自閉症診断後、退園宣告され涙…新しい幼稚園ライフを楽しんでほしい!母の「友だち100人計画」とは!?
監修:室伏佑香
東京女子医科大学八千代医療センター 神経小児科/名古屋市立大学大学院 医学研究科 生殖・遺伝医学講座 新生児・小児医学 博士課程
ASD(自閉スペクトラム症)と診断され、通っていたプレ幼稚園を退園
スバルは1歳半健診時に言葉の遅れを指摘され、それ以来何度か受けた検査で「言葉が遅いだけ。様子を見ましょう」と言われました。私自身もスバルとの生活の中で言葉が遅い以外に困りごとを感じていませんでした。しかし言葉を促すために2歳半から通い始めたプレ幼稚園では、ほかの子が普通にできることがスバルにはできないという現実を目の当たりにしました。
人が大好きで、人の輪の中にはいるのに、集団の中にいるスバルはとても浮いている存在に見えました。そんな矢先3歳の誕生日の数日前に突然言葉があふれたのです。言葉があふれたことによりこのまま全てが好転するのではないかと思いました。しかしプレ幼稚園からは「発達検査を受けて診断書を提出してください」と言われたのです。そしてその後受けた発達検査でASD(自閉スペクトラム症)と診断され、診断書を提出すると同時に退園を言い渡されました。
涙を垂れ流しながら気力だけで帰宅すると、スバルが私の顔を見つめながら言いました。「スバル、幼稚園、行かない」と。
それからスバルはプレ幼稚園のある曜日になってもプレ幼稚園の話をしなくなりました。スバルは曜日を理解していてプレ幼稚園のある日は朝から張り切って自分で支度するほど、とても楽しみにしていたのに。
スバルが少ない語彙を使って「ぼくはあの幼稚園にこだわらないから気にしなくて良い」と伝えてくれたのだと思いました。スバルの前で大泣きして気を遣わせてしまって申し訳ないやら退園になって悔しいやら複雑な思いを抱えながら、それでも前向きにスバルにピッタリの幼稚園を探そうと決意したのでした。
しかし何の疑いもなく、来年度からは年少さんとしてこの幼稚園に入園するものだと思っていた私は突然の白紙状態に大パニックです。時は各幼稚園の入学願書受付開始である11月目前。とにかく時間がありません。息も絶え絶え全力疾走で見学や面談に通い、どうにか新しい幼稚園を見つけたのでした。
並々ならぬ思いで迎えた入園式
そして迎えた入園式。もしも人の目にオーラが見えるとしたら、きっと私だけ禍々しい色をしていたことでしょう。
私の心にあったのは「新生活への期待や不安」だけではなく「絶対にスバルにはプレ幼稚園にいた時より楽しい楽しい幼稚園ライフを送ってもらう。そのためには私が何だってしてやる。どんなことでもだ!」という強い気持ちでした。
しかしいざ幼稚園がはじまると、スバルのためにしてあげられることが見つかりません。幼稚園での様子が知りたくて、バス通園ではなく送り迎えをチョイスしていましたが、送り迎えの時間だけではできることは何もありませんでした。私にできるせめてものことは、放課後の園庭遊びにスバルが満足するまで付き合うことでした。
私は暑い日も寒い日もスバルの園庭遊びに付き合いました。時には最後の1人になる日もありました。季節が移り、私はある変化に気がつきました。「年少さんがお友だちと遊んでいる?」入園したばかり頃は保護者と一緒に遊んでいることが多かった年少さんが、いつの間にかお友だち同士で遊んでいるのです。
保護者たちは木陰で談笑しながら見守っていました。スバルの友だちづくりも、私のママ友づくりも完全に遅れをとってしまったのです。
焦った私は「あの子たちに一緒に遊ぼうって言ってみたら?」とけしかけたこともありましたが、そんな単純な方法でうまくいくならば、すでにスバルは友だちと遊んでいるだろうって話であり、思ったようにはいきませんでした。一瞬仲間に加わることもありますが、遊びの内容が目まぐるしく変わる中で、また1人遊びに戻っていきました。「この調子だと幼稚園での活動中も1人で過ごしているんだろうな」と思いました。スバルは1人遊びも得意ですが、人の輪の中にいるのも大好きなので、せめて私がいるこの時間だけでもどうにかしてあげたいと思いました。
放課後の園庭で私ができること
いつものようにスバルと2人で園庭遊びをしていた時、学年問わず園児が私に話しかけてくることに気がつきました。「もしかしてこの子たちは大人と遊びたいのでは?」と思いました。そして私は壮大な計画を思いついたのです。「スバル友だち100人計画」です。
私が園児たちと仲良くなる→スバルも一緒に集団で遊ぶ→スバルの良いところを知ってもらう→スバルに友だちができる、という流れです。
私は全力で遊びました。まずは私のことを好きになってもらわなくてはならないからです。足がつるほど走り、苦手なバッタを全力で捕まえ、爪を緑にしながらピーピー豆の笛を量産しました。スバルが苦手な遊びを提案されることもありましたが「スバルができない遊びはしない」ことを柔らかく伝え、あくまでスバルのお母さんとして遊びました。
人見知りの私が大人数の子どもを相手に遊ぶのは本当に苦労がありましたが、私は気力と体力と精神力の全てをこの時間に注ぎ込み、スバルを集団遊びの中心に置くことに成功したのです。年少の間の園庭遊びは、そうやって大人数で遊んで過ごしました。私の努力の賜物か、はたまたスバルの成長か、幼稚園生活の中でも集団の中に入ることが増えたそうです。
そしてこの時仲良くなったお姉さんたちは、放課後以外の私がいない時間にもスバルを気にかけてくれるようになりました。
その後のスバルの様子は
年中になるとスバルに仲良しのお友だちができ、少人数で穏やかな遊びをするようになりました。スバルの気持ちが「楽しそうな空間にいれば楽しい」から「気の合う友だちと遊ぶのが楽しい」に変化したのをはっきりと感じ取ったので、「スバル友だち100人計画」はお役御免となりました。私も無事、木陰で談笑するママ友ができました。
「スバル友だち100人計画」がなくてもスバルは私と2人で楽しく遊んでいたのかもしれないし、年齢が上がるとともに自然と集団の中に入れるようになったのかもしれません。「スバル友だち100人計画」はただの自己満足だった可能性も大いにあるのですが、私にまとわりついていた禍々しいオーラは園庭を全力疾走する中で汗と一緒に昇華していったように感じます。
執筆/星あかり
(監修:室伏先生より)
プレ幼稚園の退園やその後の幼稚園の入園、そしてお友だちづくりに関しての、とても大切なエピソードを共有してくださり、ありがとうございました。まず何より、スバルくんに対するお母様の愛情と行動力に、強く胸を打たれました。「スバル友だち100人計画」というユーモラスな名前の裏にある、お母様の細やかな観察力、忍耐、勇気は、誰にでも真似できることではありません。スバルくんが、年少期にはお母様を軸にした遊びを通して集団に関わり、年中になると「気の合う友だちとの関係」を築けるようになったのは、彼自身の「関わりたい」という気持ちと、「自分なりの心地よさを守りながら、他者とつながる力」が着実に育ってきた証です。スバルくんの力を信じて、いつもそばで支え続けてきたお母さんの存在が、何より大きな力になっていたのだと思います。ASD(自閉スペクトラム症)の子どもたちにとって本当に大切なのは、周囲に無理に合わせることではなく、自分を理解し受け入れてくれる人と出会い、安心できる関係の中で、自分らしいペースで社会性を育んでいくことです。
このエピソードは、支援する立場の私たちにも「お子さんを変えるのではなく、お子さんを理解し、環境を整えること」の大切さを、改めて気づかせてくれます。スバルくんとお母様の歩みは、ASD(自閉スペクトラム症)の子どもを育てるご家庭だけでなく、「子どもの個性にどう寄り添うか」を考えるすべての人にとって、大切な気づきと希望を与えてくれるものだと思います。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。