同じ)。
同心とは、江戸市中の治安を守る下級役人。卯之吉は南町奉行所の新人見習い同心となり、大富豪ならではの人脈や教養、祖父の財力、発想をフルに活用し、皆に助けられながら事件解決に挑む。
このたび新作歌舞伎となる「影武者 八巻卯之吉」は、原作小説の23巻にあたる物語だ。
そこで登場するのが、卯之吉と顔が瓜二つの男・幸千代。幸千代は将軍家の血を受け継ぐ人物だが、その出生は隠されていた。将軍家政が病に伏したことから、次の将軍の座を巡る争いが始まり、幸千代と顔がそっくりな卯之吉は……。
■歌舞伎の世界の大富豪同心
撮影の日、隼人の到着を待つスタジオでは、卯之吉と幸千代それぞれの扮装の準備が進められていた。衣裳、大小の刀、雪駄と草履、十手などの小道具がふたり分。かつらも、ふたり分が用意されていた。
卯之吉には、世話物の立役の町人らしい「袋付(ふくろつき)」というかつら。髱(たぼ。後頭部)の張り出すような膨らみが特徴的で、櫛だけで結い上げられている。
これに対して幸千代には、大名の役で使われるかつらが用いられる。「油付(あぶらつき)」と呼ばれ、髱は見た目も質感もプラスチックのようだが、もとは「袋付」と同じ一本一本の人毛だった。それを油と白蝋(木蝋という植物性の脂肪を漂白したもの)を熱で溶かして混ぜあわせたもので、塗り固めてつやつやに仕上げている。
気温や湿度の影響を受けやすいことから、撮影の直前まで床山さんがメンテナンスをしていた。
まもなく京都南座に出演中の隼人が、一門の方々とともにスタジオに到着。
化粧を済ませ、衣裳に袖を通し、鬘をかける。鏡に向かいながら、フィット感を確かめるように少し首を動かし見せて「ぴったりだ」と言った。隼人の笑顔が場の空気を明るくした。
着流しに黒紋付の羽織。その羽織の裾を内側に巻き上げて帯に挟む。
この装いは、本来は同心の中でも定廻同心の着こなしだった。それが時代劇等で、同心役全般のスタイルとして定着したのだそう。
かつて同心たちの役宅は八丁堀にあったことから、「八丁堀」は同心そのものの代名詞になっている。歌舞伎の衣裳さんたちは、江戸の同心役の衣裳を「八丁堀」と呼んでいるのだそう。
■主人公なのに格好良くない!?
卯之吉は、従来の時代劇の主人公とは少し違う。
「従来の時代小説の主人公には、格好良いイメージがありました。しかし卯之吉は、剣術は苦手ですし刀を前にすると立ったまま気絶してしまうような人物。走るのは遅いしお化けも怖い。リーダーシップもありません。その一方で、大富豪なので小判を撒いたりもします」
そんな卯之吉という人物を、隼人はどのように捉えているのだろうか。
「卯之吉は人に興味がないようにも見えますが、人の気持ち、痛みが分かる人物だと感じます。幼い頃の経験から“心にぽっかり穴が開いている”ような、寂しさのある人物として描かれています。心の穴をこれ以上作りたくない。大きくしたくないからこそ、周囲とどこか距離をとり、壁を作っていたところもあるのではないでしょうか」
しかし卯之吉は変わり始める。
「周りは個性が際立つキャラクターばかり。人の優しさや温かさに触れ、卯之吉が人間として成長していく姿が原作には描かれています。僕にとっては、卯之吉はかれこれ5年育ててきた役。まずは“気絶”を歌舞伎でどう表現するか(笑)。卯之吉をどう歌舞伎に落とし込むかが楽しみです」
カメラマンからの「ちょっと、とぼけた感じ」のリクエストにも、はんなり応える。隼人の表情が変わるたび、一同に「フフッ」という和やかな空気が流れていた。
■続いて、幸千代の撮影へ
もう一役の幸千代は、卯之吉と顔は似ていても性格は大きく異なるキャラクターだ。舞台では短時間で衣裳をかえる「早替り」で、卯之吉と幸千代の2役を演じる。
「歌舞伎では『早替りは、替わる前後で役の性別や顔の色が変わる方が面白い』とも言われますが、今回の舞台では同じ顔のまま卯之吉と幸千代という別人を演じます。演じ分けも必要ですしスピードも大事。演出をしてくださる松本幸四郎のおにいさんの意図に沿えるようやれたらと思います」
羽織と着付は、今回のお役のために納戸という色に染め直されたもの。染め上がった衣裳を見て、「いい色だねえ」と目を細めた。まるで卯之吉のようにはんなりとした表情を見せていたが、仕度が進むにつれて隼人は、卯之吉とは別の人に変わっていく。凛々しい姿に背筋が伸びる。
原作小説は累計100万部を超えるヒット。ドラマも多くのファンの期待に応えてシリーズ化している。そんな『大富豪同心』に、隼人は今の時代だからこその魅力を見いだす。
「『大富豪同心』は、時代の流れに上手く乗った作品なのではないでしょうか。これまでの時代劇では、強くて格好いい主人公が事件に挑み、最後は1人の立廻りやリーダーシップで解決していくことが多かったように思います。卯之吉は、時代劇の主人公らしい強さはありませんが、どこか助けてあげたくなる魅力があり、自然と周りに人が集まる。損得ではなく、無条件で助けてあげたいと思わせてしまう何かがあるんですよね」
「そして周りの人たちに支えられ、一致団結して事件解決に取り組んでいきます。一個人の力は実は小さなものでしかないけれど、皆で力を合わせることで。その物語は、今の時代の感覚に合っているように感じますし、それこそが『大富豪同心』のテーマでもあると思っています」
12月、隼人は京都南座で4演目に出演。共演者たちもそれぞれの舞台に立っている。全員が集まり稽古できる期間は限られるが、隼人に不安の表情はない。
「歌舞伎化のお話をいただいた時は、嬉しさと同時に小説の世界観をどこまで歌舞伎で表現できるのかの不安はありました。でも松本幸四郎のおにいさんが演出に、尾上菊之丞先生にも振付と演出で入っていただける。お世話になってきた、尊敬しているおふたりですから心強いです。そして『大富豪同心』は、ある意味で僕の役者人生に大きな影響を与えた作品です。妥協なく、全身全霊で良いものを作りたい。その思いがあれば時間なんて関係ありません。今は期待と楽しみが大きいです」
共演は、多くの舞台をともにしてきた俳優陣だ。卯之吉のことが大好きな侠客の親分・荒海ノ三右衛門に松本幸四郎。凄腕の剣士で卯之吉に恋心を寄せる美鈴に中村壱太郎。卯之吉といつも一緒の幇間の銀八に尾上右近。そして孫を溺愛する三国屋に中村鴈治郎。他にも同世代の坂東巳之助、坂東新悟、中村米吉や、市川中車、中村亀鶴、市川猿弥、市川笑也、市川笑三郎など充実の配役。
「共演くださる同世代、先輩方が、お忙しい中で集まり力を貸してくださいます。僕は疲れた顔を見せたりせず、皆さんをはんなりと癒せたら。そしてお客様に楽しんでいただけるものをお届けできたら。たくさんの方に愛されてきた作品を汚すことのないよう、卯之吉を作っていきたいです」
会見では、隼人が見どころのひとつとして「卯之吉は吉原や深川などに通い遊ぶ人物。踊りはつきもの」と、踊りについても言及した。これを受けて演出・出演の幸四郎は、劇中に尾上菊之丞の振付による総踊りが入ることを明かした。TVドラマ版のエンディングで話題となったダンスを彷彿させつつ、歌舞伎ならではの華やかさのある総踊りは、歌舞伎版ならではの魅力となるにちがいない。
『壽 初春大歌舞伎』は1月2日(木)より26日(日)まで。「夜の部」は、骨太な古典歌舞伎『熊谷陣屋(くまがいじんや)』ではじまり、幻想的な長唄舞踊『二人椀久(ににんわんきゅう)』、そして『大富豪同心』というバラエティに富んだラインナップだ。『大富豪同心』で新年のひとときを華やかに過ごしてみてはいかがだろうか。
取材・文・撮影=塚田史香(ビジュアル撮影風景)