東広島の誇り 創業100年を超え今なお活躍し続ける企業とものづくり分野で秀でている企業を紹介【第4回】
多くの困難を乗り越え、創業100年を超えて今なお活躍を続ける東広島の企業を紹介するシリーズ。4回目は、ツモリオートと川口歯科医院を取り上げる。一方、製造業が集積する東広島市には、ものづくり分野で秀でている企業も多い。浜本工業もその一つ。「匠の『もの』がたり」と題してものづくりへの思いに迫る。
1921年創業 株式会社ツモリオート
広島マツダの特約店。顧客との信頼関係が強み
5代目の津森洋介現社長の祖父にあたる助一が、精米機などを試作する機械工作業として創業。その後、東洋工業(現マツダ)が四輪自動車の生産に乗り出したことに伴い、1951年、東洋工業のディーラーと販売店契約を締結。現在の自動車販売・整備にかじを切るきっかけになった。
大切にしてきたのは、地元との信頼関係だ。創業当初のノウハウを生かし、今も地元酒造メーカーが使用する精米機を整備する。74年からは、民間車検場として、あらゆる車両の車検を行ってきた。ていねいな整備は、顧客からの信頼を勝ち取り、年間1000台の車検実績を誇るまでになった。販売ではマツダ車を中心に、国内全メーカーの新車・中古車を取り扱う。
津森社長は「広島マツダの特約店という強みを生かし、業界の電動化にも柔軟に対応。設備投資も積極的に行っていく」と力を込める。(日川)
1920年創業 川口歯科医院
誠実に患者に向き合い診療
川口健二現院長の祖父・甫が1920年、高屋町の白市で開業し、2年後に現在地の西条駅前に移転。以来、「誠実に患者に向き合う」ことを診療の根底に置きながら、地域の歯科医療を支えてきた。
川口院長が、父親で2代目院長の徹の後を継いだのは97年。父親の逝去に伴い、東京のクリニックを辞め帰郷。昔からの患者を引き継ぎ、新たな一歩を踏み出した。
帰郷後まもなく、区画整理事業の進展で、37年に建てた洋館のクリニックを取り壊すことに。同じ場所に現在のクリニックが入居するビルを建設した。コンクリートとガラスをコンセプトに設計されたビルは、2005年、グッドデザイン賞を受賞した。
現在は、歯周病など予防歯科に力を入れ、訪問診療や審美治療にも目を向ける。川口院長は「多様な患者さんのニーズに応えられる歯科医院に」と話している。(日川)
匠の『もの』がたり 浜本工業株式会社
製品に命を吹き込む「提案型製造」から自社ブランドの業務用オゾン発生器「オゾンルフトⅡ」開発、製造、販売の物語
浜本工業の技術力の核心は、単に図面通りに作るのではなく、製品の利用シーンまで深く理解し、職人の視点で強度向上やコスト削減を提案する「提案型製造」にある。
この哲学は、顧客との関係を単なる受注者から価値を共創するパートナーへと昇華させている。
ステンレス、鉄、アルミを素材とした精密板金や製缶加工を中核技術とし、高精度レーザー加工機、ダイヘン製の6軸溶接ロボットによる自動化と、熟練工によるTIG溶接などの手作業を両立。
この高度な技術力を「少数精鋭の技術集団」が支えている。その卓越性は、絶対的な信頼性が求められる新幹線関連部品や人命に直結する建設用エレベーター、さらにサニタリー性(清浄性)と耐食性が不可欠な食品・医薬品関連装置など、極めて要求水準の高い市場で証明されてきた。こうしたハイステークスな分野への特化と長年の実績は、単なる設備投資では乗り越えられない強固な参入障壁を築いている。
また、自社ブランドの業務用オゾン発生器「オゾンルフトⅡ」を開発し製造、販売も行っている。
このことは、伝統の匠(たくみ)の技が未来の価値(オゾン発生器)を創造する力強い証しとなっている。(田坂)
企業紹介
八本松町篠に拠点を置く浜本工業株式会社(野村友博代表取締役)は、半世紀にわたる歴史を持つ精密金属加工の専門企業。1971年の設立以来、「高品質」と「納期厳守」を基本理念とし、地域の基幹産業を支える信頼性の高いサプライヤーとしての地位を確立。2021年、自社製品・業務用オゾン発生器「オゾンルフトⅡ」の販売という新規事業に乗り出した。
プレスネット編集部