モーニング娘。は オーディション番組「ASAYAN」のつなぎ企画から誕生したってホント?
連載【新・黄金の6年間 1993-1998】vol.35
愛の種/ モーニング娘。
▶ 作詞:サエキけんぞう
▶ 作曲:桜井鉄太郎
▶ 編曲: 桜井鉄太郎
▶ 発売:1997年11月3日
合格者は即メジャーデビュー「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」
この物語は、1997年8月31日に始まる。
その日、テレビ番組の『ASAYAN』(テレビ東京)では、同年4月から行われていたオーディション企画「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」の最終結果が発表されようとしていた。同企画、“合格者は即メジャーデビュー” との触れ込みで、応募総数は全国から9900人。その選考過程は4ヶ月間に渡って番組内で逐次放送され、この日、最終候補者11名がスタジオに集められた。
結果は―― 三重県在住の高校3年生、平家充代サン(*当時)がグランプリ。晴れて、シャ乱Qのプロデュースでメジャーデビューが決まった。デビュー曲は、最終オーディションでも披露された、ロックチューン全開の「GET」(作詞:つんく♂ 、作曲:はたけ)である。めでたし、めでたし、一件落着―― と言いたいところだけど、話はまだ終わらないのは、皆さん、ご承知の通り。むしろ物語はここからが本編である。
翌週の9月7日―― 先の落選組の中から中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香の5人が、番組スタッフの「何も言わずに東京へ来てください」の一言で呼び出される。会議室に集まった5人の前にはシャ乱Qの面々。代表して、つんく♂ サンが口を開く。「平家と比べて、それぞれ足りない部分はあるにしても、もし君たちにやる気があるなら、未来へ向かって頑張れるんじゃないか」―― そして、彼の口から “ユニット” の結成と、とあるミッションが告げられた。
それは――「5人が5日間でインディーズデビューCDを手売りで5万枚完売できたら、メジャーデビューできる」というもの。実はその前に、平家サンについて “デビューまで封印。変貌ぶりを乞うご期待” とシークレット戦略がとられることが発表された。言ってしまえば、5人のミッションは “平家デビュー” までの間を持たせる、いわば敗者復活のつなぎ企画だった。便宜上、つんく♂サンが発表したものの、この時点では、番組主導で進められたプロジェクトだった。
かくして、敗者復活の5人は、翌週からインディーズデビューへ向けてレッスン、レコーディング、PR活動、そして本チャンである手売りキャンペーンへと進んでいく。その間、5人の奮闘ぶりが番組内で逐次流れたのは言うまでもない。ここまで読んだ方なら容易に想像できると思うが、芸能界で売れるために最も大事なことは、テレビに “出続ける” こと。結果的にデビューまでの2ヶ月間、テレビから消えた平家サンと、毎週出ずっぱりの5人を比較すれば―― 自ずと答えが見えてくる。
ちなみに、平家みちよ(*当時)サンは同年11月5日、約束通りシャ乱Qのプロデュースにより、シングル「GET」でメジャーデビュー。更に、翌6日は日本武道館で前代未聞のデビューイベントを開催した。その後の展開は本コラムの趣旨から外れるので割愛するが、1つだけフォローすると、彼女は紛うことなきプロのボーカリストだった。
5人中3人が北海道出身という異色のユニット、モーニング娘。がここに誕生
先のミッション発表の翌週―― 今度は5人のユニット名が発表された。命名者は、つんく♂サンだ。当初は読点が付かない “モーニング娘” だったが、総合演出のタカハタ秀太さんの “テロップ癖” で、語尾に “。” を入れて発表。それを見たMCのナインティナインの岡村隆史サンが、誰ともなしに「あの “。” は必要なのか?」と問いかけると、相方の矢部浩之サンが「僕の意見でいいですか」とスタッフに念押しした上で、「あの “。” は要ります」と断言した。
そう、1997年9月14日―― 今から27年前の今日、モーニング娘。がここに誕生する。この矢部サンの何がファインプレーって、同グループを略す際 “モー娘。” や “娘。” など、“。” があることで極めて視認性の高いアイコンになったこと。特に “娘。” と一文字 + 読点で表せる強みは、文字数制限のある新聞のテレビ欄でいかんなく発揮される。
ここで、改めて結成時点の5人のパーソナリティを紹介しよう。
▶︎ 中澤裕子(24歳)OL / 京都府福知山市出身
▶︎ 石黒彩(19歳)短大生 / 北海道札幌市出身
▶︎ 飯田圭織(16歳)高校1年生 / 北海道札幌市出身
▶︎ 安倍なつみ(16歳)高校1年生 / 北海道室蘭市出身
▶︎ 福田明日香(12歳)中学1年生 / 東京都大田区出身
―― 最年長と最年少の年齢差は実に12歳。高校生や短大生もいて、属性も年齢もバラバラ。5人中3人が北海道出身という異色のユニットだった。当時、一視聴者として番組を見ていた僕は、その年齢幅のあるユニットに、正直あまり興味を惹かれなかったのを覚えている。例外は1人アイドルっぽい安倍なつみサン。実際、オーディションの最中、お茶の間の一番人気も彼女だった。
ただ、90年代は長くアイドル氷河期と呼ばれ、CoCoやribbon、東京パフォーマンスドールなどアイドル勢は、総じてセールス面で苦戦した。唯一の例外が広末涼子サン。その意味で『ASAYAN』のオーディション企画は、アイドル的な安倍なつみサンより、大人っぽい実力派の平家さんを選んだという見方もできる。今では信じられないが、90年代の音楽市場で “アイドル” は極めてマイノリティな存在だった。
だが、オーディションの結果を受け、早くも落選者の安倍なつみサンに接触を図る芸能事務所やレコード会社が現れる。番組サイドは慌てた。もしかしたら金の卵を横取りされたら大変だ。そこで―― 敗者復活戦と称して、彼女にユニットの結成を持ち掛けたのだろう。さすがにソロとして扱うのは、4ヶ月もかけてオーディションで選ばれた平家サンに失礼なので、ひとまずユニットでお茶を濁しつつ、頃合いを見てソロデビューさせようと。この辺りの小回りの良さが、テレビの強みである。まさか、そのユニットが大化けするとは、この時点で誰が予想しただろうか。
“夢のオーディションバラエティー。” に全面改装された「ASAYAN」
ここで、同番組の成り立ちについて簡単に。元々は、1992年にテレビ東京系で始まった『浅草橋ヤング洋品店』という、テリー伊藤さんが総合演出を手掛けるバラエティ番組だった。ほら、周富徳サンらの「中華大戦争」とか、江頭2:50サンの「水中無呼吸対決」など、いわゆる “ドキュメントバラエティ” が売りのアレ――。それが90年代半ばになると、折からの “小室哲哉プロデュース” の大ブームに乗るカタチで、番組タイトルを『ASAYAN』と横文字に変え、その内容も “夢のオーディションバラエティー。” に全面改装。MCのナインティナインを除いて、出演者もスタッフも総入れ替えとなった。
そこから、同番組は次々と新手のオーディションを立ち上げ、流れ作業のように新しいスターを生み出していく。小室哲哉&久保こーじ主宰の「コムロギャルソン」からdosや天方直美サン、Say a Little Prayerら。「CM美少女オーディション」から第8代リハウスガールとして池脇千鶴サン、マックス松浦さんの「乱発オーディション」からYURIMARI等々――。その一環で行われたのが、シャ乱の「女性ロックボーカリストオーディション」だった。
用意されたインディーズデビュー曲は「愛の種」
そこで、改めてモーニング娘。である。彼女たちに用意されたインディーズデビュー曲が、晴れて「愛の種」に決まった。作詞:サエキけんぞう、作曲:桜井鉄太郎。先にも触れた通り、この “手売り5万枚” 企画は番組側の主導。ゆえに、つんく♂サンは楽曲制作には関わらず、前身番組の主題歌を手掛けた縁で、サエキけんぞうさんに声がかかった。作曲は彼のツテで、ポップユニットCOSA NOSTRA(コーザ・ノストラ)」を率いる桜井鉄太郎サンが手掛けた。
さあ 出かけよう
きっと 届くから
髪を切って、夢をみがく
好きな空を、めざすために
いやぁ、この曲―― 思いのほか、いいんですね。明るく、ポップで、メジャーコード全開の100%のアイドルソング。一聴して耳に馴染むメロディラインに、同世代の女性たちの共感を誘うワードの数々。僕は、初めて同曲を聴いたとき、恥ずかしながら胸の奥がキュンとしたのを覚えている(笑)。それにしても、“女性ロックボーカリストオーディション” で集められた5人が、極めてアイドルチックな歌を歌う―― このあからさまなポピュラリティ(大衆狙い)と、小回りの良さがテレビである。
11月、いよいよ手売りのキャンペーンが始まった。大阪を皮切りに、福岡、札幌、名古屋、東京の順で5大都市を巡る。番組では、5万枚というとてつもない壁を前に、時に憔悴する5人の姿が再三に渡り映し出された。だが、そんな不安は11月3日、大阪のHMV心斎橋店で見事に裏切られる。なんと、店の前には開店2時間前から大行列ができており、その距離は1.5km先まで伸びていたのである。
手売りキャンペーンは、本人たちはおろか、音楽業界の関係者の予想も超えて、1つのムーブメントとして加速度的に盛り上がった。
▶︎ 11月3日:大阪 HMV心斎橋店(15612枚)
▶︎ 11月9日:福岡 HMVキャナルシティ(9004枚)
▶︎ 11月24日:札幌 キリンビール園(14853枚)
そして―― 5万枚まで、あと9533枚と迫った11月30日の名古屋のナゴヤ球場にて、その歴史的瞬間が訪れる。午後2時30分、遂に50000枚の手売りを達成。その瞬間、モーニング娘。のメジャーデビューが決まった。12月 に予定されていた東京の手売りイベントは休止となった。
つんく♂プロデュースのモーニング娘。の歴史が幕開ける
それにしても、図らずも視聴者を巻き込んでアイドルグループをデビューさせる構図は、21世紀に入って世界的に人気を博す “リアリティショー” を彷彿とさせる。今やオーディション番組で、視聴者が投票でコミットするのは当たり前。その意味で “5万枚の手売り企画” がお茶の間の触手を動かしたのは、むしろ当然だったとも。同企画は早すぎたのである。
1997年12月7日―― この日の『ASAYAN』で、シャ乱Qのマネージャーの和田薫氏より、モーニング娘。のメジャーデビューの日が来年(98年)1月28日と発表された。そして、満を持して、つんく♂サンがデビュー曲を手掛けることも―― 。
かくして、今日僕らが知る、“つんく♂プロデュースのモーニング娘。”の歴史が幕を開ける。同グループが、90年代のアイドル冬の時代を終わらせ、21世紀のグループアイドルの時代を牽引したのは説明するまでもないだろう。モー娘。がなければ、現在のAKB48グループも、坂道シリーズも存在していないかもしれない。
2024年現在、モーニング娘。は四半世紀を超え、“モーニング娘。'24” として存続している。メンバーは13人。10代目リーダーの生田衣梨奈サンは、モーニング娘。が誕生したのと同じ、1997年の生まれである。