サッカー元日本代表の伊東輝悦が32年の現役生活で最も影響を受けたのは…すごかった選手は…
SBSラジオの静岡サッカー熱血応援番組「ヒデとキトーのFooTALK!」に、今季限りでの現役引退を表明した元日本代表・アスルクラロ沼津の伊東輝悦さんをお招きしました。聞き手はパーソナリティのペナルティ・ヒデさんと鬼頭里枝さん(2024年12月24日放送)
ヒデ:スタジオは2年ぶりですが、どうですか?
伊東:2年経っていますね。呼んでくれなかったっすね~。
ヒデ:32年の現役生活、本当にお疲れ様でした。今どんな気持ちですか?
伊東:もうのんびりしてますよ。
ヒデ:今日は何時ぐらいに起きたんですか?
伊東:7時過ぎぐらいかな。
ヒデ:普通にちゃんと早い。
伊東:おじさんは起きるの早いんで。
ヒデ:おじさんは目が覚めちゃうんだよね。現役時代はもっと早く起きていましたか?
伊東:シーズン中はもっと早いですよ。5時45分とかですね。
ヒデ:しっかり時間をかけて寝るようになったんですね。
伊東:ただ、今日軽くジョギングをしてしまいました。
鬼頭:やっぱり身体動かしたくなっちゃうんだ。
伊東:やっぱり動かしたいなってなっちゃいましたね。去年まではトレーニング感、「仕事をやっておかなきゃいけない」みたいな感じで走ってました。今日は健康のためじゃないけど、そういうトレーニング以外の意味で何か走りたくなりました。
ヒデ:本当に第二の人生なんだ。そんな感じします?
伊東:うーん、ちょっとはするかな。
ヒデ:飯とかも気にしないじゃないですか。
伊東:そうは言っても、今までそんなに制限をかけたわけじゃないので、大きくは変わってないんですけど。
ヒデ:それでも、ド深夜に目が覚めて「あ~、腹減った。カップラーメンでも食うか…」とかなかったでしょ?
伊東:それは人としてあんまりいいこととは思わないですね(笑)
ユニフォームは飾らない派
鬼頭:現役ラストマッチは11月24日松本山雅FC戦でした。後半アディショナルタイムに出場されました。J3リーグで50歳2ヶ月24日という最年長出場記録を樹立。ご自身2年ぶりのリーグ戦。振り返るといかがでしたか?
伊東:やっぱりピッチの上はいいですね。特にあの試合は本当にサポーターがたくさん入ってくれたんで、気持ちがよかったですね。
ヒデ:最後も「楽しくサッカーがやりたい」とおっしゃっていました。最後の最後に原点に帰るんだなと思った瞬間でもありました。スタジアムに歴代のユニフォームを飾ってくれたサポーターがいました。あれ驚いた。
伊東:びっくりしました。
ヒデ:忘れていたユニフォームとかもあるんじゃないすか?
伊東:あるんじゃないですかね。僕、家に何にもないですから。
鬼頭:残してらっしゃらないタイプなんですか?
伊東:全然ないっす。実家にもしかしたらあるかなぐらいです。今の家には何にもない。
ヒデ:飾っとこうとかないんですか?
伊東:全くそんな気はないです。僕の部屋にはスカジャン飾ってありますから。
ヒデ:やりきった感はあるんすか?
伊東:もう十分じゃないすか。52歳までやれるなんて僕自身思ってなかったんで、本当幸せだったなと思います。
鬼頭:岡崎慎司さんや秋葉忠宏さん、澤登正朗さんからもメッセージいただいたそうですね。
伊東:ありがたかったですね。
ヒデ:ともに静岡、清水を支えてきたメンバーたちが来たわけですよ。
伊東:地味な僕の引退を華やかにしてくれたんで、ありがたかったです。
ヒデ:どんなメッセージだったか覚えてますか?
伊東:覚えてない…(笑)
鬼頭:テルさんにレッドカードだよ(笑)
ヒデ:いや、これぞ伊東輝悦なんすよ(笑)
“無双”していた清水FC時代
鬼頭:テルさんのキャリアを振り返らせていただきます。1974年生まれ、静岡市清水区出身。小学生の頃から地元の清水FCで活躍、東海大学第一高(現東海大翔洋高)を経て、1993年に清水エスパルスに入団。
そして、1996年アトランタオリンピックのブラジル戦では自ら得点を決めて、マイアミの奇跡の立役者になりました。清水エスパルスで2010年までプレーして、ヴァンフォーレ甲府、AC長野パルセイロ、ブラウブリッツ秋田などを渡り歩き、2017年から8シーズン、アスルクラロ沼津でプレーしました。
ヒデ:僕は清水FCを最初に聞きたい。僕らの代だと藤田俊哉がいて、船橋FCにいた時に0-2で負けて、静岡強いって初めて思いました。清水FCでやってたときは、サッカーが面白いという気持ちからのスタートだったんですか?
伊東:そうですね。当時の監督さんも割とサッカーを楽しましてくれるような方だったんで、楽しかったっすね。
ヒデ:自分より上手いやつには出会えたんですか?
伊東:どうかな。たまにはいたと思うんですけど、僕はその当時から今の身長とあんまり変わらないですし(現在の身長は168cm)。
ヒデ:周りより背が大きかった?
伊東:大きくて、自分の好きなプレーができました。足も速かったんで。相手からしたら多分なかなか…。
ヒデ:当時はプロサッカーリーグがなかった時代じゃないですか。
伊東:小学校の時に1986年のメキシコワールドカップで初めて世界のプレーに触れたみたいな感じです。
ヒデ:あ~、一緒です。
伊東:「何なんだ、これは」となりました。
ヒデ:その時は、海外に行ってプロサッカー選手になりたいと思いましたか?
伊東:そこまでは全然ないです。ただすごいなって。
ヒデ:出るわけがないって思っていた時代だもんね。そこから東海大学第一高校に進学したんですね。
伊東:いろんな学校から話をいただきましたけど、東海に決めましたね。
ヒデ:もうその頃には身長が高い人が周りに増えてきたわけでしょ?
伊東:そうですね。もう中学校ぐらいでは。
ヒデ:焦りはなかったんすか?
伊東:焦りはそんなになかったですね。
ヒデ:足元とかフィジカルに自信があって?
伊東:小学校の頃は背の高さや足の速さ、フィジカルでなんとかなったんですけど、中学入ったくらいにこれじゃ良くねえな、上手くならなきゃいけないなと自分で思いました。その時そうやって思えたことはよかったなと思います。
鬼頭:自分の武器を作るために、人の何十倍もきっと練習されたでしょうね。
伊東:周りにうまく導いてくれた方もいたとは思うんですけど。
現役生活で最も影響を受けた人
鬼頭:32年間の現役生活の中で、一番影響を受けた方はどなたですか?
伊東:監督の西野朗さんですかね。ポジションを変えることによって、サッカーの仕方というか見え方が広くなったかなとは思います。
ヒデ:どんなアドバイスを?
伊東:アドバイスはそんなになかったと思うんですよね。
ヒデ:急にコンバートされて、ミットフィールダーやってみてって?
伊東:そんな感じだと思うんですけどね。
ヒデ:抵抗はなかったんですか?
伊東:最初はありました。それまではアタッカーだったので、ポジションがちょっと下がったら守備をしなきゃいけないのかみたいな感じでした。でも、実際にやってみたら攻撃と守備の両面に関われたんで、これはこれで面白いなと感じました。
ヒデ:テルって自然と「これ面白そうじゃん」に変えられる人なんですかね。これは長くプロでやれる秘訣の一つだったと思いますよ。
伊東:年を重ねて、若い時と比較してもしょうがないなと思って、今できる最大のことをやればいいかなとも思えたので。
中村俊輔のキックは半端ない
鬼頭:同じ世代の選手にはいらっしゃいますか?
伊東:中村俊輔は上手かったな。キックが半端ないっすからね。あのキックを見せられたら、絶対フェイントに引っかかっちゃう。
ヒデ:高校選手権でも1人だけ別格に上手いのが俊輔だったもんね。
伊東:20代の頃は、キックは当然ですけど、ドリブルで進入していくようなプレーも結構してたし、何をやらせてもすごくて、刺激を受けました。初めて練習を生で見たときはびっくりしました。キックのスピードが速くて曲がるから、これどうなってんだよと思いました。
ヒデ:なんであんなに曲がるんだと。それこそ先輩のノボリ(澤登)さんとかもいらっしゃったんですか?
伊東:登さんも上手かったんですよ。でも、射程距離が俊輔の方が気持ち長いというか。
ヒデ:なるほど。結構遠くからも決めてたものね。
引退後は何するの?
ヒデ:先日松原良香さんや服部年宏くんとで会ったりして昔話に花を咲かせたんですか?
伊東:そうっすね。みんなおじさんなんで。サッカーの話は確かにちょっとしましたね。「これから何すんの?」みたいなことは聞かれました。
ヒデ:興味津々ですよ。本当に何すんの?
伊東:まだ決まってないです。
ヒデ:なんやそれ!!(笑)なんかあるでしょ!?プレイヤーはもう無理だから監督やりたいとか。
伊東:監督やりたいとかは今あんまり思ってないっすね。どっかで気が変わる可能性はあるし、可能性はゼロじゃないですけどね。
ヒデ:世界1周やろうとか、そういう話でもいいのよ。
伊東:旅行ですか。行きたいは行きたいですけど、面倒くさいですね。
ヒデ:横須賀行け!まずはスカジャン買ってこい!(笑)
鬼頭:テルさんらしいね~。
長男は東海大翔洋でプレー
鬼頭:息子さんが今、東海大翔洋高校でサッカーをやってらっしゃるということです。来年3年生になるんですね。将来お子さんたちに教える可能性はありますか。
伊東:アドバイスとかはしてないですね。一緒にサッカーを観に行ったりすることはあるんですけど。
鬼頭:何か似てるところはありますか??安永聡太郎さんの息子さんも活躍されてますし。
伊東:左利きだし、ディフェンスだし、全然違うんですよ。
ヒデ:左利きにさせたの?
伊東:自然に左利きになりました。
ヒデ:パパから見てどうですか?
伊東:それはもうわからないっす。
ヒデ:なりたいんだって言ってきたら?
伊東:頑張れって言います。
引退について家族は?
鬼頭:息子さんに引退することはどんな形でお伝えしたんですか?
伊東:普通にリビングに行ったときに、ポロっとというか、あらたまった感じじゃなくて、今年で辞めるからみたいな感じで伝えました。
ヒデ:周りのリアクションは?
伊東:妻には今年の頭ぐらいで何となく言ってたんですけど、息子にはその時にポロって言ったら、すげえびっくりされました。えっ…て感じで。
ヒデ:泣きはしなかった?
伊東:それはなかったですけど、本当びっくりしてたんで、俺が逆にびっくりしました。
鬼頭:息子さん的にはパパが一番の憧れですから。
伊東:物心ついた頃には親父がサッカー選手で、それが日常だったんで、びっくりするのはそうかなとちょっと思いましたけど。
ヒデ:最後息子さんから何か言われたでしょ?
伊東:全然ないっすよ。
ヒデ:なんじゃお前ら!(笑)
「サッカーを楽しんでほしい」
ヒデ:最後に皆さんにご挨拶をお願いします。
伊東:最近いろんなところで喋らされてるんで、もう喋ることもなくなってきちゃったんですよ。もう僕の代名詞みたくなっちゃったんですけど、サッカーを観るもよし、自分でプレーするもよし、サッカーを楽しんでほしいなと思いますね。
ヒデ:今までやってきたこと、テルイズムはちゃんと若手諸君が受け継いでくれるでしょう。本当に楽しみです。