日本の技術者は万博を楽しむ知力が残っているか? 落合陽一に聞く、逆風ムードでも「万博に行くべき理由」
財政面、建設面、運営面への批判が相次ぎ、反対派や無関心層がまだまだ多数を占める大阪・関西万博2025。しかし、世界各国の英知と先端技術が集う場には、本来、エンジニアにとって訪れる意義があるはずだ。
このまま、批判と無関心を貫いてもいいのだろうか。
逆風ムードが拭えない中、「それでも技術者が万博に行くべき理由」について、万博プロデューサーの一人である、落合陽一さんに聞いた。
目次
万博が「技術の祭典」だったのは過去の話「技術が見えない」のが21世紀の万博「世界で一番面白いもの」が集まる場日本人にとってAIはなぜ「怖くない」のか
万博が「技術の祭典」だったのは過去の話
━━万博に逆風が吹いている現状をどう見ていますか?
前提として、日本にとっての万博の意義は時代とともに変化しています。
パリ万博、ウィーン万博に参加した19世紀当時の日本は後進国だったから、万博は日本が世界に売るものをどうにか見出すための場所でした。それが1970年の大阪万博になると、高度経済成長期に突入した日本が先進性を打ち出すための場へと変化します。
21世紀に入ってからの愛・地球博では、環境問題への応答が重要になりました。さらに、2020年代以降は「人間はどうあるべきか」「国際協調とは何か」「AIとは」など、哲学的な問いに対する考えを打ち出すプラットフォーム、サロンとして機能するようになっています。
けれども、日本人の万博のイメージはおそらく1970年で止まっていますよね。6500万人くらいの来場があった1970年の万博は、世界で最もうまくいったイベントの一つ。その成功体験を引きずっているんじゃないでしょうか。
━━なるほど。
万博は、世界中の国家元首が集まる、いわば「世界の文化祭」です。
オリンピックでさえ1カ月しか開催しないところ、万博は半年にわたって開催されます。期間中は国ごとのナショナルデーが設定されていて、各国のトップが来場して、その国が持つ思想を世界中に伝えるわけです。それだけで開催する意義は十分に大きいと思います。
ピンときていない人は、万博がオリンピックに次ぐ国威発揚の場であることを認識できていないんじゃないでしょうか。メディアの伝え方のせいもあって、エンターテインメントの場だとでも思っているんでしょう。だからUSJの入場料と比べられたりもする。そこにズレがあります。
━━先ほど「万博は世界の文化祭」という言葉がありましたが、「技術の祭典」ではないんですか?
万博が技術の祭典だったのは1970年の話。今は違います。どちらかといえば、カルチャー色の方が強いと思う。「博物館を50個建てた」世界観に近いです。
日本政府や各国の関係者と話していても、技術を売りにするという話はほぼ聞かないです。技術展示だとすると、CEATECやSXSW、CESなどと変わらないことになってしまいますからね。
「技術が見えない」のが21世紀の万博
━━でも、多くの展示には先端技術が使われているわけですよね?
もちろん。落合館の企画である『null²(ヌルヌル)』も「2025年にピッタリ実現可能になる最新の技術とは何か」を考えるところからスタートしていますから。そこから導き出したのが、生成AIがリアルタイムで喋る、人間がスキャンされるというnull²のアイデアでした。2020年の時点でそれを考えるのは結構大変でしたが。
その後、「3D Gaussian Splatting」のような技術が出てきたこと、LLMが順調に進化してリアルタイムで動くようになったことなどがあり、それらが組み合わさったことで、想定通りのものができる見通しが立っています。
━━エンジニアが万博を訪れることの意義は、そういう最新技術に触れることにありそうですね。
うーん、どうだろう。それが面白い……のかな。プログラムがないと動かないものがほとんどなので、確かに技術はありますよ。でも、それがメインではないからなー。
落合館ももちろんテックをうまく使っています。あれだけ豪勢にロボットアームを突っ込んだ建物なんて、間違いなくこれまでにはなかっただろうし。でも、ロボットを使いまくってはいるけれども、見える位置にあるのは、そのうちの5台程度ですからね。ほとんどは幕の内側に隠れているので。
要するにこれは、ユビキタスコンピューティングやデジタルネイチャーの話なんです。技術は洗練されればされるほど隠れる。見えなくなるということです。
━━洗練された技術は見えなくなる、と。
落合館では再三にわたってサン=テグジュペリの話をしています。
道具の目につく仕組みが徐々に消滅し,
最終的には波に磨かれた小石のように,
自然な形状を持つ何かが僕らの手に委ねられる.
これは素晴らしいことだ.
だが,それと同じように素晴らしいのは,
実際に機械を使用する人間の意識からも,
機械が少しずつ姿を消していくことだ
サンテグジュペリ / 人間の土地
これが書かれた1939年当時に、ユビキタスコンピューティングなんて言葉は当然なかったわけですけど、「テクノロジーは磨かれるほど見えなくなる」という基本原則を正確に言い当てている。
サン=テグジュペリのいう「道具の目につく仕組み」が徐々に消滅するのが21世紀です。だから、高度なエンジニアリングに支えられながらも、技術技術していないのが21世紀の万博。まさにデジタルネイチャーな感じになっていると思います。
「世界で一番面白いもの」が集まる場
━━だとすると、エンジニアは万博をどう楽しめばよいのでしょうか?
万博は、背後に込められたメッセージを理解することが重要なイベントだと思います。日本人にはなかなかそれが伝わらない。そこに日本という国の貧しさが表象されている気がします。
━━どういうことですか?
万博は「世界で一番面白いもの」が揃うところです。でも、「面白いもの」と言ってもそれは、ハリウッドのような分かりやすいエンターテインメントではありません。各国が「文化的に」面白いと思うものを持ってきている、とでも言ったらいいのかな。
1970年の万博が開催されたのは、海外旅行に行ける人がまだそれほど多くなかった時代でしたよね。そこに世界中のパビリオンが出展されたことで、「こんな国があるんだ」「こんなすごいものがあるんだ」と思えたところが良かった。
でも、今では行こうと思えば誰でも、どの国へでも行ける時代になっています。その時代に万博を開催するのですから、各国政府は、今その国に行っても見られないものを用意しているはずです。だとするとそれは、単純に「エンタメとして面白かった」という感じのものではないですよ。
その「文化的に」面白いものをちゃんと興味深く受け取れる知力、国力、土壌みたいなものが、今の日本にあるかどうか。そこに一番の不安を覚えています。それこそが国力停滞のボトルネックではないかと。
エンジニアリングの基本原則も「世界で一番面白いものを作ろう」ということじゃないでしょうか。そう考えて作られているものがどれだけあるかが、おそらく一番重要なこと。技術者が万博を楽しめるかどうかは、そこをどう考えるかではないですか?
落合館の外観(動画)を落合さん自ら撮影する様子(落合さんXより)。 落合館は「最安値でほぼ手弁当」で作っているそうで、ここ最近もご本人自らXを通じて「屋根を貼ってくれる人募集」「来館者の靴を入れるエコバック協賛してくれる人募集」と協力を呼びかけていた。
━━世界で最も面白いものが集まる場所を訪れることで、その感覚を磨いたり刺激を受けたりできる?
そうですね。もしも海外館へ行って残念な気持ちになったとしたら、それはおそらく受け止める側の問題ですよ。せっかく美味しいフランス料理を食べているのに、フランス料理を一度も食べたことがないから「まずい」と言っているようなもので。
日本の人は、エンタメとして楽しんでもらおうという意識が強すぎるんですよね。なので日本のパビリオンは「分かりやすい面白さ」を感じられるものが多いと思います。それに比べて海外の展示は地味に映るかもしれませんね。
もし海外の展示と比べて日本のものがよくないと感じたら、その感覚は「文化的な面白さ」を捉えていると思ってもいいかもしれません。
━━落合館のnull²にエンタメ要素はない?
映え要素はたくさんあるから、おそらくエンタメとして消費されることになるとは思います。人によって感じ方はそれぞれなので、それを否定するわけではないです。
ただ、こちらとしてはエンタメとしては作っていないし、やはりメッセージを汲み取ってほしい。万博というのはそういう場だと思います。
日本人にとってAIはなぜ「怖くない」のか
━━万博が見据える「50年後の未来」にエンジニアの仕事はどうなっているでしょうか。万博にはそれを考えるヒントもありますか?
落合館にて記者会見の様子(落合さんXより)
2025年時点でももうプログラムはほぼAIが書けますから、50年後には人間が自分でプログラムを書くことはなくなっているでしょう。そうすると「AIが全てをやってくれる時代に、何をするのが人間の仕事だろうか」と考えることが重要になりますよね。
そこまでの議論ができているパビリオンはそれほど多くないかもしれませんが、落合館はまさにその話をしていますよ。うちの基本シナリオは「人間は実は森のおさるさんだった」というものなので。
━━森のおさるさん?
他の動物と比べてちょっとシンボルを扱うのがうまかったけれど、コンピュータと比べたら、それほどうまくなかった。森のおさるさんでしかなかった。ホモ・サピエンスというのは嘘だった、というわけです。
でも、そうだとしても、東洋の考え方であれば、そのことに耐えられるじゃないですか。
━━「東洋であれば耐えられる」とはどういうことですか?
西洋においては「考える自己主体としての人間」というのは重要なテーゼです。ですから「人間は実は森のおさるさんだった」なんて到底受け入れられることではない。けれども日本では「豊かな暮らしを送ることが人間の仕事なんだ」と言われたら、なんとなく受け入れられますよね?
そこが日本の面白いところだと思っているし、それがうまく表現できていたらいいなと思っています。
万博に来ればこの違いがよく分かりますよ。海外と日本の、命に対する考え方の違いも分かりますし、西洋の人がなぜあんなにもAIに恐怖を感じているのかもよく分かる。それは技術者にとってもきっと「面白い」んじゃないでしょうか。
2025年大阪・関西万博 テーマ事業プロデューサー メディアアーティスト 落合陽一さん(@ochyai)
筑波大学でメディア芸術を学び、2015年東京大学大学院学際情報学府にて博士(学際情報学)取得。現在、メディ アアーティスト・筑波大学デジタルネイチャー開発研究センター センター長/図書館情報メディア系准教授・ピクシーダストテクノロジーズCEO。ヒューマンコンピュータインタラクションを専門とし、研究論文は難関国際 会議SIGGRAPHなどに複数採択される。令和5年度科学技術分野の文部科学大臣表彰、若手科学者賞を受賞。内 閣府、経産省などの委員、25年大阪・関西万博 テーマ事業プロデューサーとして活躍中。計算機と自然の融合を 目指すデジタルネイチャー(計算機自然)を提唱し、コンピューターと非コンピューターリソースが親和することで再構築される新しい自然の実現や社会実装に向けた技術開発などに貢献することを目指す
文/鈴木陸夫 編集/玉城智子(編集部)