「ヤクザ映画にピッタリ」「日本の監督で前日譚を」オスカー2部門受賞『エミリア・ペレス』オーディアール監督が語る
『エミリア・ペレス』ジャック・オーディアール監督インタビュー
今年のアカデミー賞授賞式は、編集賞プレゼンターのダリル・ハンナが「ウクライナ万歳」で挨拶を始めたり、本作『エミリア・ペレス』で助演女優賞を受賞したゾーイ・サルダナが移民としての誇りを述べるなど、政権のウクライナ対応や移民政策に対する「NO」の表明が目立った。
最多ノミネート作となった本作はゾーイ・サルダナがラップで歌い踊った『El Mal』が歌曲賞も受賞。音楽とダンスの重要性について、ジャック・オーディアール監督が語った。
「日本の監督に前日譚を撮ってほしい。ヤクザ映画にピッタリじゃないですか」
――『エミリア・ペレス』は、ご友人の作家のボリス・ラゾン(Boris Razon)さんから送られてきた小説「Ecoute」に登場する、女性になりたがっている麻薬カルテルのボスからインスパイアされたそうですが、エミリアをカルテルの女ボスにしないで改心させたのは、有害な男らしさを批判するためですか? それとも、良心に反して暴力的に振る舞わなければ自分が被害に遭ってしまう男性社会の息苦しさを伝えるためなんでしょうか。
おっしゃる通り、まさに、エミリアが性別適合することで暴力の連鎖を断ち切ることができるだろうかという問いかけを私は投げかけたかったのです。
マニタスが性別適合手術を受けてエミリアとしてリタの前に現れる以前に、どれほど男性として苦しんできたか……つまり、本当は暴力を振るいたくないのに暴力を振るわなくてはならず、犯罪を犯さなくてはならず、さらに自分は本当は女になりたいのに妻との関係性をキープしなければならない。マニタスがどのような人間的苦悩を抱えていたか、そこに思いを馳せるのは非常に興味深く、それを描くだけでも一本作品が撮れると思います。それで、私は日本の監督にその前日譚を撮ってほしいと思っているんです。
――私は是非その前日譚もオーディアール監督の作品として見てみたいです。
ありがとうございます。でも、これは日本映画が得意とするヤクザ映画にピッタリじゃないですか。
――ああ、なるほど。そうですね。実際、映画の中には、ジェシーが子どもを産んだ途端に夫との関係性が変わってきてしまったと嘆くシーンがありました。ほかにも男性上司に能力を正当に評価されてもらっていない弁護士のリタとか、夫に暴力を振るわれていたエピファニアたちが出てくるんですけど、彼女たちには新聞で見かけるニュースなどモデルがいたりしたんでしょうか?
三面記事や何か具体的な例からインスパイアされた、モデルがあったということではなくて、とても残念な言い方になりますが、本当に凡庸な苦悩というか、あれらが至る所に見受けられる女性たちの苦悩なんだと思います。ジェシーの場合は、世界の中で自分の居場所が見つけられない。アメリカからメキシコに行って、今度はスイスに行かされて、またメキシコに戻される。自分の居場所を見つけられなくて本当に苦しんでいます。
同時にリタも、女性弁護士として、男性優位の弁護士事務所にいて評価されません。そして、夫の暴力を受けてきたエピファニア、みんな共通の苦悩を抱えているわけです。これは残念ながらステレオタイプとして存在する社会の苦悩ですね。ですが私がこの作品で非常に重要視しているのは、エミリア・ペレスの存在自体が女性たちの人生を少しずつ良くしていく。そうした求心力を持った女性として描いています。
「どれだけ厳しい人生を生きてきたか、52歳だからこそ見えてくる」
――トランス女性のエミリアが、トランスの方々に類型的だと批判されているという記事を見かけたのですが、トランプ大統領に存在を否定された(世界には二つの性別しかないと発言)いまトランス女性が映画の主役になることは、私はとても重要だと考えています。オペラの企画からこの映画ができたということからも、あえてオペラのように登場人物をわざと類型的にして際立たせたのではないかと思ったのですが。
確かに。登場人物が類型的なのは、オペラが類型的な人物像を描くものだからです。また、オペラは絶対に登場人物の心理的な分析はしません。ただ、オペラの中には歌があり、その歌で登場人物の違う側面や深みをも表現することができます。そういう意味でも、私は深い心理分析を描こうとしてトランスジェンダーの女性を登場させたわけではないんです。
ただエミリア・ぺレスにとって大事だったのは、彼女が若いトランス女性ではないということです。彼女は52歳で、成熟した女性の世代のトランスジェンダーということが、私にとってはとても重要だったんです。
――若い女性を主人公に設定して物語を考えたが、うまくいかなかったという話をされていましたよね。
この『エミリア・ぺレス』という作品に関しては、若い女性主人公では物語が成り立ちませんでした。なぜなら、たとえばリタは46歳で、あの男性中心の弁護士事務所であのポストでは、もう出世は見込めない。彼女は社会的成功に挫折しているんです。そして欲求不満も抱えています。そしてエミリア、もしくはマニタスにおいては、性別適合手術を受けようと考えるに至るまでどれだけの苦悩を抱え、どれだけ厳しい人生を生きてきたか、そういう人生がやはり52歳だからこそ見えてくる。そしてエピファニアも同じです。夫の暴力を受けてきた過去があるから、ああいう行動に出るのです。若い女性には過去の経験は少ない。また男性では社会的成功への欲求不満は描きにくいと考えました。
――映画はコロス(合唱隊)から始まっていて、とてもオペラ的でした。オペラからミュージカルという形になったと理解しているんですが、ミュージカルの制作は劇映画よりも大変ではありませんでしたか?
もともとオペラをやりたい思いがあり、歌があることが私にとって必要不可欠で、やりたくて残したことなんです。歌には普通の台詞にはない喚起力、想像を喚起させるパワーがある。ただ単にセリフを言うのとは違う、感情を呼び寄せられるパワー、観客の心に届くパワーを持っていると思います。ダンスが入るとさらに、普通にセリフを言うよりも、とても軽やかに言えたり、もっと豊かに表現したりすることができます。そういう意味で今回、歌とダンスを取り入れました。ドラマチックな物語を創るときに最適だと思っています。
取材・文:遠藤京子
『エミリア・ペレス』は3月28日(金)より全国公開