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宗教とは何かを、深く問いかけてくる物語――中島岳志さんが読む、遠藤周作『深い河』【別冊NHK100分de名著 宗教とは何か】

NHK出版デジタルマガジン

宗教とは何かを、深く問いかけてくる物語――中島岳志さんが読む、遠藤周作『深い河』【別冊NHK100分de名著 宗教とは何か】

中島岳志さんによる、遠藤周作『深い河』紹介

「宗教による被害」や「宗教二世のこころの問題」「宗教と政治の関係」などが社会を揺さぶっている昨今。「宗教」という問題を長らく真正面から見つめてこなかった私たちは、この状況にどう向き合っていけばよいのでしょうか?

2024年初にNHK Eテレで放送され話題となった「100分de宗教論」。その出版化である『別冊NHK100分de名著 宗教とは何か』では、釈徹宗さん・最相葉月さん・片山杜秀さん・中島岳志さんという4人の論者が、4冊の本を起点に、多角的な視点で宗教をとらえ、「信じること」について解明していきます。

今回は本書から、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授・中島岳志さんによる「宗教を理解するための名著」として、遠藤周作『深い河』の紹介を公開します。

ガンジス河への旅

 私が紹介するのは、遠藤周作の小説『深い河』です。

 遠藤のことは、戦後を代表する作家の一人としてご存じの方が多いのではないでしょうか。クリスチャンでもあり、『海と毒薬』『沈黙』 など、日本人の心とキリスト教をテーマにした著作を数多く残しています。

 父の仕事の都合で幼少期を満州で過ごした遠藤は、両親の離婚によって母とともに日本に帰国。 伯母の影響で、十二歳のときにカトリックの洗礼を受けました。しかし一方で、西洋発祥の宗教であるキリスト教の教えに違和感を拭いきれずにいたと、のちに語っています。そこから、キリスト者であることと、東洋人であること、日本人であることの接合点をどう考えるかが、遠藤にとって生涯をかけた文学のテーマとなっていきました。

『深い河』は、遠藤が最晩年に発表した最後の長編小説です。舞台はインドのガンジス河。後で見ていくように、なぜガンジス河なのかということは、重要なポイントです。

 物語は、ガンジス河を訪れる日本からの観光ツアーに参加した人々の、それぞれが抱える事情を描いていきます。

 最初に出てくるのは、磯部(いそべ)という初老の男性です。長年連れ添った妻を病気で亡くした彼は、妻が死の直前に遺のこした「必ず生まれ変わるから、私を見つけて」という言葉にすがるようにしてインドにやってきます。自分は日本人の生まれ変わりだと言っている少女が、インドの小さな村にいるという情報を得たのです。

 磯部の妻が入院しているときに、彼女にボランティアで付き添っていた女性・美津子(みつこ)も、偶然同じツアーに参加していました。美津子は、大学生時代に自分が弄んだ挙句に捨てた大津という男がインドにいるという噂を聞き、彼に会いに行こうとしています。

 それから、ビルマの戦場からの帰還兵である木口。彼は、少し前に病気で亡くなった戦友・塚田のことが心から離れずにいます。多くの日本兵が飢えや病で命を落とすなか、木口とともに生きのびた塚田は、「戦地で死んだ仲間の肉を食べた」という心の傷を戦後ずっと抱え続けていました。そして病院で死を迎える直前、カトリックである付き添いボランティアの青年・ガストンに心のうちを明かして世を去ります。のちに述べるように、このガストンは重要人物です。

 さらに、動物に特別な思いを抱く童話作家・沼田。彼は、生死の境をさまようほどの手術を受けて生還した後、ペットの九官鳥が自分の入院中に死んだことを知り「身代わりになってくれた」という思いを抱きます。ツアーに参加したのは、その「お返し」にインドで九官鳥を買い求めて自然保護区に放ちたいと考えたからでした。

 一行は旅を通じて、貧困やカースト制 、そして宗教対立を背景とするインディラ・ガンディー首相暗殺事件など、インドのさまざまな現実を目にしていくことになります。

 宗教とは、神とは何か。命とは、生きるとは、死ぬとは……。そうしたことを、私たちに深く問いかけてくる物語です。

本書『別冊NHK100分de名著 宗教とは何か』では、中島岳志さんによる『深い河』の読み解きから、「宗教多元主義」と「一つの真理」について考えていきます。

◆『別冊NHK100分de名著 宗教とは何か』より
◆脚注、図版、写真、ルビ、凡例などは記事から割愛している場合があります。
◆本書における引用は、特に断りのない限り、遠藤周作『深い河』(講談社文庫)に拠ります。
※本書は、2024年1月2日にNHK Eテレで放送された「100分de宗教論」の内容をもとに、新規取材などを加えて構成したものです。

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