「下赤塚」は大仏に見守られる城下町! ~小笠原亘の青春物語~
日々の天気や街のトレンド、おいしいゴハンに大人の悩み、社会の仕組み・・・1日イチ「へぇ~」なトピックスを。
新進気鋭のコラムニスト、ジェーン・スーが、生活情報や人生の知恵をナイスなミュージックと共に綴る番組。
今週1週間は、「あの町!この街!私のまち自慢!!」という企画をお送りしますが、トップバッター! サニー・小笠原は、小笠原アナの東京の原点!板橋区・下赤塚に行ってきました!
下赤塚とは?
・東京都板橋区にある、東武東上線の駅。駅の目の前には商店街があって、その先には閑静な住宅街が広がっています。
・東京メトロ・有楽町線、副都心線の「地下鉄赤塚駅」とは目と鼻の先の距離。
・地下鉄赤塚駅は「練馬区」にありますが、東武東上線の下赤塚駅は「板橋区赤塚新町」にあります。ちょっと行ったら練馬区。練馬区との境にある街。
・隣には、東武東上線の「成増駅」という少し大きい駅があります。池袋までは、20分ほどの場所。
・実は、1400年代には、千葉自胤によって築城された「赤塚城」というお城もあったんです。(1590年に廃城。)
下赤塚という名前の由来
・「武蔵国風土記」に「豊島郡 荒墓郷 荒墓」と記録されているのが、現在の赤塚地区。
荒墓、墓=塚で「荒塚」と呼ばれ、「赤塚」になったという説と、墓塚が赤塚になったという説があるんだそう。
下赤塚と、ワタル!~わたしの東京の原点!~
・小笠原アナにとって、下赤塚は、大学に入って一番最初に住んだ街!いわば、東京の原点!
・大学入学~社会人まで4年ちょっと住でいたんだそう。下赤塚の中でも1回引越しした、思い出の街!
ということで、最初に住んだ懐かしのアパートを探してみました!!
四畳半一間の風呂なし、トイレ共同から出発したあのアパートが・・・!
小笠原:ここだ!線路側が、私の部屋でした!
もちろん、敷地の外から眺めていたんですが、本当に線路とギリギリの距離にある家でした。
最初の家での思い出
・大学生協で見つけた家。東洋大学には寮がなく、家賃もお手頃だったアパートに。
・大家さんが本当にいい方だったんだそう!最終的に、住人が小笠原アナだけになってしまったそうですが、「他の部屋も使っていいよ!」と言ってくれ、贅沢に部屋を使わせてもらったという思い出も。お正月も実家に帰らず、バイトに明け暮れていたところ、おせちを持ってきてくれたなんてことも!
そんな、一軒目の下赤塚ライフだったのですが、2年ほどして再び下赤塚内で引っ越し!そこにも行ってきました!
小笠原:記憶よりも、駅から遠くてびっくりしました!
2軒目の家へ!~新入社員時代の思い出も~
・2軒目の家からは、TBSの入社試験に行って、新入社員時代もここからTBSに通ったという小笠原アナ。
・森本毅郎さんのテレビ番組にも突撃された思い出の家だったそう。
小笠原:ついに、ユニットバス付きの部屋になって、嬉しかった~!
近くを歩いていると、当時の大家さんだったと思われる「戸井田酒店」という酒屋さんを発見して、お話をさせていただきました。突然にも関わらず、取材に協力していただいて本当にありがとうございました。
戸井田酒店と、ワタル!~かつての大家さんと~
・学生時代には、よくお酒を買いに来ていて、お世話になったんだそう。
小笠原:赤塚もかなり変化しましたが、ここは変わらず!こちらのお店でお酒を買って、友人の家で飲んでいたんです。本当にお世話になりました!
そして、小笠原アナがTBSに入れたのはこちらのおかげ!と言っても過言ではない、「東京大仏」(赤塚大仏とも呼ばれていますが)に行ってきました!!
「東京大仏」とワタル!~TBS入社物語~
↑写真は、下赤塚駅前の洋菓子店「フランス製菓」の名物・大仏サブレー。
そもそも「東京大仏」とは・・・
・乗蓮寺というお寺の中にあって、板橋十景にも選ばれています。
・1977年4月に開眼した大仏で、基壇からの高さは13メートル、頭部だけで3メートル。重さは32トン。
完成したときには、東大寺の「奈良の大仏」、高徳院の「鎌倉の大仏」に次いで、日本で3番目の大きさでした。
赤塚大仏と、ワタル
・入社試験期間、毎日通ったんです!!
・TBSの最終試験前に大仏にお参りに行くと、信じられない出来事が・・・!!!!!
・お礼参りももちろんしましたよ!
取材が終わってからも、一人で散策してしまうくらい、赤塚、とっても懐かしい場所でした。ぜひ訪れてみてください。
(TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』より抜粋)