【八千代市】ドラフト1位指名で巨人軍に入団。夢をかなえてプロ野球選手に!石塚裕惺選手
八千代市出身の石塚裕惺(ゆうせい)選手は、村上東小学校、村上東中学校を卒業。埼玉の花咲徳栄高校に進みました。現在巨人軍に入団して、未来へ大きく踏み出そうとしています。
八千代に良いニュースを届けたい
昨年、読売巨人軍からドラフト1位で指名された石塚裕惺選手。
12月16日には八千代市の服部友則市長を表敬訪問。
「生まれ育った八千代への恩返しに良いニュースが届けられるよう頑張ります」と胸を張りました。
3歳から野球を始めた石塚選手。
父の康直さんはゴムボールで教えていた頃、「野球を好きになってほしい」との思いから、ホームランを打てばアイスを買ってあげていたそうです。
康直さんもまた父親の影響を受けた野球少年でした。
石塚選手はいわば祖父と父の夢を引き継ぐ3代目です。
すごい子が入ってきた
幼稚園年長で八千代市の「勝田ハニーズ」に入団。
「すごい子が入ってきた」と評判になりました。
小学生時代には父の指導のおかげでバッティング練習が習慣に。
毎日500回はバットを振り、高学年になると1000回に及ぶ日も。
中学時代は全国大会常連の「佐倉リトルシニア」に所属して自主的に夜遅くまで練習に励みます。
中3になる頃のチームの体験会では、入部希望者たちの前で石塚選手がホームランを連発。
「飛距離が違っていた。天才だ」と感嘆され、集まった子どもたちもびっくり。
あるコーチは参加した息子に「頑張ればああなれる」と言いつつ、「あれは彼だから打てる打球だ」と心の中でつぶやいたと笑います。
一方で「天才と感じたことはない。練習量は多かったかな」と母の明世さん。
食事には気を使いました。
「出された物は残さず食べる」という方針の下、ご飯茶碗を徐々にサイズアップして量を増やす作戦も。
体をつくるため本人も意識して食べるようにしていたと言います。
その後埼玉県の花咲徳栄高校に進み、甲子園やU18で主軸としての活躍が続きます。
石塚選手の名前の「惺」は「澄みきった心を持ってスターに」との願いから。
今、より大きな夢へと駆け出した八千代の星。
きっと私たちの上に輝くアーチを描いてくれることでしょう。