戦争の時代と、絶対的な「信じる心」――片山杜秀さんが読む『大義』【別冊NHK100分de名著 宗教とは何か】
片山杜秀さんによる名著『大義』紹介
「宗教による被害」や「宗教二世のこころの問題」「宗教と政治の関係」などが社会を揺さぶっている昨今。「宗教」という問題を長らく真正面から見つめてこなかった私たちは、この状況にどう向き合っていけばよいのでしょうか?
2024年初にNHK Eテレで放送され話題となった「100分de宗教論」。その出版化である『別冊NHK100分de名著 宗教とは何か』では、釈徹宗さん・最相葉月さん・片山杜秀さん・中島岳志さんという4人の論者が、4冊の本を起点に、多角的な視点で宗教をとらえ、「信じること」について解明していきます。
今回は本書から、政治思想史研究者・片山杜秀さんによる「宗教を理解するための名著」としての『大義』の紹介を公開します。
ベストセラーとなった亡き軍人の遺したテキスト
一九三八(昭和十三)年に刊行された『大義』は、日中戦争に太平洋戦争が付け加わってどんどんエスカレートしてゆく長い長い戦争の時代に、当時の若者たちを中心に読み継がれ、百三十万部を超える大ベストセラーになりました。
著者は、陸軍軍人の杉本五郎。一九〇〇(明治三十三)年五月二十五日、広島県安佐(あさ)郡三篠(みささ)村(一九二九年に広島市に編入)に生まれ、日中戦争の始まった翌々月の一九三七(昭和十二)年九月十四日、板垣兵団長野部隊に属する一中隊の長として、山西省(さんせいしょう)宛平県(えんぺいけん)東西加斗閣山(とうざいかとかくざん)での激戦のさなかに戦死しています。享年三十七歳でした。
『大義』はもともと国民一般に広く読まれることを前提として執筆されたものではありません。杉本が死の直前まで将校教育のためのテキストとして書き継いでいたものです。全二十章からなり、最後の四章は戦地で書かれました。第二十章を書き上げたのは九月四日だと但(ただ)し書きがありますから、戦死する十日前です。そこで完結しているわけでは恐らくありません。著者が無事に生きていれば、もっと書き足されていったかと思われます。とにかくその全文は戦死の翌年に、戦地から子どもたちに宛てた「遺言」を前書きとして加えて、公刊されました。そして売れに売れたのです。
「いかに死ぬべきか」の心得を時代が求めた
なぜそんなに読まれたか。そもそも『大義』にはどんなことが書いてあるのか。日本の軍人兵士、ひいては国民全般がいかに生きて死ぬべきか。特に死ぬということに思いきり比重をかけて書いてある。そういうテキストと言えます。
第二章「道徳」の冒頭を引きましょう。
天皇の大御心(おおみこころ)に合ふ如く、「私(わたくし)」を去りて行為する、 是れ日本人の道徳なり。
(第二章「道徳」)
すると「大御心」はどうすれば分かるか。「御歴代皇祖皇宗(おんれきだいこうそこうそう)の御詔勅(ごしょうちょく)、皆是れ 大御心の発露に外ならず」。古代からの天皇の詔勅こそが「大御心」の表現に他ならない。そして杉本はとりわけ明治天皇の「教育勅語」が当世の日本人の最も重んずるべき詔勅であると強調する。その核心部分は何か。日本人の存在の目的は「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運扶翼(こううんふよく)」にある。天皇の威勢を世界に向けて盛り上げていくこと、それのみである。したがって個人の完成は生の目的ではない。個人がよりよく生きることは日本人の第一義にはならない。「私(わたくし)」は全否定されるのです。かくして杉本の死の思想が開陳されます。
天皇の御守護(おんしゅご)には、老若男女を問はず、貴賤貧富(きせんひんぷ)に拘(かかわ)らず、齊(ひと)しく馳せ参じ、以(もっ)て死を鴻毛(こうもう)の軽きに比すること、是れ即(すなわ)ち日本人道徳完成の道なり。 天皇の御為めに死すること、是れ即ち道徳完成なり。
(第二章「道徳」)
天皇の心にかなうように死ぬ。それが日本人の道徳の完成。そう説く本がベストセラーになる。国家が国民に教科書的に読めと命じたのではありません。杉本と親しかった人々が杉本のテキストを軍隊内部の限られた読み物にしておくのは惜しいと、陸軍上層部に根回しをして、問題の起きぬように工作したあと、民間の出版社から普通に刊行した。するとミリオンセラーになった。やはり時代の特殊な性格があるのです。
日中戦争が始まったとき、日本人は軍人も政治家も長引かずにすぐに終わると思いました。ところがちっとも終わらない。相手がそれなりに強いうえに、戦地がとてつもなく広大だからです。日清戦争は九か月で終わり、日露戦争はそれと比べればかなり厳しかったものの一年半で終わりましたが、今度はますます勝手が違うようだ。これまで日本人が体験してきた近代の戦争の規模を大きく突き抜けてゆく。西洋列強が第一次世界大戦で経験済みの、まさに総力戦時代の長期戦争の様相を日に日に呈してくる。しかも相手が増えてくるのです。戦争の内容もエスカレートしてゆく。ついには対米英戦争に連動してゆきます。国民全員が、軍隊に入らされたり、勤労動員させられたり、戦死したり、戦病死したり、戦傷を負ったり、空襲に遭(あ)って家財を亡くしたり、大切な家族を喪(うしな)ったり、結局、最後は世界中を敵に回して原爆まで落ちてくるに至るのです。
そうなると戦争から逃れて生きることがほとんど不可能になります。死が誰にも覆いかぶさってくる。いかに生きるべきかがいかに死するべきかと切り離せなくなってしまう。みんなが死を織り込む生き方を考えざるを得なくなる。どう考えたら、目前かもしれない死から目を背けずにそれを受け入れることができるかと試行錯誤し始める。いつだって死のことを思っている人はたくさんいるのが世の中ですが、その多寡(たか)の程度がすっかり変わってしまうのです。
そんな時代に『大義』は多くの日本人の心に突き刺さってしまいました。生を捨て、大義に殉(じゅん)じて死ぬことをよしとできる精神を培(つちか)うための窮極(きゅうきょく)の教科書として、国民がかなり自主的に読むようになったのです。杉本はあくまで軍内の将校教育のために『大義』を執筆しました。特に前線で陣頭指揮する将校は戦死率も高いですから『大義』が死を強調するのも当然と言えますが、その本が銃後の一般国民にまで響くようになったのは、まさに時代のエスカレーションのなせる業(わざ)でしょう。
本書『別冊NHK100分de名著 宗教とは何か』では、片山杜秀さんによる『大義』の読み解きから、「宗教的なものと戦争との関わり」について学んでいきます。
◆『別冊NHK100分de名著 宗教とは何か』より
◆脚注、図版、写真、ルビ、凡例などは記事から割愛している場合があります。
◆本書における引用は、特に断りのない限り、『大義』(平凡社)に拠ります。
※本書は、2024年1月2日にNHK Eテレで放送された「100分de宗教論」の内容をもとに、新規取材などを加えて構成したものです。