ドイツ後期ロマン派最後の巨人『リヒャルト・シュトラウス160周年生誕祭』開催、小峰航一が聴きどころを語ったコメント到着
6月11日(火)にあいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールにて『KCM Concert at The Pheonix Hall Osaka~関西圏の最大拠点 梅田で展開する藝術音楽~リヒャルト・シュトラウス 160周年生誕祭Richard Strauss (1864.6.11-1949.9.8)』が開催される。
リヒャルト・シュトラウス(1864.6.11-1949.9.8) は『ばらの騎士』や『サロメ』に代表されるオペラや「ドン・ファン」「英雄の生涯」「アルプス交響曲」のような巨大なオーケストレーションを有する作品で知られる。室内楽編成のための楽曲は少ないが、同公演ではシュトラウスの満160歳の誕生日に京都市交響楽団のメンバー精鋭10名が一堂に会して、彼の室内楽的側面を浮き彫りにする。出演者を代表して、小峰航一(京都市交響楽団首席ヴィオラ奏者)からコンサートの聴きどころを記したメッセージが届いたので紹介する。
「シュトラウス讃」
オーケストラ奏者にとって「リヒャルト・シュトラウス」の名前は、偉大な芸術家の名であると同時に、予定された演目の中に名前を見つけると恐怖を感じる名前でもあります。あまりに膨大な音の量、複雑なリズム、油断のならない激しい場面展開。おそらく多くの奏者にとって、オーケストラのリハーサルが始まる随分前から準備を始める作曲家の筆頭候補でしょう。
シュトラウス作品の多くが困難を極めますが、その音楽のあまりの美しさから、演奏していて多幸感とも言うべき天国的な音楽体験ができます。例えば『薔薇の騎士』を演奏をしている時の目眩がするほどの色彩感、「ツァラストラはかく語りき」での壮大な音響空間、『サロメ』での現実を超えた妖しさと恐怖、などなど。シュトラウスの音楽は、巧みな管弦楽法により人の心を虜にします。
そんなシュトラウスの室内楽作品に目を向けてみた時、そこには彼のもう一つの本質的な音楽観が拡がっています。
声楽を持たない器楽曲に於いても、対話は重要な要素です。ピアノ曲も勿論、弦楽四重奏や各種編成の室内楽でも、声部同士の対話こそが醍醐味で、対話は音楽の本質とも言えます。オペラを主戦場としていたシュトラウスの、器楽間の対話が面白くないはずがありません!
弦楽四重奏op.2は若きシュトラウスの才気溢れる佳品。父親が名ホルン奏者だった音楽一家に生まれたシュトラウスは、幼少期より多くの優れた音楽に囲まれていたことでしょう。どちらかと言うとブラームスなどロマン派の流れを色濃く持つこの作品は、オペラ作曲家が書いた弦楽四重奏の名曲として、今後ヴェルディの弦楽四重奏やロッシーニの室内楽のようにもっと注目されていく事でしょう。
「もうひとりのティル・オイレンシュピーゲル」はシュトラウスのティル・オイレンシュピーゲルをヴァイオリン、コントラバス、クラリネット、ファゴット、ホルンという五重奏に刈り込んだ面白い編曲。伝説の奇人ティル・オイレンシュピーゲルの物語を巧みに音楽によって語るこの作品は、まるで管弦楽による演劇のよう。室内楽版はさしずめ小さな芝居小屋での上演用でしょうか?大劇場と違って、小劇場での役者の息遣いが間近で聴こえる緊迫感も良いものです。室内楽版でこそ表現できる細かな音楽の対話の息遣いが、この版の醍醐味でしょう。
『カプリッチョ』は、個人的に生涯のうちに一度でいいから演奏してみたい!と熱望しているオペラの一つです。詩が先なのか歌が先なのか、終わりのない議論を繰り広げ、それを軸にオペラそのものを取り巻く人間模様を描いたこのオペラの冒頭に置かれる序曲は、対話が繰り広げる場面を想像するのに相応しい、弦楽六重奏のみで演奏されます。シュトラウスのオペラらしく大勢の管楽器、打楽器が控え、後ろに大勢のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが勢揃いする中、前に座ってる人達のみで弦楽六重奏を演奏する絶妙なコントラスト。
そしてもう一つ、ロココ風サロンを舞台にしたこの優美で夢見心地な美しいオペラは、第二次世界大戦によりまさに世界が危機的状況におかれている1942年に、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場にて初演されている事実も、音楽が優雅であればあるほどやるせないコントラストを生みます。
荒廃した瓦礫の街、想い出の劇場や街並みは見る影もなく、戦争により残酷にも現実から引き離された故郷での大切な記憶。「メタモルフォーゼン」が表すのはこのような世界観でしょうか。希望はなくただただ暗く、しかし音楽はあくまで美しく深く、まるで何百種類もある黒のパレットを、様々な角度で見つめているような感覚に陥ります。「変容」とした日本語訳も納得のいく、刻一刻と変化する人間の心情をそのまま自由な変奏曲に当てはめているかのような、連綿たる無限旋律。不安や恐怖が増大して行き、懐かしく美しい思い出が交差し、怒りと諦めが入り混じり、最後は漆黒の闇に消えて行きます。
あくまで暗く深い「メタモルフォーゼン」ですが、音楽は常に生命力を持ち続けています。僕には、このやるせない深淵を表す最後の和音にも、世界や歴史を真正面から直視しているシュトラウスの活き活きとした目が想像されるのです。
「喜怒哀楽」の、「哀」が強い後半ですが、朗らかで楽しい前半とのコントラストもお楽しみいただきつつ、尊敬するリヒャルト・シュトラウスの160周年生誕祭を共に祝えれば幸いです!
小峰 航一(京都市交響楽団 首席ヴィオラ奏者)
チケットはイープラスにて販売中。