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登山家・田部井淳子の夫が語る妻とのありふれた日常「エベレスト登頂の翌朝 台所に立って」

コクリコ

登山家・田部井淳子の夫が語る妻とのありふれた日常「エベレスト登頂の翌朝 台所に立って」

登山家・田部井淳子をモデルにした映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』公開を記念し夫・政伸さん、長男・進也さんインタビュー。【前編】は田部井淳子さんの夫・政伸さんが、妻・田部井淳子の素顔、がん闘病中の姿、そして「山好き夫婦」として生きた半世紀の絆を語る。(全2回)

【▶画像】1975年にエベレスト登頂を達成した田部井淳子さん

50年前の1975年、世界で女性として初めてエベレストに登頂した田部井淳子さん(2016年10月20日没)の、77年間の人生をもとにした映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』(阪本順治監督)が公開中です(2025年11月現在)。田部井さんをモデルにした主人公・多部純子を演じた吉永小百合さんが、初の登山家役に挑戦したこの作品。エベレスト登頂時のエピソードのほか、田部井さんのがんの闘病生活や、家族との絆を鮮明に描いています。

作中、「正明」(配役:青年期・工藤阿須加/現代・佐藤浩市)として描かれた田部井さんの夫・政伸さんに、映画のモデルとなった淳子さんと生きた半世紀について、語っていただきました。

「山が好きな普通のおばさん」だった

──映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』は、妻・淳子さんの人生だけではなく、ご家族との絆にもフォーカスした作品でした。ご家族の歴史自体もモデルとなり映画化されたことは、どうお感じになりますか?

映画製作が始まるときに、登山の話だけではなく、うちのかみさん(淳子さん)の生き方とか生活の仕方とか、友達のこととか、そういうものがベースになるという話をうかがいました。トータルとしての田部井淳子の考え方や生き方を映画化したいんだと。

でも、うちは普通の山好き夫婦ってだけで、山に登って、ちゃんとした生活をして、一生懸命に子育てもして、普通に生きてきただけです。彼女自身も自分のことを「山が好きな普通のおばさん」と言っていましたし、僕もそうです。

だからそういうものが映画化されるということで、びっくりしました。

──映画では、エベレスト登頂時のエピソードに加え、淳子さんの闘病生活が始まって以降の部分も手厚く描かれていた印象です。家族に支えられながら、力強く病気と向き合った姿も、妻・淳子さんの生きざまを伝えるものですね。

そうですよね。かみさんも僕も、病気になったからといって特別に何かが変わったことはなくて、それまでと同じことをやっていたわけです。

かみさんが病気になったから家族みんなでこうやろうとか、特にそういう話もなく、それぞれが普通の生活を続けていました。家族の誰かが病気になればどの家庭でもやること、そういう普通のことをやっただけの話なんです。僕ら家族も山に出かけたり、普通の生活を続けていましたよ。

1975年にエベレスト登頂を達成した田部井淳子さん(左)。映画では青年期を俳優・のんが再現(右)。  写真:©一般社団法人田部井淳子基金(左)/©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会(右)

──とはいえ淳子さん自身、がんとの闘病生活でしんどいと思うことはあったのではないでしょうか。闘病中の淳子さんを見ていて、「すごい人だな」と思われたことはありませんか。

彼女はほとんど「しんどい」とは言いませんでした。もともと普通の生活の中でも、「疲れた」とか言わない人でしたが、闘病中も、ほとんど言わなかった。がん闘病中だから、一般的にみたらしんどいこともあるだろうけれど、「しんどい」「つらい」といったことは、ほとんど口にしなかったですね。

ただ何というか、「生きようとしていた」って言うんですかね。「病気になっても、病人にはならない」と、いつも言っていましたね。

病気なんだから、寝ているほうがよっぽどラクなわけですが、それだと「病人」になってしまう。それだけはしたくないと言って、足を引きずってでも山に行くとか、家でも極力、普通の生活を続けようとか、そういう強い意志を持っていました。

だから我々家族も、普通の生活を続けることができていたように思います。

──がん闘病中なのに「しんどい」と言わずに過ごしたとは、淳子さんは、やはりとても強い精神力の持ち主だったのですね。

普段からそうでしたから。周囲がネガティブな気持ちになるようなことは、本当に言わない人でした。

登山でも、リーダーが「これから天気が悪くなりそうだ」と言うと、みんなが心配してしまいますよね。もし本当に悪くなる可能性があっても、「天気が崩れたらこうしよう」と、自分なりの対策をしっかり持っていればいいわけです。

だからかみさんといると、みんなが余計なことを考えずに楽しく過ごすことができたと思うんですよね。病気のことでもね、「しんどい」「痛い」とか口にすると、家族が心配するからという思いが、あったのかもしれないですね。

「登山」という遊びをめいっぱい楽しんだだけ

──ちなみに子育てに関しても、弱音とか不安を口にされなかったのですか?

全然、言わなかった。まずは「大丈夫」だと。僕も彼女も、何事も「大丈夫だ」と考えることから始めました。

じゃあどうやって「大丈夫」なようにするかは、次の段階で考えればいいことであって。子育てでもなんでも、ネガティブな考え方は絶対にしませんでしたね。

──前回(6月公開)のインタビューでは、ご長男の進也さんは、ご自身の成長過程で「世界的登山家の息子」と呼ばれることへの葛藤があったと伺いました。夫である政伸さん自身は、淳子さんが「世界的登山家」うんぬんなどと考えることは、ありませんでしたか?

全然、ありませんでしたよ。エベレストに登ったことはすごいことだったと思いますが、自分でも言っていたように、「普通のおばさん」ですから。

50年前に女性だけでエベレストに行くなんて、当時としては考えられないことでした。それでも、かみさんが「私はエベレストを登ったの」なんて自慢することは、まずなかった。

なぜエベレストに行ったのかと聞かれれば、「山が好きだから」ということだけでね。僕としても「好きなことだから、いいんじゃない」と送り出しただけのことです。

エベレストから戻ってきた翌朝から、エプロンをつけて、普通に台所に立ってましたよ。次の日ぐらいには子どもの用事があるからと、学校にも行きました。

「私はエベレストに登ったんだから特別なんだ」とか、そんなことは思わない人でしたね。だからこちらも「協力してあげたいな」って気持ちになるのでね。

そもそも登山は「遊び」なんですよ。いくら登山をしたって、給料が上がったり、世の中が良くなったりするわけじゃないしね。

だから僕たちは登山という遊びを、めいっぱい楽しんでいただけで、「どこどこの山に登ったからすごいんだ」なんて自慢めいたことは、僕もかみさんも、一切しませんでした。

だからエベレストに登ったことで、派手に注目されてもなあという思いもあって、自分たちから率先して騒がないようにしていましたね。

田部井淳子さんの写真や山の思い出を飾った自宅にて語ってくれた夫・政伸さん。  写真:浜田奈美

──お二人が結婚されたのは1967年でした。淳子さんが2016年10月に逝去されるまで共に歩んだ年月は半世紀以上にわたりますが、淳子さんと生きた50年は、どんな時間でしたか。

とても楽しかったですよ。うちのかみさんも、よく自分の本に「うちの旦那は大当たりだ」と、書いてくれていたけれど、僕もそれと同じでね。大当たりでした。

なぜかと言えば、結婚するとき、一人でいるより二人の方が、山登りでも暮らしていくうえでも楽しくやれるから、という思いで一致していたわけです。それが結婚するときの基本だったから、山でも生活でも何でも、お互いが楽しめることが最優先でしたね。

二人で一緒にプラスになることをやっていこうと。そんな50年でしたね。

──そんなお二人の歩みが、この映画をきっかけにいろいろな人に伝わるかもしれません。

映画を観て、モデルになったかみさんと僕たち家族の生きざまに、少し思いを巡らしてもらって、「なるほどこういう生き方があるんだな」と知ってもらえると、いいですね。

この映画を観て、初めて田部井淳子という人物について知る人が大勢いれば、その人の生き方が多少変わっていくんじゃないかと思うんです。そういう点でも、映画を作っていただいて、よかったですよね。

──ご夫婦にはたくさんの登山仲間がいらっしゃいますが、たくさん「観たよ」という連絡が届いているのではありませんか。

仲間たちから「観たよ!」という連絡が、いっぱい来てますよ。そしてみなさん「良かった」と、言ってくれてます。「おもしろかった」ではなくて、「良かった」という感想は、映画から何かを感じてくれた証拠なんじゃないかな。

──確かに、人生のいろいろなことを考えさせられる映画です。

だから僕、連絡をくれる仲間にこう言うんですよ。「1回じゃダメだよ。2回、3回観なければ、もっと良くならないよ」って。2回目に観たら1回目には気がつかなかったこととか、3回目には、また違う発見があるものですよ。

阪本順治監督も、舞台あいさつで、「この映画を気に入ってくれたなら、またぜひ来てください。この映画は2回目が一番面白いです」と言っていましたよ。だからぜひ、2回も3回も、何度でも観てほしいですね。

─・─・─・─・
次は田部井淳子さんの息子・進也さんに話を伺います。

取材・文/浜田奈美

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映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』(全国公開中)
  
登山家・田部井淳子さんの生涯を映画化。田部井さんを演じるのは吉永小百合と、のん(青年期)。今回の取材にこたえくれた夫・政伸さんを佐藤浩市と工藤阿須加(青年期)が、長男・進也さんを若葉竜也が演じる。

田部井淳子➡︎役名:多部純子 吉永小百合、のん(青年期)
夫・政伸➡︎役名:多部正明 佐藤浩市、工藤阿須加(青年期)
長男・進也➡︎役名:多部真太郎役 若葉竜也
監督:阪本順治 脚本:坂口理子 配給:キノフィルムズ
©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会

●「東北の高校生の富士登山」プロジェクト(一般社団法人田部井淳子基金主催)

田部井進也さんがプロジェクトリーダーを務める、東北の高校生と富士登山に挑むプロジェクト。福島県出身の田部井淳子さんが企画し、東日本大震災の翌年(2012年)からスタート。現在も全国からの寄付や支援を得て続いている。プロジェクトの詳細や寄付の宛先は一般社団法人田部井淳子基金の公式HPから。

田部井さんを知るおすすめの本

子どもに、いま出会ってほしい、101人の物語を収録した『決定版 心をそだてる はじめての伝記101人[改訂版]』(講談社)。表紙カバーには田部井淳子さん、坂本龍馬、田部井淳子、マザー・テレサ、中村 哲、ベートーベン、渋沢栄一、スティーブ・ジョブズらが登場。

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